生徒の党
| 名称 | 生徒の党 |
|---|---|
| 英語名 | Party of Students |
| 成立 | 1912年 |
| 解散 | 1938年 |
| 本部 | 東京都神田区錦町の旧教材倉庫 |
| 理念 | 校内自治、制服簡素化、試験日程の民主化 |
| 機関紙 | 『週刊ホームルーム』 |
| 関連運動 | 生徒連盟、黒板改良同盟 |
生徒の党(せいとのとう、英: Party of Students)は、においての自治権拡大と規定の再編を掲げて成立した、学生主体の政治結社である。しばしばを通じた選挙運動で知られ、の私立校を中心に一時期強い影響力を持った[1]。
概要[編集]
生徒の党は、初期にとの生徒らを中心に生まれた学生政治運動体である。表向きは校則改正を求める自治会連合であったが、実際には各校のの折り幅、の色、昼休みの配膳順までを選挙で決める独自の運営原理を持っていた。
創設の背景には、の冬に起きた「配布黒板消し紛失事件」があるとされる。この事件で、学級委員が責任を押し付け合ううちに、責任の所在を明確にするための投票制度が考案され、やがて政治結社化したとされる[2]。なお、党名の「生徒」は当初「修身的訓練を受ける者」の意味で用いられていたが、後に一部の新聞が「生徒会の暴走」と誤記し、結果的に世間に定着したという説もある。
機関紙と宣伝[編集]
機関紙『週刊ホームルーム』は、普通の政治ビラと異なり、1面が演説原稿、2面が遅刻者の弁明欄、3面が弁当のおかず格付けで構成されていた。編集長のは、インク節約のため「赤刷りは重要語だけに限定する」という方針を採用し、その結果、号外の半分以上が校則違反の警告文に見える独特の紙面となった。
また、同紙はの印刷所と契約していたが、1920年代以降は活版の代わりに黒板印刷を採用した号がある。これは費用削減のためと説明されたが、実際には党内の書記局が「チョークの字は熱意が伝わる」と信じていたためであり、読者アンケートでは「雨に弱い」との苦情が最も多かった[3]。
思想と綱領[編集]
生徒の党の綱領は、第一に校内自治、第二に制服の合理化、第三に試験日の予告期間を最低十四日に延ばすこと、第四に教員の朝礼挨拶を九十秒以内に制限すること、の四本柱から成っていた。いずれも今日の感覚ではささやかな要求に見えるが、当時は「教壇に対する反逆」として扱われ、関係者からはしばしば問題視された。
とりわけ有名なのが「椅子一票制」である。これは教室内の座席配置を固定せず、学期ごとに投票で決める制度で、窓際が常に人気投票の争点となった。党史家のによれば、1918年の冬には窓際派と廊下側派の争いがエスカレートし、結果として机ごとの連立政権が誕生したという[4]。
一方で、党の理想は必ずしも一枚岩ではなかった。実務重視派は「配膳と点呼の効率」を優先したのに対し、理想主義派は「昼休みそのものの主権」を主張したため、内部ではしばしば深夜までの校庭会議が行われた。議事録には、最長で四時間に及ぶ討論の末、結論が「明日の朝、再検討する」であった例が複数確認されている。
外部リンク
- 生徒の党アーカイブス
- 神田学生自治史研究所
- 週刊ホームルーム電子復刻版
- 校則改革史料館
- 近代制服文化センター