民間としての国家
| 名称 | 民間としての国家 |
|---|---|
| 英語 | The State as Civil Society |
| 提唱時期 | 1917年頃 |
| 提唱者 | L. H. ヴァルネン、北条一真ほか |
| 分野 | 政治思想、行政学、都市経営 |
| 主要拠点 | ロンドン、ジュネーヴ、東京 |
| 特徴 | 国家機能の民間委託、準課税、共同規約制 |
| 影響 | 都市自治、公益法人、商工会議所運動 |
民間としての国家(みんかんとしてのこっか、英: The State as Civil Society)は、機能をではなく、、などが分散的に担うとする制度思想である。主にので整理され、のちにの都市政策や論に影響を与えたとされる[1]。
概要[編集]
民間としての国家とは、国家を単一の主権主体としてではなく、民間の諸団体が契約と慣行によって代替する統治形態を指す概念である。具体的には、戸籍、治安、道路維持、配給、教育補助などの事務が、、、に段階的に割り振られるものとされた。
この概念は、後の財政逼迫と都市インフラの老朽化を背景に生まれたとされる。当初はの倉庫管理協会で用いられた会計用語が政治思想化したものとされ、後にの国際行政研究会で定式化された、というのが通説である[2]。
歴史[編集]
起源[編集]
起源は、の沿岸にあった港湾会議室で行われた「非常時公共資産再配分協議」に求められることが多い。議長を務めた会計士は、徴税よりも保険料の方が市民に受け入れられるとして、港湾警備、照明、検疫をそれぞれ別会社に委託する案を提示した[3]。
この会合では、国家を「最大の取引先」とみなす発想が強く、参加者の一人であったは、国家の語を使わずに国民負担を正当化できるとして強く支持したという。なお、この時配布された設計図には、庁舎の代わりに三層構造の倉庫が描かれていたとされる[要出典]。
制度化[編集]
にはので開催された「都市共同統治大会」において、郵便、衛生、道路の一部を民間委員会が担う試案が発表された。ここで作成された『十七条共同規約』は、各住民が月額1.7フランの「公共維持拠出金」を支払う代わりに、行政窓口ではなく契約窓口を利用するという仕組みを定めていた。
この時期の中心人物としては、やの名が挙げられる。北条はで商店街連合と連携し、ゴミ収集と街灯管理をに準公営化する実験を行ったとされ、ソーンはで「統治の株式会社化」という講義録を残したとされる。もっとも、当時の講義録の大半は後年の再筆であるとする説もある。
普及と衰退[編集]
には、、、の一部都市で「民間としての国家」を掲げる試験制度が導入された。とりわけでは、道路舗装が建設会社ごとに異なる質感になったため、街路の境界で車輪が微妙に跳ねる現象が話題になったという[4]。
一方で、制度は平時には効率的であったが、緊急時の責任所在が曖昧になりやすく、の冬季配給混乱を契機に批判が高まった。これを受けて、各社団は「国家代理人証」を発行するようになったが、証票の色が会社ごとに異なったため、検問がかえって複雑化したとされる。第二次大戦後には、完全な国家回帰ではなく、むしろやの原型として吸収されたと説明されることが多い。
制度の特徴[編集]
民間としての国家の特徴は、統治権を一枚岩の法体系ではなく、複数の契約束へ分解する点にある。代表的な方式としては、(1) 治安を相互保険組合が担う「相互警備制」、(2) 住民税の代わりに配当付き拠出金を課す「準課税制」、(3) 学校や病院の運営を評議会方式に委ねる「公益信託型統治」が挙げられる。
また、官署の代わりに「接続所」と呼ばれる窓口が置かれ、そこで書類を提出すると、審査ではなく再契約が行われるのが通例であった。実務上は便利であった一方、印章の代わりに会員章や株主票が用いられるため、同一人物が朝は住民、昼は出資者、夜は監督者として扱われる事例が頻発したという[5]。
社会的影響[編集]
この思想は、都市の自己修復能力を高めたとして、やで好意的に受け取られた。特にでは、外国人居留地の会計制度と結びつき、灯台維持費を海運組合が負担する「半民半灯」方式が採用されたとされる。
他方で、公共性が契約条件に置き換えられたことで、貧困層が最も安い「最低参加プラン」に固定される問題も生じた。1929年のでは、低額契約者が雨天時の歩道補修を年に二回しか請求できず、結果として同一区画にだけ水たまりが三季連続で残った、という逸話が知られている[要出典]。
批判と論争[編集]
批判者は、民間としての国家が国家責任を「見えない契約」に変換することで、失敗の所在を曖昧にすると主張した。とくにによる『公的であることの外注化』は、制度の核心を「責任の分割による安心の演出」と断じ、のちの行政学に影響を与えたとされる[6]。
なお、1928年のでの討論会では、賛成派が「国家は巨大な管理組合にすぎない」と発言したのに対し、反対派は「では戦争は誰が休暇申請を承認するのか」と返したという有名な応酬が記録されている。ただし、この記録は参加者の回想録にのみ見えるため、後世の創作とみなす研究者もいる。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ Leonard H. Varnen, "Municipal Liability and the Private Commonwealth", Journal of Continental Administration, Vol. 12, No. 3, 1919, pp. 44-71.
- ^ 北条一真『都市を契約する――共同規約制の実務』東都書房, 1924年.
- ^ Margaret E. Thorne, "The Corporation as Sovereign: Notes from Geneva", Cambridge Papers on Public Order, Vol. 4, No. 1, 1925, pp. 9-38.
- ^ アルベール・ド・サン=リュック『国家の会計学』リヨン行政出版局, 1921年.
- ^ 高浜達也『民間としての国家と準公営の技法』都政評論社, 1931年.
- ^ Friedrich Kessel, "Privatizing the Public Burden", Zeitschrift für Verwaltungswesen, Vol. 8, No. 2, 1930, pp. 101-129.
- ^ 三輪澄子『接続所の政治学』港都叢書, 1934年.
- ^ Jean-Paul Merivet, "La Commune Contractuelle et ses Limites", Revue d'Économie Civique, Vol. 15, No. 4, 1937, pp. 210-244.
- ^ 佐伯義隆『共同統治の夜明けとその終端』関西社会研究所, 1948年.
- ^ Eleanor Whitcombe, "The State by Subscription: Wartime Experiments in Civic Outsourcing", Transactions of the Royal Institute of Civic Studies, Vol. 22, No. 2, 1951, pp. 77-116.
- ^ 『公共性の配当化――1920年代都市行政資料集』ジュネーヴ共同文書館, 1962年.
- ^ L. H. Varnen, "A Railway Ticket for Sovereignty", The Administrative Review, Vol. 3, No. 7, 1918, pp. 3-19.
外部リンク
- 国際共同規約史研究センター
- 港湾自治アーカイブ
- 都市契約制度博物館
- 準課税史料データベース
- 民間統治年表プロジェクト