獄熱日
| 正式名称 | 獄熱日 |
|---|---|
| 読み | ごくねつび |
| 英語 | Gokunetsubi |
| 分類 | 気温区分・熱環境指標 |
| 提唱年 | 1937年 |
| 提唱者 | 辰巳篤郎、マルガレータ・H・ソーン博士 |
| 管轄 | 中央熱候研究会議 |
| 主な対象 | 都市部・盆地・沿岸停滞域 |
| 関連基準 | 湿球温度、夜間熱残留指数 |
| 備考 | 一部自治体で防災判断に準用された |
獄熱日(ごくねつび)は、の区分において、極端な高温と湿度の停滞が同時に一定時間以上継続した日の総称である。では主に系の研究者らによって整理され、都市生活への影響を示す補助指標として用いられてきた[1]。
概要[編集]
獄熱日は、だけでなく、地表近くのと夜間の放熱不全を加味して判定される気温区分である。単なる暑い日とは異なり、日中の熱気が夕刻以降も抜けず、路面・壁面・下水管内に熱が滞留する状態を指すとされる[2]。
この概念はので、夏季の停電と工場労働の事故増加を背景に生まれたとされる。もっとも、当時の公文書には「獄熱」という語はほとんど残っておらず、後年にの研究者が既存記録を再編集して体系化したという説が有力である[3]。
定義[編集]
獄熱日は、原則として3条件を満たす日として定義される。第一に、日中の体感指標が相当を2時間以上継続すること。第二に、夜間最低気温がを下回らないこと。第三に、風速が毎秒1.2メートル未満で、熱の対流がほぼ停止していることである[4]。
ただし、この定義は地域差が大きく、では河川反射熱を加算する「湾岸補正」、では舗装蓄熱を重視する「黒面補正」が採用されたとされる。またでは、同一基準を適用すると年に2日しか該当しないため、特例として「連続蒸散率」を導入したという記録がある。
歴史[編集]
成立期[編集]
起源は夏、の文具問屋街で起きた一連の集団失神事件にさかのぼるとされる。現地調査に入ったは、単に高温であるだけでなく、路面から立ちのぼる湿熱が人体の思考を鈍らせる点に着目し、これを「獄のように逃れがたい熱」と表現した[5]。
同時期、出身の気候学者が来日しており、彼女が持ち込んだ携帯式乾湿計の記録が、後に獄熱日の数値基準の骨格になったとされる。もっとも、ソーン博士が実在したかどうかは、研究会の名簿に1回だけ名前が出るのみで、要出典とされることが多い。
制度化[編集]
にはが設置され、獄熱日を「公衆衛生上の準警戒区分」として運用する案がまとめられた。これにより、学校の始業繰り下げ、電車内冷房の優先配分、屋外演劇の中止判断が一体化されたという[6]。
のいわゆるでは、内で12日連続の獄熱日が記録され、新聞各紙が「舗装が軟化した」と報じた。実際には舗装材ではなく標識用樹脂が変形しただけとする反論もあるが、この誤報が制度拡大を後押しした。
普及と衰退[編集]
には、獄熱日を用いた商業カレンダーが流行した。冷麦業界、扇風機業界、そしてのデパート屋上ビアガーデンが、獄熱日予報を宣伝文句に使ったことで、一般家庭にも語が浸透したとされる[7]。
一方で以降、がより標準化された熱中症警戒情報へ移行したため、獄熱日は学術用語としては次第に影を潜めた。ただし地方紙や古い防災無線では、現在も「本日は獄熱日級の暑さ」といった表現が散見される。
判定方法[編集]
判定には、当初は水銀寒暖計、湿球布、木製百葉箱を組み合わせた簡易装置が用いられた。後年、が開発した「三層式熱残留盤」により、路面・建物外壁・人体表皮の3点を同時測定する方式が標準化された[8]。
測定値はごとに集計されるが、獄熱日の認定はしばしば現場監督の主観に左右されたとされる。とくに祭礼、甲子園予選、終戦記念日式典など人流の多い日は、同じ気温でも「場の熱さ」が加点されたという。
社会的影響[編集]
獄熱日の普及は、都市計画と労務管理に大きな影響を与えた。特にの工場地帯では、獄熱日が年間を超えると夜勤へ移行する「熱避シフト」が採用され、労働組合との交渉材料にもなった[9]。
また、学校では「獄熱黒板消し」と呼ばれる冷却用金属板が配布され、夏の図画工作で使用された。なお、これを頭に当てると集中力が回復するという俗信が広がったが、医学的根拠は確認されていない。
批判と論争[編集]
獄熱日をめぐっては、そもそも科学概念というより行政用の便宜的区分ではないかという批判が根強い。とりわけのにおける会議では、複数の研究者が「獄熱は感情語であり、測定値の分類に不向きである」と反対したとされる[10]。
一方で支持派は、単純な気温では市民の実感を捉えられないとして、路面温度・換気不足・睡眠不足を束ねた複合区分の必要性を主張した。この論争は現在でも、地方自治体の熱対策資料にしばしば影を落としている。
現在の扱い[編集]
現在のでは、獄熱日は公的な気象用語というより、研究史や防災文化を語る文脈で用いられることが多い。とくにの熱環境史研究班は、獄熱日を「都市化が気候を再定義した例」と位置づけている。
なお、にのコミュニティ放送局が「本日は獄熱日です」と誤って放送し、視聴者からの問い合わせが殺到した事件がある。この放送は後に訂正されたが、同局の夏季アーカイブで最も再生された回になったという。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 辰巳篤郎『獄熱日調査報告書』帝国気候学院出版部, 1939.
- ^ Margareta H. Thorn『Notes on Urban Heat Stagnation in Eastern Asia』Journal of Applied Climatology, Vol. 12, No. 3, pp. 201-228, 1941.
- ^ 中央熱候研究会議編『獄熱日判定基準集』東京熱環境協会, 1950.
- ^ 渡辺精一郎『夏季停滞熱と都市生活』風土社, 1959.
- ^ Helen W. Carter『Thermal Residue and Public Alarm Days』Proceedings of the Royal Meteorological Forum, Vol. 8, No. 1, pp. 44-67, 1962.
- ^ 小泉松次『関東獄熱連日事件の記録』関東防災文化会, 1965.
- ^ 山下敬一『舗装面温度と市街地の獄熱化』日本気象文化学会誌, 第14巻第2号, pp. 88-103, 1978.
- ^ A. J. Meredith『The Politics of Heat Classification』City and Climate Review, Vol. 19, No. 4, pp. 310-336, 1987.
- ^ 佐伯奈美『熱避シフトの労務史』労働環境叢書, 1994.
- ^ 国立熱環境試験所編『三層式熱残留盤取扱要領』技術資料第27号, 2003.
- ^ 高橋冬彦『「獄熱」の言語史とその誤用』東京言語文化研究, 第9巻第1号, pp. 5-19, 2011.
外部リンク
- 中央熱候研究会議アーカイブ
- 国立熱環境試験所データベース
- 日本都市暑熱史研究会
- 昭和気候資料館
- 熱語辞典オンライン