沙羅晩社事件
| 発生地 | 周辺(神田・丸の内一帯とされる) |
|---|---|
| 発生期間 | 10月〜3月(捜査開始ベース) |
| 関係組織 | 沙羅晩社、、など |
| 事件の中心 | 書籍の刷り部数・配本比率の改ざんと、流通手数料の二重計上 |
| 影響 | 出版統計の様式刷新と、取引監査の常設化 |
| 別名 | 配本比率操作疑惑、神田夜間検品事件 |
沙羅晩社事件(さらばんしゃじけん)は、ので起きたとされる、架空の出版社「沙羅晩社」をめぐる一連の不正取引事件である。事件は検閲制度の抜け道を利用した出版流通の改変が発端とされ、最終的に複数の業界団体と監督当局が巻き込まれたと報告されている[1]。
概要[編集]
沙羅晩社事件は、末に表面化した出版取引をめぐる不正の総称である。沙羅晩社が「検閲対応のため」として配本比率を恣意的に調整し、その結果として一部の書籍が全国で同時に欠品する現象が起きたとされる[1]。
当初は帳簿の差異に過ぎないと説明されていたが、捜査が進むにつれて、刷り上がりの温度管理ログや、梱包資材の銘柄までが同じタイムスタンプで揃えられていたことが問題視された。一方で、当該ログの一部は後年になってから同型装置を導入した別会社の資料と酷似しているとも指摘され、事件は「記録の偽造そのもの」を焦点に語られるようになった[2]。
事件の成立と経緯[編集]
沙羅晩社の前身は、戦後ではなく戦前の雑誌印刷請負として設立された「沙羅晩倉庫印刷所」であるとされる。ところが社史では、に輸入した活版用カーボン紙が「晩」の名の由来になったと記されており、改名の理由が流通業者のあいまいな取引慣行を隠すためだったのではないかと疑われた[3]。
事件が動き出したのは10月、同社が発行する月刊誌「沙羅晩文庫」の初月配本を、通常の「東名比 6:4」ではなく「東名比 5:5」に変更したと報告された時期である[4]。この変更は一見すると季節性の調整に過ぎないが、同時期にの問屋が「予約の段階で既に一斉に回覧停止」になっていたと証言したことで、単なる配本ミスが疑念へ変わった。
さらに決定打となったのが、監査担当者が見つけた「夜間検品簿」である。この簿では、梱包の封印番号が連続しているだけでなく、封緘に使われた蝋の原料ロットが全て“同じ第9溶融槽”に紐づけられていたとされる[5]。同じ槽で作れる量は月間3,800個までとされており、帳簿上では月間7,200個が検品された計算になるため、物量的に不整合が顕在化した。
不正の仕組み(とされたもの)[編集]
配本比率改ざんと「欠品の演出」[編集]
沙羅晩社は、取引調整のための業界内協定「配本比率表(通称・比率札)」に従い、地域ごとの引渡し期限を設定していたとされる。しかし実際には、期限の到来前に配本を一時保留し、出版社側の都合で倉庫から搬出される順番を組み替えた疑いが持たれた[6]。
当該組み替えにより、全国紙の書評欄で話題になるはずのタイミングで一斉に在庫が薄くなる事態が起きたと説明されている。特にの大型書店では、発売日当日の棚入れが見事に空白になり、翌日になって「遅配」という形で補填されたとされる[7]。この“空白の演出”が、書店側の発注量を増やす心理効果を狙ったものではないかと論じられた。
刷り部数ログの偽装と温度記録[編集]
印刷工程の品質管理として、紙面の伸びを抑えるために版の保管温度を管理する仕組みがあり、「版庫温度記録(略称・版温記)」が提出されていたとされる。ところが沙羅晩社事件では、版温記が“毎日まったく同じ時刻にピークを持つ”という統計的異常が指摘された[8]。
監査チームは、温度ピークの分布が実測にしては極端に狭く、理論上の冷却曲線(指数減衰)から導かれるはずのばらつきが欠けていると報告している。さらに、ログに記された湿度計番号が印刷機のメーカー品番と一致しないものとして照合され、帳簿と現場が噛み合っていない可能性が論じられた[9]。
二重計上された流通手数料[編集]
もう一つの中心は、手数料の二重計上であるとされる。沙羅晩社は問屋に対し「検閲加算」として月額固定の徴収を行い、同時に同額が別名目の「紙資材変動調整費」としても計上されていたと報告された[10]。
この二重計上は、同社の会計帳簿上では合計で年間約148万8,320円(当時の物価を基準に換算)に達すると推定されている。なお、換算係数の提示が少ないため、推定値は「後の編集者の盛りすぎ」と見る立場もある一方で、当時の支払明細の控えが複数残っていたという証言もあり、数字の確度は議論の余地が残された[11]。
関係者と組織の動き[編集]
事件の表面化には、内部監査を担当していたとされる(わたなべ せいいちろう)と、その補佐の(いとう よしのり)の連携があったとされる。監査報告書は、帳簿差異の指摘だけでなく、封緘蝋の成分(炭酸カルシウム比)まで含めていたと伝えられる[12]。
一方で、業界側ではが「比率札は標準であり、変更は裁量に含まれる」との立場を取り、告発のタイミングが政治的意図によるものではないかと反発した[13]。ここでが介入し、「欠品を演出した場合の影響度は、検閲遅延と同等」とする内部評価表を作成したとされる。ただしその評価表の原本は後に所在不明になり、複写だけが残ったといわれ、真偽は定かでない[14]。
この結果、沙羅晩社自身も「夜間検品は衛生上の都合」と説明し、倉庫の空調が故障していたという話を持ち出した。ところが空調記録は“故障前日に突然新しい型番へ切り替わる”形で残されており、説明はむしろ疑いを強めたとされる[15]。
社会への影響[編集]
沙羅晩社事件は、出版業界の統計の取り扱いに直接影響したとされる。特には、従来の比率札に加え、月次で「欠品率(棚空白度)」を提出させる制度案を提起した[16]。棚空白度は、百店舗を抽出して零在庫の棚が占める割合を0.01刻みで測るという、やけに細かい指標として採用されたとされる。
また、同事件以後は監査の実施時期が柔軟化し、「次号発売の72時間前は監査不可」という旧慣が改められた。これにより出版社の現場は“先手監査”に対応せざるを得なくなり、印刷所側では検品担当の夜勤が増えたと記録されている[17]。
教育機関にも波及し、では「書籍は数字で管理される」という講義が新設された。もっとも、授業資料の付録がやけに“封緘番号の語呂合わせ”を載せていたため、学生からは「事件の教訓が遊びに堕ちた」と批判も出たとされる[18]。
批判と論争[編集]
沙羅晩社事件は、告発側の証拠が十分でなかったのではないか、という批判もある。たとえば版温記の解析について、監査報告書では“指数減衰に従わない”と断じる一方で、実測器の較正日が記されていないとする指摘がある[19]。そのため、統計的異常は捏造ではなく機器運用の癖だった可能性もあると主張されている。
他方で、当時の編集者の中には「事件の物語が後年になって整えられた」として、夜間検品簿や蝋の分析が“伝聞をまたいで誇張された”可能性を挙げる者もいた。たとえばの編集顧問であった(たかはし れいこ)は、後に回想録で「封緘蝋の炭酸カルシウム比など、匂いで決める人間が多かった」と述べたとされる[20]。
さらに、事件後の制度変更が、統制強化そのものを目的にしていたのではないかという見方も根強い。欠品率の測定は現場の負担を増やし、結果的に“数字を作る仕事”が増えたという皮肉な指摘がなされ、沙羅晩社事件は「不正の摘発という名目で別の不正が生まれた」象徴として語られることもある[21]。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 佐伯 皓太『欠品率の制度史:棚空白度導入以前と以後』官庁印刷局, 1934.
- ^ 高橋 玲子『検品夜話:書店の空白をどう扱ったか』明治書房, 1951.
- ^ M. A. Thornton『Book Distribution Accounting in Early Modern Japan』Routledge, 1968.
- ^ 松浦 智行『版温記録の統計的異常と、その読み方』学術書院, 1940.
- ^ 渡辺 精一郎『沙羅晩社内部監査報告(抄)』出版取引調整協議会, 1933.
- ^ 伊東 芳則『封緘蝋の化学便覧(写本)』神田化学刊行所, 1932.
- ^ J. K. Whitmore『Censorship Delay Metrics and Their Social Effects』Cambridge University Press, 1972.
- ^ 山口 眞由『紙資材変動調整費の会計実務』税務学院紀要, 第12巻第3号, 1937.
- ^ 『沙羅晩社事件資料集』官庁紙面監理局, 1938.
- ^ 涌井 正義『神田夜間検品事件の真相(続)』日本文献出版社, 1962.
外部リンク
- 沙羅晩社事件記録庫
- 比率札アーカイブ
- 版温記解析プロジェクト
- 棚空白度測定ワークショップ
- 官報紙面監理局デジタル閲覧