流れ星掃除隊
| 正式名称 | 流れ星掃除隊 |
|---|---|
| 英名 | Meteor Sweep Corps |
| 活動期間 | 1908年 - 現在 |
| 設置母体 | 内務省 星跡整理局(のち国土環境庁に移管) |
| 本部 | 東京都千代田区神田錦町 |
| 主な任務 | 流星後の灰状堆積物の回収、観測路の整備、町内会への説明 |
| 隊員数 | 全国約1,240人(2023年時点) |
| 標語 | 「落ちる前に、片づける」 |
流れ星掃除隊(ながれぼしそうじたい、英: Meteor Sweep Corps)は、夜空を横切った流星の残光や落下痕を「清掃」するために編成されたとされる、日本の準公共的な巡回組織である[1]。天文観測、道路保全、祭礼後の環境整備が奇妙に結びついて成立した制度として知られている[2]。
概要[編集]
流れ星掃除隊は、流星群の通過後に発生するとされた細粒状の「星灰」を除去し、観測地周辺の安全を確保することを目的としている。実際にはを中心とする観測行事の後片付け部隊として始まったが、やがてや地方自治体、商店街振興組合が連携する半官半民の制度へ発展したとされる。
その業務は、観測路のブラッシング、路面の反射率調整、流星祭で用いられた紙吹雪の回収、さらには「見上げ過ぎによる肩こり」への注意喚起まで含むとされる[3]。なお、隊員は夜間用の白い反射腕章と、掃除道具に見えるが実際には測光器を兼ねる「星屑ほうき」を携行するという。
歴史[編集]
創設の背景[編集]
1908年、下の天文同好会が沿いで行った観測会の後、川辺に残った大量の紙片と煤を「流星の副産物」と誤認したことが出発点とされる。会長のは、翌朝の清掃費が予算を超過したため、内務省に対して「流星は美しいが後始末が要る」とする建議書を提出した[4]。
この建議書が奇妙なことに通り、同年末に星跡整理局臨時班として「流れ星掃除隊」が試験設置された。初期隊員はわずか17名で、うち9名がの退職者、3名が小学校の用務員、残りが天文趣味の銀行員だったと記録されている。
拡張期[編集]
末期から初期にかけて、流星観測会は学校教育と結びつき、各地で「星を見た翌日は道を掃け」という標語が広まった。これにより隊の業務は急増し、1932年には全国で48支隊、延べ隊員数1,860人に達したとされる。
一方で、の一部では「流星の痕跡を消すことは縁起を逃がす」として反対運動が起きた。これに対しの隊員が、掃除をしながら星形の塩を撒く折衷案を提案し、以後、掃除と祝祭が不可分になる独自の文化が形成された。
制度化と近代化[編集]
戦後、流れ星掃除隊はの道路補修班と統合され、1957年に国土環境庁星屑対策室の外郭団体として再編された。ここで初めて、流星後の路面堆積量を測るための「星粉スコア」が導入され、1平方メートルあたり0.8グラム以上を「要重点清掃」と判定する基準が定められた。
1974年には、三鷹キャンパスの協力で、夜間観測時の騒音低減と路面光沢調整を同時に行う新型車両「アルデバラン号」が配備された。ただし、車体の塗装があまりに銀色すぎて、月明かりの下ではむしろ流星に見えるという問題が指摘されている[要出典]。
組織構成[編集]
流れ星掃除隊は、本部の下に「観測路班」「星灰回収班」「祭礼後整理班」「広報説明班」の4班を置く。最も名高いのは星灰回収班で、隊員はの高原地帯やの寒冷地に派遣されることが多い。
班長はおおむね地方公務員出身で、任命時には「夜空を汚すのではなく、地上を整える」という宣誓を行う。なお、広報説明班は自治体住民への説明資料を作成するが、資料の末尾に毎回「流星は清掃対象ではありません」と追記されるため、かえって不安を招くことがある。
主な活動[編集]
主な業務は、観測会場の清掃、街路樹への付着物除去、観測後の人流整理である。また、流星群の到来が予報される時期には、各地の商店街で「星の日特別清掃講習」が行われ、受講者には反射材付きのちりとりが配布される。
1989年の時には、の沿岸部で「星灰」が通常の3.4倍に達したとされ、隊は4日間で延べ612人を動員した。もっとも、実際に回収されたのは花火大会の残渣が大半であったというが、担当者は「宇宙と地域行事の境界は現場では曖昧である」と述べたと伝えられる。
社会的影響[編集]
流れ星掃除隊の普及は、夜空を「鑑賞するもの」から「管理するもの」へと捉え直す契機になったとされる。これにより、観測マナー、夜間照明、観光振興が一体化し、地方自治体では流星群の季節に道路清掃予算が前倒しで計上されるようになった。
一方で、民俗学者のは、同隊の活動が「自然現象に対する日本的な後始末文化」を過度に制度化したものだと批判している。また、のある町では、隊員の巡回後に「星が減った気がする」との住民感情が高まり、1996年には清掃用ブラシの本数をめぐって町議会で6時間に及ぶ紛糾があった。
批判と論争[編集]
最も大きな論争は、流星の「痕跡」が本当に清掃対象となり得るのかという点である。天文学者の一部は、星灰とされるものの多くが地域イベント由来の紙粉であると指摘し、制度の学術的根拠に疑義を呈した[5]。
また、2008年の創設100年記念式典では、の後援を受けたにもかかわらず、式典の最後に隊員全員がほうきを掲げて回転したため、近隣の交通信号が一時的に誤認動作した。これが「宇宙行政の過剰演出」として新聞各紙に取り上げられ、以後は回転動作が半分に制限された。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 渡辺精一郎『流星後処理制度の成立』星跡研究会, 1912年.
- ^ 佐々木恒夫『夜空と道路清掃の交差点』日本都市環境出版, 1934年.
- ^ Margaret L. Thornton, "Meteor Residue Management in East Asian Municipalities," Journal of Celestial Hygiene, Vol. 12, No. 3, pp. 44-71, 1968.
- ^ 高橋道雄『星灰回収班の運用実務』国土環境庁星屑対策室, 1976年.
- ^ Kenjiro M. Hara, "The Reflective Broom and the Urban Sky," Proceedings of the Tokyo Symposium on Night Maintenance, Vol. 5, pp. 201-219, 1981.
- ^ 佐伯澄子『流れ星掃除隊批判序説』月光社, 1994年.
- ^ 加納一志『流星群と町内会—清掃文化の社会史—』中央公論環境新書, 2002年.
- ^ Elizabeth N. Rowe, "Administrative Aspects of Post-Meteor Cleanup," Bulletin of Astral Civic Studies, Vol. 8, No. 1, pp. 7-26, 2009.
- ^ 『流れ星掃除隊百年史』国土環境庁星跡整理局監修, 2010年.
- ^ 中村拓也『アルデバラン号の光学的失敗』、交通信号と夜空の研究, 第4巻第2号, pp. 113-129, 2017年.
外部リンク
- 星跡整理局史料館
- 夜空清掃研究ネットワーク
- 全国流星観測後片付け協議会
- 流れ星掃除隊公式広報アーカイブ
- 星粉スコア基準委員会