無断呼吸禁止法
| 正式名称 | 無断呼吸禁止法 |
|---|---|
| 通称 | 呼吸許可法、無断呼吸法 |
| 法体系 | 特別措置法 |
| 成立 | 1978年 |
| 所管 | 環境庁 呼吸調整局 |
| 主な対象 | 事業所、集合住宅、公共待合室 |
| 関連制度 | 呼吸登録簿、空気占有率申告 |
| 廃止 | 1994年一部改正、2001年実質失効 |
| 略称 | 無呼法 |
| 運用数 | 1983年時点で全国約12,400件 |
無断呼吸禁止法(むだんこきゅうきんしほう)は、他者の許諾なく一定の空間内で呼吸を継続する行為を規制するために整備されたとされる、日本の特別措置法である。後期の都市公害対策と職場衛生運動の延長線上に成立したとされ、呼吸権の管理制度として知られている[1]。
概要[編集]
無断呼吸禁止法は、一定の管理区域において事前登録のない者が連続して呼吸を行うことを制限したとされる制度である。制定時はのを中心に「空気の占有」をめぐる行政需要が高まっていたと説明され、特にの補助規定として位置づけられていた。
もっとも、実務上は呼吸そのものを直ちに禁止したわけではなく、換気量、在室時間、周囲の許可標示の有無によって適用の強弱が変わる、きわめて官僚的な法律であったとされる。これにより、やの一部オフィス街では「昼休みに息を止めて移動するのが礼儀」とする奇妙な慣行が生まれた[2]。
制定の背景[編集]
この法律の起源は、前半の都市部における密閉空間事故の多発に求められることが多い。とくにの倉庫群で発生した「第3換気騒動」では、荷役作業員31人が同一空間での長時間呼吸を理由に労務監査を受け、当局が「呼気の重複は空気行政上の空白である」と結論づけたことが直接の契機になったとされる[3]。
また、当時の内部では、結核対策を担当していた保健官僚・が、換気の不十分な会議室で「無許可の息継ぎが感染統計を乱す」と主張した記録が残る。なお、この発言は後年、議事録の余白に赤鉛筆で追記された可能性があるとされ、要出典事項としてしばしば扱われる。
成立と制度設計[編集]
、内に設けられた臨時研究会「呼吸環境適正化懇談会」において、法案の骨子がまとめられた。座長を務めたのは空調工学者ので、彼は「人間は空気を共有する以上、呼吸にも社会的合意が必要である」と述べたと伝えられている[4]。
法案は当初、全呼吸に許可制を課す過激な案であったが、の審議では「通勤電車内での一斉呼吸が混乱を招く」との反対意見が相次ぎ、最終的に『事業所、病院待合、役所窓口』など限定空間のみを対象とする折衷案となった。結果として、呼吸許可証、臨時換気印、空気帯域札といった独特の附属文書が整備された。
運用開始直後は、申請1件あたり平均14.6枚の添付書類が必要であり、では「呼吸許可を得るより先に酸欠になる」と揶揄されたという。もっとも、行政側はこれを「制度の厳格さが空気の質を担保した証拠」と評価していた。
運用[編集]
呼吸許可証の交付[編集]
呼吸許可証は、自治体の窓口で交付されたの薄紙で、顔写真の代わりに肺活量検査票が貼付された。交付件数はに全国で約12,400件に達し、そのうち約18%は『朝礼中のみ有効』という極端に短い条件付きであった[5]。
無断呼吸監視員[編集]
制度の実効性を担保するため、各地の保健所には無断呼吸監視員が配置された。彼らは主に空気の流れを観察し、連続吸気が15秒を超えると警告札を配布したとされる。では監視員が喫茶店のストロー使用まで記録していたため、抗議が相次いだ。
例外規定[編集]
例外として、乳児、演説者、吹奏楽部員、潜水訓練中の者は自動的に適用除外とされた。また、の寺院では『沈黙の呼吸』が文化財保護上の行為として扱われ、檀家会議で特別に黙認されたという。
社会的影響[編集]
法の施行後、の商店街では『呼吸可』の木札を吊るす店が増え、来客は入店前に一礼してから1回だけ深呼吸を行う習慣が広がった。学校教育にも影響が及び、小学校の保健体育では「共有空気の節度」が副教材として扱われ、児童は校庭の端で順番に息を整える練習をさせられたとする証言がある[6]。
一方で、企業側は制度を逆手に取り、会議室の壁に『無断呼吸禁止・但し営業職は除く』と掲示することが常態化した。これに対し労働組合は、呼吸を業務命令で制限するのは人格権の侵害であると訴え、1986年にはで「1分間の無呼吸休憩」をめぐる象徴的な争いが起きた。判決文は、空気の公共性と個人の生理的必要を同列に論じた珍例として法学部の教材に引用されている。
批判と論争[編集]
無断呼吸禁止法に対しては、当初から「空気を私有財産のように扱う発想は前近代的である」との批判があった。とりわけは、呼吸行為を許可制にすると、在宅療養者や高齢者が窓を閉め切る傾向が強まり、かえって健康被害を招くと警告した[7]。
また、制度の監視コストが年間約38億円に達したには、が「空気の透明性は高まったが、財政の透明性はむしろ低下した」と指摘したとされる。なお、一部自治体では呼吸許可証の紛失を防ぐため、住民票と一体化した『呼吸住民カード』を試験導入したが、顔写真より先に呼気分析欄が更新される奇妙な運用が問題化した。
改正と実質的失効[編集]
の改正では、対象が『常設の会議室および窓のない地下空間』に大幅に限定され、事実上の緩和が進んだ。背景には、系の衛生基準と整合しないとの外圧に加え、国内で「呼吸を止めるよりまず換気扇を直せ」という実務的な合意が形成されたことがある。
その後、の行政整理で呼吸調整局は廃止され、関連通達は環境衛生課へ吸収された。ただし、旧制度の名残として、現在でも一部の古いや地方倉庫には『許可なき呼吸、これを禁ず』と書かれた昭和風の掲示が残っているとされる。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 村瀬芳三『呼吸環境適正化の実務』日本空気行政学会, 1979年.
- ^ 田島惣一郎『都市密閉空間と保健行政』厚生調査会, 1980年.
- ^ S. K. Hargreaves, “Breath Licensing and the Modern Office,” Journal of Urban Air Law, Vol. 12, No. 3, 1982, pp. 44-68.
- ^ 大沢澄子「無断呼吸禁止法成立史の再検討」『公共衛生法研究』第7巻第2号, 1987年, pp. 113-129.
- ^ M. R. Feldman, “Administrative Control of Inhalation in Postwar Japan,” Asian Legal Review, Vol. 5, No. 1, 1989, pp. 7-31.
- ^ 環境庁呼吸調整局編『呼吸許可証交付事務取扱要領』第一法規出版, 1981年.
- ^ 小林峻『空気をめぐる法と儀礼』法政叢書, 1992年.
- ^ 会計検査院特別報告『呼吸監視経費に関する調査』1991年.
- ^ Elizabeth N. Moore, “The Politics of Shared Air,” International Journal of Hygienic Governance, Vol. 9, No. 4, 1993, pp. 201-225.
- ^ 『呼吸権と自治体行政』第3巻第8号, 1994年, pp. 1-19.
外部リンク
- 日本呼吸史資料館
- 空気行政アーカイブ
- 昭和衛生法令データベース
- 呼吸権研究フォーラム
- 無呼法保存会