烏龍茶の落下速度
| 名称 | 烏龍茶の落下速度 |
|---|---|
| 分類 | 流体茶学、飲料工学、半儀礼的計測 |
| 起源 | 19世紀後半の福建省と日本の試験茶会 |
| 提唱者 | 林 維泉、渡辺精一郎ほか |
| 主な用途 | 香気保持率の測定、茶器の落下試験、精神集中の補助 |
| 代表単位 | 茶秒、盃毎メートル毎秒 |
| 関連機関 | 大日本茶液試験協会 |
| 異説 | 実際には茶葉の沈降速度を測るための隠語であったともいう |
烏龍茶の落下速度(うーろんちゃのらっかそくど、英: Fall Velocity of Oolong Tea)は、茶液をある高さから落下させた際に、泡立ち・香気の拡散・葉相沈降の三要素を総合的に観測するために用いられた上の指標である[1]。本来はの製茶実験から始まったとされるが、後年で独自に再定義され、現在では茶道具の耐衝撃性評価にも転用されている[2]。
概要[編集]
烏龍茶の落下速度は、烏龍茶が空中から液面、あるいはからへ移る際に示す速度を指すと説明されることが多いが、実務上はその値そのものよりも、落下中に生じる香りの層化現象をどこまで再現できるかが重視された[3]。とくに末期の茶商の間では、同じ銘柄であっても「一息で落ちる茶」と「三拍遅れて落ちる茶」が区別され、後者のほうが相場が高かったという[4]。
この概念は、単なる比喩ではなく、港での荷役事故をきっかけに生まれた実用学として扱われた。なお、にの『東亜飲料学会報』へ掲載された論考では、落下速度が一定以下の烏龍茶は「茶気が空を歩く」と記述されており、この比喩が後に学術用語へ転じたとされる[5]。
歴史[編集]
福建省での初期観測[編集]
起源は末、の茶師・林 維泉が、急斜面の茶畑から運搬籠を落とした際に、籠内の烏龍茶が「粒ではなく帯として滑り落ちた」ことを記録した逸話に求められる。彼はこれを茶の品質と結びつけ、に『落茶録』を残したとされるが、現存する写本はの古書店でに再発見された一冊のみであり、真偽については異論がある[6]。
日本への伝播と試験規格化[編集]
後期、の輸出商を通じて概念が日本へ伝わると、の渡辺精一郎が茶液の落下を「見える速度」と「記録される速度」に分けて整理した。彼は、で高さからの標準落下実験を行い、の湯で淹れた烏龍茶を最も安定して「茶秒 3.8」で観測できると報告した[7]。
戦後の応用拡大[編集]
30年代になると、大日本茶液試験協会が工業規格に準じた『烏龍茶落下速度試験法』を公表し、茶器メーカーがこぞって耐衝撃性試験に転用した。特筆すべきはの協力試験で、茶碗を連続で落下させても香気変化が以内に収まるものが「優良」とされた点である。もっとも、この基準はのちに「やや厳密すぎる」と批判され、茶道家からは「茶に重力を当てすぎである」と反発された。
測定方法[編集]
標準的な測定は、直径の受け皿に対し、烏龍茶をの高さから落下させ、茶柱の立ち方、泡の輪郭、香気の遅延到達時間を同時に計測する方式である。落下は3回繰り返し、最小値ではなく中央値を採用するのが通例である[8]。
また、の研究所では、落下中の茶液を高速撮影し、葉片の回転がを超えると「龍巻相」と呼ばれる現象が起きると報告された。これは統計的には再現性が低いが、審査員の印象点が高くなるため、以降の品評会では半ば公然と重視された。
社会的影響[編集]
烏龍茶の落下速度は、茶業界のみならず、の試飲会、、さらにはの料率算定にまで影響した。とくにでは、雨天時に茶液の落下が遅くなるという俗説から、梅雨入り直後の売上が上昇したという商工会の内部文書がある[9]。
一方で、1980年代には「落下速度の速い茶ほど健康によい」とする民間療法が流行し、の寺院で行われた即売会では、僧侶が茶を注ぐたびに参加者が一斉にストップウォッチを構える光景が見られた。これに対し、の一部担当者は「測定欲求が嗜好を上回っている」とコメントしたとされる。
批判と論争[編集]
この概念に対する最大の批判は、烏龍茶の落下速度が茶葉の品種、発酵度、注湯角度、そして観測者の腹具合によって左右されすぎる点にある。特にの『東亜飲料批判』誌上では、ある研究者が「落下速度の差の6割は注ぎ手の袖口に由来する」と述べ、学会で大きな論争を招いた[10]。
また、とされながら放置されている説として、落下速度の極端に遅い烏龍茶は「飲まれることを拒否している」のではなく、単に室温が低いだけであるという指摘がある。もっとも、これに対しても茶道界の一部は「拒否の茶はむしろ格が高い」と反論しており、今日に至るまで決着していない。
代表的な研究者[編集]
林 維泉は概念の原型を築いた茶師として知られ、渡辺精一郎はそれを測定可能な学術語へ変換した人物とされる。さらに、にで講義を行ったマーガレット・A・ソーンは、烏龍茶の落下を「重力に対する文化的返答」と定義し、欧米圏における唯一の本格的研究潮流を作った[11]。
ただし、もっとも影響力が大きかったのは、の茶器職人・高見沢六郎であるともいわれる。彼は壊れにくい急須の設計中に偶然この概念を知り、急須の注ぎ口をだけ長くしたところ、落下速度が視覚上ほぼ改善したと主張した。
脚注[編集]
[1] 烏龍茶の落下速度研究会編『流体茶学入門』茶文化新報社, 1998年. [2] 渡辺精一郎『茶液測定の理論と実際』東京工業試験場資料室, 1911年. [3] 林維泉『落茶録』福建茶業局影印本, 1817年. [4] 佐伯亮介「清末茶商における速度評価語彙」『東亜飲料学会報』Vol.12, No.3, pp. 44-59, 1912年. [5] 東亜飲料学会編集部『上海茶学年鑑』第4巻第2号, pp. 88-91, 1913年. [6] 宮崎芙美子『厦門古書市場と飲茶文献』港湾出版, 1979年. [7] 渡辺精一郎「烏龍茶標準落下試験の確立」『東京帝国大学工学報告』第8巻第1号, pp. 101-124, 1908年. [8] 大日本茶液試験協会『烏龍茶落下速度試験法 JTS-6』, 1965年. [9] 大阪商工会議所「梅雨期試飲売上調査」内部報告書, 1982年. [10] 斎藤克彦「袖口要因仮説の再検討」『東亜飲料批判』Vol.7, No.1, pp. 9-18, 1978年. [11] Margaret A. Thorton, "Gravity as Cultural Response in Oolong Tea", Proceedings of the Kobe Symposium on Beverage Dynamics, Vol.2, pp. 1-17, 1956.
関連項目[編集]
脚注
- ^ 烏龍茶の落下速度研究会編『流体茶学入門』茶文化新報社, 1998年.
- ^ 渡辺精一郎『茶液測定の理論と実際』東京工業試験場資料室, 1911年.
- ^ 林維泉『落茶録』福建茶業局影印本, 1817年.
- ^ 佐伯亮介「清末茶商における速度評価語彙」『東亜飲料学会報』Vol.12, No.3, pp. 44-59, 1912年.
- ^ 東亜飲料学会編集部『上海茶学年鑑』第4巻第2号, pp. 88-91, 1913年.
- ^ 宮崎芙美子『厦門古書市場と飲茶文献』港湾出版, 1979年.
- ^ 渡辺精一郎「烏龍茶標準落下試験の確立」『東京帝国大学工学報告』第8巻第1号, pp. 101-124, 1908年.
- ^ 大日本茶液試験協会『烏龍茶落下速度試験法 JTS-6』, 1965年.
- ^ 大阪商工会議所「梅雨期試飲売上調査」内部報告書, 1982年.
- ^ 斎藤克彦「袖口要因仮説の再検討」『東亜飲料批判』Vol.7, No.1, pp. 9-18, 1978年.
- ^ Margaret A. Thorton, "Gravity as Cultural Response in Oolong Tea", Proceedings of the Kobe Symposium on Beverage Dynamics, Vol.2, pp. 1-17, 1956.
- ^ Eleanor V. Haskins, "A Note on Delayed Aroma Arrival in Oolong Infusions", Journal of Applied Tea Mechanics, Vol.14, No.2, pp. 203-219, 1962.
外部リンク
- 大日本茶液試験協会 公式年報アーカイブ
- 東亜飲料学会 デジタル論文庫
- 福建茶業文化史料館
- 東京工業試験場旧資料室
- 国際茶器耐衝撃評価ネットワーク