海 洋介
| 氏名 | 海 洋介 |
|---|---|
| ふりがな | うみ ようすけ |
| 生年月日 | 1897年3月14日 |
| 出生地 | 三浦郡 |
| 没年月日 | 1964年11月2日 |
| 国籍 | 日本 |
| 職業 | 海相学者、航路設計家、記録編集者 |
| 活動期間 | 1919年 - 1963年 |
| 主な業績 | 「海相学」の提唱、逆算図の作成、海風記録館の設立 |
| 受賞歴 | 、 |
海 洋介(うみ ようすけ、 - )は、の海相学者、航路設計家、海風記録館創設者である。『潮汐を読む男』として広く知られる[1]。
概要[編集]
海 洋介は、近代において「海相学」と呼ばれる独自の分野を築いた人物である。海相学とは、海の色、潮鳴り、風向、塩分の沈着、沿岸住民の睡眠時間を総合して航路と漁期を割り出す学問であり、当時はの一部研究者から半ば冗談として扱われた一方、地方の船主や関係者のあいだでは実用的だと受け取られていた[1]。
海はの小さな廻船問屋に生まれ、少年期にで潮の変化を記録し始めたとされる。のちにの測量補助を経て、独学で「海面の機嫌」を読む方法を体系化し、初期には全国23港の航路改訂に関与したとされている[2]。
生涯[編集]
生い立ち[編集]
海は1897年、三浦郡の浜辺に近い長屋で、父・海辰次郎、母・きぬの長男として生まれた。戸籍上の本籍は内陸のに置かれていたが、本人は「潮の届くところが本籍である」と語ったという。幼少期から波の高さを竹棒の目盛りで測り、満潮の夜にはに向かって石を並べていたと伝えられる。
小学校では算術よりも地理と唱歌を好み、特に「海ゆかば」を聞くと筆圧が一定になるという奇癖があった。地元のの教員・松井清三郎は、海について「この子は天気予報を聞く前に、海のほうから報せを受け取っている」と評したという[3]。
青年期[編集]
、海はに進み、航海術を学んだが、教科書の海図よりも、港ごとの潮鳴りを方眼紙に写し取る作業に熱中した。とくにの第4防波堤付近で記した観測帳は「3年分の潮の愚痴が詰まっている」として同級生のあいだで有名になった。
にはの臨時測量補助員となり、沖の測候資料整理に従事した。この時期、海は気圧よりも「潮の疲労度」を重視すべきだと主張し、上司の少尉から注意を受けたが、のちにその帳簿の精度が認められ、非公式に「海圧係」と呼ばれるようになった。
活動期[編集]
、海はの研究会で「海相学序説」を発表した。これは、海面の色変化を12段階に分類し、さらに沿岸の船員が発するため息の回数を係数化するという方法で、発表当初は奇抜とされたが、での試験運用では、漁期予測の的中率が76.4%に達したと記録されている[4]。
には、とを結ぶ定期航路の再設計に関与し、従来の最短航路よりも「海の癖」に沿った遠回りのコースを提案した。海はこれを「海の機嫌を損ねない航路」と呼び、結果として積荷の損傷率が前年の14.2%から8.1%に下がったと主張したが、気象条件の良化によるものだとする反論もある[要出典]。
以降は戦時下の海洋観測資料の整理にまわり、の仮設研究室で『潮汐逆算録』全7巻を執筆した。ここでは、月齢だけでなく「港の沈黙度」を加味した独自の推算式が用いられており、のちにの内部資料として抜粋転載された。
晩年と死去[編集]
戦後、海はをに設立し、全国から寄せられた漁師・灯台守・港湾労働者の日誌を整理した。収蔵点数は開館5年で12万4,380冊に達し、うち約3割は雨で読めなくなった帳面であったが、海はそれを「湿気の一次資料」と呼んで重視した。
、海はの自宅で死去した。享年67。死去の数日前まで、食卓で味噌汁の表面に現れる油膜の流れを観察していたといい、最期の言葉は「海は、記録されるために荒れるのではない」であったとされる。葬儀は近くで営まれ、参列者の一部が潮位表を焼香代わりに供えたという。
人物[編集]
海は寡黙であったが、質問を受けると必ず「その港では、まず風が誰に挨拶するかを見よ」と答えたとされる。服装はつねに濃紺の詰襟で、胸ポケットには方位磁針ではなく小石を入れていたという逸話がある。
性格は偏屈であったが、実地の観測者には寛大で、漁師が口頭で伝える曖昧な情報を「誤差ではなく情緒」として記録した点が評価されている。また、の台風観測中にの漁村で子どもたちへ干潮の見分け方を即席講義し、その際に黒板代わりの網戸へ数式を書いたという記録が残る。
ただし、自らの理論を守るためなら強引な解釈も辞さず、の蛇行を「海が気分転換をしている証拠」と説明して学会を凍りつかせたこともある。
業績・作品[編集]
海の代表的業績は、海相学の基本書とされる『海相十則』である。ここでは、潮汐、塩霧、月齢、船腹の軋み、港の照明色など十項目を採点化し、合計値から航路の「相性」を判定する方式が示された。とくに第6則「海は人の眠気を見ている」は、後世の港湾労務管理にも影響を与えたとされる[5]。
また、『潮汐逆算録』全7巻は、各地の内湾における潮流の反転時刻を、天文計算ではなく漁具の干き方から推定する試みで、附録の「海鳴り索引」だけで328頁を占める。第二巻の付表には、の波音との波音が同じ記号体系で並記されており、編集者の間で「南北の海を同じ机に座らせた本」と呼ばれた。
さらに、海はの設立者として、記録用紙の湿潤率まで保存対象に含めた。これにより、後年の研究者は紙そのものの縮み具合から観測時の湿度を逆算できるようになったが、実際には海が「乾いた海の日誌は信用できない」として意図的に保管環境を調整していたためである。
後世の評価[編集]
海の評価は生前から分かれた。学術界では疑似科学と見る向きが根強かった一方、港湾実務では「海の勘を数式にした男」として再評価され、にはから功労章を授与された。海相学の一部は、のちに周辺の観測文化へ吸収されたとする説もある。
一方で、以降の海洋工学の発展により、海の理論は「現場感覚の過剰な制度化」と批判されることが増えた。ただし、港ごとの聞き取り資料を体系的に残した点は高く評価され、にで開催された企画展「海洋と編集」において、海のノート原本が来場者の最長滞在展示になったという。
現在では、彼の業績は海洋学史というより、記録文化史、地域知の編成史、そして「真顔で書かれた最良の誤読資料」として研究されている。
系譜・家族[編集]
海の父・辰次郎は浦賀の廻船問屋「海屋」の帳場を預かり、母・きぬは近隣の灯明皿をまとめる内職をしていた。弟の海次郎はで石炭運搬業に就き、姉のとくはで干物商を営んだとされる。
海はにと結婚し、二男一女をもうけた。長男の海文彦は勤務、次男の海夏生は港湾測量会社に勤務し、長女の海波子はのちに記録館の整理員となった。なお、孫の代になると「海」を姓ではなく記号として扱う家風が生まれ、郵便物に波線を描く習慣があったという。
親族のあいだでは、海が遺した「潮位が下がるときほど黙ってメモせよ」という家訓が長く伝えられた。もっとも、本人直筆の家訓集には「家族旅行は必ず満潮後に解散すること」とも書かれており、実務と情緒が混在した家風であった。
脚注[編集]
[1] 『海相学小史』海風出版社、1931年。
[2] 佐伯隆志『港の機嫌と測量術』潮文館、1949年、pp. 44-61。
[3] 浦賀町教育会編『浦賀教育史資料 第12輯』、1928年、pp. 203-205。
[4] Marine Studies Quarterly, Vol. 8, No. 2, 1930, pp. 18-39.
[5] 海洋介『海相十則』帝国海洋院出版部、1934年。
[6] 中村水一「潮流観測における心理的係数」『海軍水路報告』第17巻第4号、1921年、pp. 77-88。
[7] 長谷川芙美『記録する海、記録される人』港湾文化研究所、1978年。
[8] 神奈川県立近代史資料館編『海洋と編集 展示図録』、2021年、pp. 9-14。
関連項目[編集]
脚注
- ^ 海風一郎『海相学の成立と地方航路』潮文館, 1937年.
- ^ 佐伯隆志『港の機嫌と測量術』海鳴社, 1949年, pp. 44-61.
- ^ M. Thornton, "Coastal Mood and Route Design", Journal of Maritime Folklore, Vol. 12, No. 1, 1956, pp. 3-29.
- ^ 浦賀町教育会編『浦賀教育史資料 第12輯』浦賀町教育会, 1928年, pp. 203-205.
- ^ 中村水一「潮流観測における心理的係数」『海軍水路報告』第17巻第4号, 1921年, pp. 77-88.
- ^ 海洋介『海相十則』帝国海洋院出版部, 1934年.
- ^ 長谷川芙美『記録する海、記録される人』港湾文化研究所, 1978年.
- ^ K. Endo, "The Silent Harbour Index", Pacific Studies Review, Vol. 6, No. 3, 1962, pp. 101-118.
- ^ 神奈川県立近代史資料館編『海洋と編集 展示図録』神奈川県立近代史資料館, 2021年, pp. 9-14.
- ^ 田代俊介『海風記録館年報 第一号』海風記録館, 1952年, pp. 1-48.
- ^ 山辺かをる『潮位と睡眠時間の相関に関する一考察』港湾生活研究, 1961年, pp. 55-73.
- ^ A. Bellwood, "On the Quantification of Sea Sighs", Transactions of the Royal Nautical Society, Vol. 21, No. 4, 1948, pp. 201-219.
外部リンク
- 海相学アーカイブ
- 浦賀文化史データベース
- 海風記録館デジタル閲覧室
- 神奈川港湾史研究会
- 潮鳴り索引委員会