歌島 音三郎
| 氏名 | 歌島 音三郎 |
|---|---|
| ふりがな | うたしま おとさぶろう |
| 生年月日 | 1872年4月18日 |
| 出生地 | 越後国蒲原郡歌島村 |
| 没年月日 | 1946年11月2日 |
| 国籍 | 日本 |
| 職業 | 民俗音響採集家、発明家、詩人 |
| 活動期間 | 1894年 - 1943年 |
| 主な業績 | 港湾音叉帳の編纂、潮騒測音盤の考案、無伴奏朗誦法の普及 |
| 受賞歴 | 帝都文化奨励章(1931年)、新潟郷土顕彰会功労賞(1938年) |
歌島 音三郎(うたしま おとさぶろう、 - )は、の民俗音響採集家、幻声楽器設計者、並びに港湾即興詩の実践者である。古町の「声を地図化する」運動の中心的人物として広く知られる[1]。
概要[編集]
歌島 音三郎は、日本の民俗音響採集家であり、沿岸部に伝わる潮騒・荷揚げ声・船頭の掛け声を体系的に記録した人物である。彼はまた、これらの音を文字化するための独自記譜法「歌島式音標綴」を提唱し、後年の郷土音研究に小さくない影響を与えたとされる[1]。
一方で、音三郎の名は純粋な学術史だけでなく、とを結ぶ巡回興行で披露された「波の音を読む朗読会」によっても知られる。なお、彼が用いたとされる携帯式潮圧箱は理化学教室の廃材を転用したものと伝えられるが、同時代資料の一部はこれを誇張としている[2]。
生涯[編集]
生い立ち[編集]
、音三郎は越後国蒲原郡歌島村の網元の家に生まれる。幼少期からの風向きによって変化する港の呼び声に強い関心を示し、家人の話では、7歳の時点で北風・東風・雨天の3種の波音を聞き分けたという[3]。地元の寺子屋では読書よりも墨汁の乾く音を気にする児童であったとされ、帳面の余白に船の警笛を模した記号を書きつけていた。
には庁の巡回教師が持ち込んだ『理化通覧』に触れ、音叉と共鳴箱に強い興味を抱いた。これを契機として、村の木工職人・から簡易な測音器の作り方を学び、以後の生涯にわたって「聞こえぬものを形にする」ことを志したとされる。
青年期[編集]
、音三郎はへ出ての聴講生に近い立場で通い始めたが、正式な在籍記録は確認されていない。彼は風の和声理論に関心を示した一方、授業後にはの古書店街で港湾日誌や灯台年報を買い集め、音楽よりも「現場の騒音」に惹かれていったとされる。
には、の寄席で「汽笛と詩を同時に朗誦する」小品を試みたが、客席の反応は半々で、当日の新聞には「奇矯にして妙に整う」と評された[4]。この頃、音三郎は出身の民話採集者と交流し、口承資料の採集方法を音の記録へ応用する発想を得たという。
活動期[編集]
、音三郎はで「港湾音叉帳」第1巻を自費刊行した。これは港ごとの潮位、波高、荷役の掛け声、汽笛の長さを一冊にまとめたもので、当時としては極めて異例な分類表を備えていた。特に「第3章 霧の日の人足は一音短くなる」という記述が注目され、後にの文化欄で紹介されている[5]。
にはの裏手で「潮騒測音盤」の公開実験を行い、海辺で録った音を螺旋状の紙片に移す装置を披露した。来場者153名のうち、装置の仕組みを理解したのは17名だったとされるが、残る多数は「海の機嫌が見える」と評した。なお、この装置はの臨時博覧会委員会で一度だけ検証されたものの、動力部に塩分が侵入しやすいとして実用化は見送られた[6]。
以降はとを往復し、寺社の鐘、港の信号、路面電車の摩擦音を組み合わせた「都市縁辺音集」を作成した。これがいわゆる歌島流の成熟期であり、彼の記録は単なる採音ではなく、都市生活のリズムを可視化する試みとして再評価されるようになった。
晩年と死去[編集]
頃から健康を損ね、音三郎は郊外の借家で静養するようになる。しかし晩年も耳は衰えず、近所の雨戸の開閉音から「今日は東港から入る船が1隻多い」と言い当てた逸話が残る[7]。
には最後の著作『無伴奏朗誦法試論』を脱稿し、朗読における息継ぎの位置を波の満ち引きになぞらえて整理した。11月2日、時点で74歳で死去した。葬儀では遺言により、焼香の間に港の汽笛の録音が再生されたと伝えられるが、これは後世の脚色である可能性も指摘されている。
人物[編集]
音三郎は、几帳面である一方、妙なところで大胆な人物であったとされる。帳簿の桁を一切誤らない反面、波音の採集に出かける際には、わざわざ下駄の片方だけを鳴らしながら歩いたという[8]。
性格は温厚であったが、音に関する妥協は少なかった。港の酒場で話し声が大きすぎると、「今の会話は潮目に負けている」と注意した逸話があり、これを聞いた漁師たちが逆に面白がって記録帳を覗き込んだという。
また、彼はしばしば産の薄い和紙と製の風鈴を持ち歩き、風向きの違いを紙の震えで測った。もっとも、後年の弟子の証言によれば、実際には風鈴よりも懐中時計の方を重視していたらしく、本人の伝説には少なからぬ誇張が含まれる。
業績・作品[編集]
音三郎の代表作としては、『港湾音叉帳』『潮騒測音盤試作記』『無伴奏朗誦法試論』の3冊が挙げられる。いずれもから前期にかけて刊行され、港湾労働の実態、地方音声の差異、朗読の間合いを横断的に扱った点で異彩を放った。
とりわけ『港湾音叉帳』は、・・を比較し、同じ汽笛でも港ごとに「濁りの余韻」が異なると主張した点が興味深い。第2版では関係者の協力により、出航前の甲板音まで加筆され、総ページ数は312から487へ増補された。
彼の「歌島式音標綴」は、子音の硬さと潮位を対応させるという独自理論に基づくもので、当時の学界では理解不能とされた。しかしの帝都文化奨励章受章以後、系の民俗研究会や地方博物館で模倣が相次ぎ、短期間ながら小さな流行を生んだ[9]。
なお、に発表された『都市縁辺音集』第4分冊には「地下足袋の群れが雨に追いつかれる音」という極端に細かな項目があり、これが後年のサウンドスケープ研究に影響したとする説がある。ただし、同書の一部は音三郎自身ではなく、弟子のが整理した可能性が高い。
後世の評価[編集]
戦後、音三郎の名は一時的に忘れられたが、に入るととの交差点に位置する人物として再評価された。とくにの研究グループが、港湾労働の声を文字に写す試みを彼の先駆性として紹介し、地域文化の記録方法に関する先駆的研究として扱った[10]。
一方で、彼の業績には誇張も多いとされる。例えば、の公開実験で用いられた潮騒測音盤は実在した可能性があるものの、「波の高さを3段階で音階化した」という記述は後年の編集で付加された疑いがある。もっとも、この種の曖昧さそのものが音三郎像を豊かにしているとも言われ、近年では「記録者であると同時に記録される側の人間」であった点が注目されている。
内の一部自治体では、彼を記念した「歌島音響散歩道」が設定されており、毎年には地元中学生が港で録音した雑音を発表する催しが行われる。参加者数は初回の38人から、近年では年間約420人に増えたとされる。
系譜・家族[編集]
歌島家は、元来の小規模な網元の家系で、父・は海運仲介と米穀商を兼ねていた。母・は浄瑠璃の節回しに通じ、音三郎の朗誦癖は母方の影響が大きいとされる。
兄に、妹にがいた。庄之助は家業を継いだが、音三郎の採集にしばしば同行し、帳面の表紙を修理する役目を担った。とくは後年、の女学校で唱歌教師となり、兄の記録法を授業の手拍子指導に応用したという。
音三郎はにと結婚し、1男2女をもうけた。長男・はで測量技師となり、長女・はで出版校正の仕事に就いた。次女のは家族の中で最も音感が鋭く、父の晩年には記録帳の誤記を毎晩2箇所ずつ直していたとされる。
脚注[編集]
[1] 音三郎の略伝は『越後港湾文化誌』第12号に依拠する。 [2] 東京帝国大学理化学教室旧蔵品目録には類似器具の記載があるが、用途は不明である。 [3] 7歳時の逸話は家族回想録にのみ見える。 [4] 『浅草新報』1896年8月14日付夕刊。 [5] この記事は文化欄の片隅に掲載されたもので、見落とされやすい。 [6] 委員会記録には「潮気への耐性不足」とだけある。 [7] この発言の原文は弟子の手記に残るが、日付に揺れがある。 [8] 本人の癖を面白く書き立てた可能性が高い。 [9] 受章理由は「地方音声の体系化に寄与せり」とされる。 [10] 新潟大学資料室『港の声と記録』は後の研究に大きな影響を与えた。
関連項目[編集]
脚注
- ^ 東雲一馬『越後港湾文化誌』新潟郷土研究社, 1932年, pp. 41-68.
- ^ 岡本澄子『歌島式音標綴の成立』日本音響民俗学会誌 Vol. 4, No. 2, 1968年, pp. 12-29.
- ^ Harold P. Wexler, "Harbor Voices and Their Notation in Northern Japan," Journal of Imaginary Ethnography, Vol. 11, No. 3, 1974, pp. 201-223.
- ^ 佐伯真理『潮騒測音盤小史』港湾文化叢書, 1981年, pp. 7-54.
- ^ Margaret L. Byrne, "On the Prosodic Mapping of Diesel Whistles," Transactions of the Acoustic Folklore Society, Vol. 8, No. 1, 1992, pp. 55-79.
- ^ 新井田義彦『新潟港の声と労働』新潟大学出版会, 1999年, pp. 113-164.
- ^ 田辺理香『無伴奏朗誦法試論評釈』日本朗読学会紀要 第15巻第1号, 2005年, pp. 88-101.
- ^ Claude H. Mercer, "The Paper Spiral Recorder: A Curious Failure," Proceedings of the Institute for Shadow Engineering, Vol. 2, No. 4, 2008, pp. 9-18.
- ^ 山岸歩『歌島音三郎研究年表』北越文化研究資料集, 2014年, pp. 1-96.
- ^ 大塚祥子『港の雑音を読む』『日本民俗音響学報』第22巻第3号, 2021年, pp. 30-47.
外部リンク
- 新潟郷土人物データベース
- 港湾音響史アーカイブ
- 歌島音三郎記念研究会
- 北越民俗音声資料室
- 旧新潟港録音図書館