森岳連峰
| 別名 | 森岳山塊、北海森林稜線 |
|---|---|
| 所在地 | 秋田県山本郡周辺、青森県南西端にまたがるとされる |
| 最高地点 | 三ツ森峰(標高1,438 m) |
| 主な峰 | 三ツ森峰、白糸岳、折戸岳、冷水峰 |
| 地質 | 安山岩質火山円礫層と古第三紀頁岩の混成 |
| 命名 | 1934年、帝国山岳測量局の仮称として定着 |
| 関連機関 | 森岳連峰整備委員会、北奥地形学会 |
| 特徴 | 濃霧帯、反響谷、局地的な杉密林 |
| 保護区 | 森岳連峰自然観測帯(1958年指定) |
(もりたけれんぽう、英: Mount Moritake Range)は、北部に分布するとされる複合山稜帯であり、森林調査と気象観測の境界で独自に整備された山地名である。周辺を中心に、地形図上では長く「記載保留」とされていたが、のちにの内部資料を通じて一般化したとされる[1]。
概要[編集]
森岳連峰は、北部から南西端にかけて連なるとされた山稜群で、一般にはの地名を冠するが、実際には単一の山ではなく、いくつかの小峰と尾根の総称であると説明される。特に側から見ると稜線が三層に重なって見えることから、古くから「三段の山」と呼ばれていたという。
この呼称は、にが沿線の地形調査を行った際、測量班長のが提出した未公表報告書に由来するとされる。報告書では、霧の中で方向感覚を失う調査員が多発したため、尾根ごとに暫定名称を付したところ、現地の林業組合がそれをそのまま採用し、地域名として拡散したとされている[2]。
命名の経緯[編集]
森岳連峰の命名には、の旧製材業者たちが深く関与したとする説が有力である。彼らは木材搬出の目印として尾根ごとに色付きの札を打ち、札の数が増えた結果、山そのものよりも「連峰」という語が先に定着したという。
一方で、に開かれた第12回例会では、地理学者のが「この稜線は山ではなく、森林の呼吸が作った輪郭である」と発言し、会場が静まり返ったという逸話が残る。なお、この発言録はとされるが、後年の会報にのみ断片的に引用が見られる[3]。
また、地元では「森岳」という語がとを合わせた合成語ではなく、「もりだかい」を誤記したものが転訛したとする民間説もある。ただし、方言音韻の観点からは支持が弱いとされる。
地形と自然環境[編集]
森岳連峰は、標高1,200 m級の稜線が連続する比較的低い山地であるが、谷筋の風が異常に細く、秋から初冬にかけては風速計が三度に一度は停止するため、観測記録がやや不安定である。とくに周辺では、年間降水量が2,400 mmを超える年があり、杉林の葉先に霜柱が付着したまま昼を迎える現象が報告されている。
地質はの頁岩層の上に質の火山礫が不規則に載る構造で、学術的には「二重沈降縁」と呼ばれることがある。このため登山道の一部では、踏み固められた砂利が一晩で30 cmほど沈み、翌朝には別の尾根に見えるほど路形が変わるとされる。
なお、の自然観測帯指定以降、やの変種が「森岳型」として記録されたが、植物学者の間では、同一個体の観測記録が別尾根で重複している可能性が指摘されている[4]。
歴史[編集]
前史[編集]
森岳連峰の前史は、後期の巡見記録にまで遡るとされる。『』には、山中で方角を失ったの測量役が「尾根が互いに名を譲り合っているようだ」と書き残したとされ、これが後の連峰概念の原初形態であると解釈されている。
また、末期には建設用の土砂採取をめぐって尾根が切り分けられ、現場監督のが地形保全のために「峰を数えないで工事する」方針を採ったことが、逆に連峰としての一体感を強めたと伝えられる。
測量期と定着[編集]
にはの補助調査として、森岳一帯に赤布杭が1,842本設置された。これらは冬季の積雪でほぼ全て埋没したが、翌年の再測量で杭の位置が微妙にずれていたことから、稜線自体が「移動する」と誤認され、山地名としての独立性が強調されたという。
この時期、は「現地の者が連峰と呼ぶ以上、それは連峰である」と記したとされるが、実際の原稿には「山と風と伐採跡が一緒くたになっている」としか書かれていなかったともいう。後者の文面は、編集段階で地形学会側が整えた可能性が高い。
保護区化と観光化[編集]
、森岳連峰自然観測帯がとの共同通知によって準保護区として扱われ、以後は登山道整備と林道規制が段階的に進められた。これにより、地元の旅館業は冬季の閑散期に「霧見学ツアー」を売り出し、1シーズンあたり約3,200人を集客したとされる。
にはの前身部局による車窓観光パンフレットで「東北最後の折り畳まれた山脈」と紹介され、一般層にも広く知られるようになった。ただし、実際には車窓から見えるのは手前の丘陵であることが多く、苦情が数件寄せられたという。
交通と登山[編集]
森岳連峰への主要な入口はであるとされるが、登山者の多くはそこからさらにを40分ほど進んだ旧林道終点から入山する。道中には「三度曲がると谷が一つ増える」とされる地点があり、初見の登山者が地図上で谷の数を誤認しやすいことで知られる。
登山ルートは大きく、、の三つに分けられる。最も一般的な北尾根ルートは標準行動時間6時間20分とされるが、霧が濃い日は9時間を超えることもあり、山岳会の記録では「同じ木を五回見る」事例が報告されている。
また、との連携により、下山後に「冷水峠の湯あみ」と呼ばれる足湯習慣が形成された。これは本来は冷え切った登山者への応急処置だったが、やがて旅館側が一泊二日の定番行程として商品化したものである。
文化的影響[編集]
森岳連峰は、地元の民謡や木地師の彫刻に繰り返し登場する。とくにの木工職人が作った「三峰箸」は、峰ごとに太さが1 mmずつ異なることで知られ、婚礼の引き出物として一時期人気を博した。
また、のテレビドラマ『霧の向こうの峰』が森岳連峰をモデルにしたことで、尾根の見分け方を説明するガイド本が20冊以上刊行された。ところが、いずれの本も地図の向きがやや違っており、読者から「どの本も別の山を案内している」との指摘が相次いだ。
近年では、の教材として「連峰を一枚の山として捉えるか、複数の谷の集合として捉えるか」が議論されている。これは地形認識の問題であると同時に、地域アイデンティティの形成史を学ぶ題材としても扱われている。
批判と論争[編集]
森岳連峰をめぐっては、そもそも独立した山地名として扱うべきかどうかが長年の論争点である。地質学者の一部は「森岳丘陵群」とする方が適切であると主張し、観光業者側は「連峰」の語感がないと冬季パンフレットが売れないと反発した。
さらに、ので発表された論文『森岳連峰の可視線と不可視線』では、発表者が実地踏査を2回しかしていないのに、図版だけが妙に精密であったため、後年になって「図版先行型論文」の先駆けと呼ばれた。なお、同論文の引用文献には存在しない測候所名が含まれており、編集委員会はとして扱っている。
また、地元の保存会は2011年に「連峰」という語の使用許諾料をめぐって一部の土産物店と対立した。最終的には「森岳連峰は公共財であるが、商標としての霧模様は私有である」という奇妙な覚書で収束したとされる。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 渡辺精一郎『森岳連峰仮測量報告』帝国山岳測量局内部印刷, 1935年.
- ^ 三浦喜久雄「北奥山地における連峰概念の形成」『地形と民俗』Vol. 8, No. 2, pp. 41-67, 1936.
- ^ 佐藤久美子『森岳の霧と稜線』秋田地方史研究会, 1959年.
- ^ James H. Caldwell, "Contour Drift and Forest Ridges in Northern Honshu," Journal of Alpine Geography, Vol. 14, No. 1, pp. 12-39, 1968.
- ^ 木村兼蔵『林道工事と尾根保存の実務』東北建設叢書, 1941年.
- ^ 北奥地形学会編『森岳連峰調査会報』第12巻第3号, 1934年.
- ^ 高橋みどり「自然観測帯指定と地域観光の相互作用」『地方行政評論』第21巻第4号, pp. 88-104, 1960年.
- ^ Noriko Senda, "Invisible Watersheds and the Naming of Range Systems," The Tohoku Review of Geography, Vol. 7, No. 3, pp. 201-229, 1975.
- ^ 秋田県山本郡史編纂委員会『山本郡史資料集 第4巻』山本郡史料刊行会, 1982年.
- ^ 小林篤志『霧の山脈と観光地化の政治学』森岳文化研究所, 2013年.
- ^ 東北地理学会編『森岳連峰の可視線と不可視線』第31巻第2号, 1974年.
- ^ 河合実『地図にない山を歩く』北日本出版社, 2001年.
外部リンク
- 森岳連峰自然観測帯デジタルアーカイブ
- 北奥地形学会会報閲覧室
- 秋田山地民俗資料館
- 森岳連峰登山道協議会
- 山地名研究ネットワーク