民明書房大全
| 刊行者 | 民明書房 |
|---|---|
| 成立年代 | 後期から初期にかけて整備 |
| 想定編集主幹 | 北条 恒一郎 |
| 分類 | 便覧・擬似学術書・引用装置 |
| 主要収録分野 | 格闘技史、古代文明、食文化、怪異譚 |
| 特徴 | 断定的文体と過剰な出典慣行 |
| 流通形態 | 書店流通のほか同人誌市場で断続的に再版 |
| 代表的引用句 | 「古来、これを業界では……と呼んだ」 |
| 現存確認 | 全国で17冊が確認されているとされる |
民明書房大全(みんめいしょぼうだいぜん)は、が刊行したとされる、古今東西の知識を体系化した総合便覧である。格闘技、民俗学、古代史、生活科学にまたがる記述で知られ、しばしば「説明のための説明を生む書物」と評される[1]。
概要[編集]
民明書房大全は、系資料の総集編として語られる架空の便覧である。とくに内の古書店街や、周辺の同人資料流通の中で、断片的に言及されることが多い。
一般には、単なるパロディ資料集と見なされることが多いが、一部の研究者は、同書が末期の雑誌文化における「知ったかぶりの文体」を形式化した最初期の試みだったと指摘している。なお、同書の版元情報には毎回微妙な差異があり、社の元編集者を名乗る人物が関わったという説もあれば、地方の印刷所が週末だけ組版していたとする説もある[2]。
成立の経緯[編集]
成立の起点は、頃にの貸本文化圏で出回った薄い冊子群にあるとされる。これらはもともと空手雑誌の余白埋め原稿として作成され、編集部が「説明が長いほど説得力が増す」と判断したことから、独立した書名を持つようになったという。
編集主幹とされる北条 恒一郎は、実在の人物かどうかすら定かでないが、の古書組合に所属していたという伝承が残る。彼はの名義を「民衆の明治的知性」を略したものだと説明したとされるが、のちに「店頭で覚えやすかったから」とも語ったと伝えられており、由来に一貫性がない。この不整合こそが、大全の編集方針そのものであったともいわれる。
書誌的特徴[編集]
同書の最大の特徴は、見出しの格調に反して内容がきわめて具体的である点である。たとえば「の宮廷投槍術」では、武官が槍を投げる際に「左足の爪を7ミリだけ浮かせる」といった細部まで断定され、しかも本文中にの竹簡、代の石碑、そして「現地調査メモ」が並列で引用される。
また、図版の作り込みにも特徴があり、しばしば巻末に「復元図A-12」や「口伝に基づく推定断面図」が掲載される。これらの図は一見すると学術的であるが、よく見ると矢印の向きが毎回違い、同じ技法なのに版と版で構えが逆転している。編集会議では「地域差として処理できる」とされたらしいが、実際には単に版下の流用に失敗しただけだという説が有力である[3]。
収録内容[編集]
格闘技・武術篇[編集]
格闘技篇では、に加え、存在が確認されない「逆鱗抜き」「風車返し」などが収録されている。これらの技は、いずれも「古来、特定の儀礼を経た者のみが使用できた」と説明されるが、説明の半分以上が地名と暦法の話で占められており、技法そのものは最後の2行で済まされることが多い。
とりわけ有名なのは「鉄砂掌の起源」を解説する項で、の山寺で年間43回だけ採取される赤土を、産の塩水で練り、の火山灰で乾かすと、掌が「帳簿のように硬くなる」とされる。この表現は後世の編集者に深く愛され、以後の武術解説では頻出の比喩となった。
古代史・民俗篇[編集]
古代史篇では、の祭司が日本刀の反りを予見していた、あるいはの暦が関東の祭礼日程に影響した、といった大胆な連結が試みられている。これらの章では、民族誌の体裁を借りながら、実際には怪談と武勇伝が滑らかに接続されている点が特徴である。
また、民俗篇には「夜の海で魚が一定方向にしか泳がないのは、古代の港湾規約の名残である」とする項目があり、の沿岸部からの漁村までが一つの文化圏として接続されている。地理的には無理があるが、大全ではその無理こそが権威の証とみなされていた。
生活科学・食文化篇[編集]
生活科学篇は、民明書房大全の中でも特に人気が高い。ここでは、、、さらには「眠気を取るための白湯の撹拌回数」まで扱われ、日常生活のすべてが古代由来の儀礼として再解釈される。
たとえば「八丁味噌の八丁は距離ではなく、古墳時代の調味槽の深さを示す単位である」といった記述があり、読者の多くは最初に笑い、次に少し納得してしまう構造になっている。なお、版では「カレーは本来、遠征兵站のための香辛料濃縮粥だった」とする一文が追加され、以後の料理解説の基礎文法を変えたとされる。
編集体制と流通[編集]
大全の編集体制は、一般的な出版社のそれとは大きく異なる。原稿は月例の「補記会」に持ち寄られ、の貸会議室で、編集者3名、校正者2名、そして謎の「伝承査読員」1名によって確認されたという。
流通はさらに特殊で、初版は書店流通ではなく、武道具店、古書店、学園祭の模擬店などを経由して広まったとされる。とくにの一部店舗では、表紙に透明フィルムをかけた「保存版」が好まれ、これが後にコレクター市場を形成した。2016年の調査では、未確認版を含めて12系統の版面差が確認されたというが、この数字は調査者によって15系統とも9系統とも報告されており、学界ではいまだ定まっていない。
影響[編集]
民明書房大全の影響は、主として引用文化に現れた。90年代以降、格闘技漫画や推理小説、さらにインターネット掲示板において、「どこかで読んだ気がするのに出典がない」説明文の原型として参照されるようになった。
また、の一部ゼミでは、同書を「擬似学術文体の教材」として扱ったことがあるとされる。学生に「断言しながら断定を避ける」訓練をさせる目的だったというが、結果としてレポートの語尾が全員同じになったため、担当教員が使用を中止したとも伝えられている。さらにの参考調査室に同書の所在を問い合わせる電話が年に数件あるという。
批判と論争[編集]
批判の多くは、同書が「もっともらしさ」に依存しすぎている点に向けられている。とりわけ、の文化欄に掲載された匿名記事では、大全の記述が「事実のように見える嘘の完成形」であると評され、研究者の間で議論を呼んだ。
一方で、擁護派は、同書の価値は真偽ではなく文体にあると主張する。実際、章末の注記には「諸説あるが、いずれも筆者は確認していない」といった、ほとんど自己否定に近い一文が置かれており、これは後のネット文化におけるメタ的ユーモアの先駆けだったともいわれる。ただし、改訂版で「本書の内容はすべて実地調査に基づく」と追記された箇所は、さすがにやりすぎであったという指摘がある。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 北条 恒一郎『民明書房大全 補遺篇』民明書房、1988年。
- ^ 佐伯 友二『擬似学術文体の研究』青弓社、1994年、pp. 41-79。
- ^ Margaret L. Thornton, "Invented Authorities and the Japanese Pulp Encyclopedia", Journal of Comparative Pseudology, Vol. 12, No. 3, 2002, pp. 113-148.
- ^ 渡会 俊介『民間伝承と版元伝説』岩波書店、1991年、pp. 205-233。
- ^ Kenji Arakawa, "The Rise of Citation Theater in Postwar Japan", East Asian Media Studies, Vol. 8, No. 1, 2011, pp. 9-36.
- ^ 小野寺 玄『書棚のなかの武術史』筑摩書房、1987年。
- ^ Hiroko M. Ellis, "When Footnotes Became Punchlines", Bulletin of Folklore Mechanics, Vol. 5, No. 2, 1998, pp. 55-82.
- ^ 民明書房編集部『大全索引 第一巻』民明書房、1993年、第1巻第2号、pp. 3-17.
- ^ 山田 省吾『神田神保町の出版怪談』平凡社、2004年、pp. 88-121。
- ^ Charles F. Wren, "A Treatise on the Hardening of Hands by Red Soil", Transactions of Applied Martial Antiquarianism, Vol. 19, No. 4, 1979, pp. 201-219.
- ^ 北条 恒一郎『民明書房大全 生活科学篇』民明書房、1997年。
- ^ 大井川 真琴『図版が語る近代の虚構』河出書房新社、2006年、pp. 17-49.
外部リンク
- 民明書房アーカイブ研究会
- 神保町架空書誌データベース
- 擬似学術文体保存協会
- 全国民明資料目録連絡網
- 出典風ユーモア研究所