田下 幻妖ノ巫女麻呂
| 氏名 | 田下 幻妖ノ巫女麻呂 |
|---|---|
| ふりがな | たした げんようのみこまろ |
| 生年月日 | 1874年11月3日 |
| 出生地 | 京都府葛野郡嵯峨村 |
| 没年月日 | 1941年8月17日 |
| 国籍 | 日本 |
| 職業 | 民俗学者、呪式設計家、口承文献収集家 |
| 活動期間 | 1896年 - 1939年 |
| 主な業績 | 幻妖巫儀論の提唱、田下式祝詞譜の体系化、東西折衷の祭具分類 |
| 受賞歴 | 帝都民俗功労章、京都文化調査会特別記念牌 |
田下 幻妖ノ巫女麻呂(たした げんようのみこまろ、 - )は、の民俗学者、呪式設計家である。近代の再編期に「幻妖巫儀論」を提唱した人物として広く知られる[1]。
概要[編集]
田下 幻妖ノ巫女麻呂は、後期から初期にかけて活動したの民俗学者である。とくに地方の儀礼を、近代的な分類学と当時流行した音響測定の手法で読み替えたことで知られる。
彼はの旧家に生まれ、の外郭研究会に出入りしたのち、独自に「幻妖巫儀論」を打ち立てた。その学説は・・の境界にまたがるものとされ、当時の研究者からは「異様に精密で、どこか胡乱」と評された[1]。
生涯[編集]
生い立ち[編集]
田下は、の紙問屋の分家に生まれる。幼少期から祖母の口伝をよく書き留め、家の帳場紙にや地鎮の詞章を書き散らしたという。後年の回想録では、七歳のときに近所の祠で「風の向きが変わる音」を採譜したと述べており、この逸話が彼の研究の出発点になったとされる。
また、ごろには周辺の古書店を巡り、失われた祭祀記録を写し集めていた。田下が最初に注目したのは、巫女の所作そのものではなく、所作の前後に生じる沈黙であったといい、この着眼がのちの方法論の奇矯さにつながった。
青年期[編集]
、田下は予備科の聴講生となり、系の民俗採集法と語圏の比較宗教学を並行して学んだとされる。ただし、正式な在籍記録は断片的であり、本人が後年「籍よりも板書の癖が重要であった」と書いたため、研究史上しばしば脚色が疑われている[2]。
この時期、田下はの見世物小屋やの春日講を巡回し、儀礼の録音と筆記を同時に行う「二重採集」を試みた。彼が持ち歩いた蝋管式蓄音機は、重さがもあり、雨天では転倒しやすかったというが、その不便さゆえに逆に現場の緊張を測る指標になったと自著で述べている。
活動期[編集]
、田下は雑誌『』に「幻妖巫儀の音階分布」を寄稿し、一躍注目を集めた。論文では、各地の巫女が発する声をの音型に分類し、特定の地域では由来の旋法との祈禱節が混交していると主張した。なお、彼の用いた分析表は、後にの一部研究者から「統計の体裁をした神秘譚」と批判された。
には、吉野の山間部で行われた調査で、田下は「影巫女」と呼ばれる仮設の儀礼役を記録した。これは祭礼前夜にのみ現れるとされる役で、村落の長老が毎年交代で演じていたというが、現地の証言は一致せず、田下自身が聞き取りの過程で役名を少しずつ変えた可能性がある。もっとも、この不整合がかえって彼の名声を高めたともいわれる。
には周辺の推薦を受け、を受章した。授賞理由は「儀礼の可視化に寄与したこと」とされたが、実際には彼の『田下式祝詞譜』が軍需工場の安全祈願に転用されたことが評価されたとの説もある。
晩年と死去[編集]
晩年の田下は下谷の借家に移り、若手研究者に口述を続けた。彼はごろから「巫儀の衰退は迷信の敗北ではなく、記録形式の敗北である」と繰り返し述べ、記録媒体の刷新に強い関心を示した。特に、和紙ではなくを混ぜた半透明紙を用いるべきだと主張し、これは一部の編集者から「紙質偏執」と呼ばれた。
、田下は歳で死去した。死因は慢性肺疾患とされるが、最期の数か月にわたり「幻妖ノ字形表」を完成させようとしていたため、過労が重なったとも伝えられる。葬儀はの寺院で行われ、参列者の一人が棺前で『田下式祝詞譜』を誤って多く唱え、式場が一時ざわついたという。
人物[編集]
田下は几帳面で寡黙な人物として知られたが、研究会の席ではときおり唐突に方言混じりの比喩を用いた。たとえば「神は図書館の最奥で埃を払う司書のようなものだ」と語ったとされ、この発言は弟子たちの間で妙に流行した。
また、私生活では極端なまでに道具にこだわり、筆記具は本を同時に使い分けたという。朱筆、墨筆、薄青の鉛筆を用途別に持ち替え、現場では「筆先の温度が違う」と言って書き直しを求めたため、同行者の多くが疲弊した。
逸話として有名なのは、のでの講演中、停電により会場が暗転した際、田下が即席で蝋燭の炎の揺れを「逆相の祭祀テンポ」と説明し、そのまま聴衆の拍手を測定したことである。後年、この測定結果は本人の手帳にしか残っていないが、記録は妙に詳細で、拍手回数までと書かれていた。
業績・作品[編集]
幻妖巫儀論[編集]
田下の代表的業績は、前後に整えられた『幻妖巫儀論』である。これは、巫女儀礼を「霊的実体の表出」ではなく「共同体が不安を整流するための演算」と捉える理論で、に的な図式を持ち込んだ点が新しかった。
彼は儀礼を相に分け、各相に対応する身振り・発声・沈黙時間を細かく記録した。とりわけ「袖を左から右へ秒で払う所作」は、東西で意味が逆転する場合があるとして重視されたが、実地では調査対象が風邪をひいていた可能性もあり、現在では慎重な検討が必要とされる。
田下式祝詞譜[編集]
『田下式祝詞譜』は、祝詞を音高・拍・間隔で記譜した独自体系である。楽譜のように見えるが、実際には発話の震えや息継ぎまで記号化されており、の一部では教材として試用された。
この体系は実用面でも影響を及ぼし、にはやの一部神社で祭礼の稽古に用いられたとされる。ただし、田下自身は「本譜は読ませるためでなく、間違えさせるためにある」と述べており、弟子たちの間では半ば冗談、半ば戒律として受け止められていた。
収集活動と刊行物[編集]
田下は調査旅行のたびに「巫儀メモ」と呼ぶ断片ノートを作成し、のちに『』『『』』『『』』などを刊行した。これらは厳密な学術書というより、現地観察と私的感想の混じった異色の記録である。
特に『巫女の歩幅』では、祭祀参加者の歩幅をセンチ単位で測る章があり、読者の笑いを誘う一方、現在の舞踊民俗研究に先駆的であったとする評価もある。なお、同書の図版には、なぜかの海岸線との山道が一枚に収まっており、製版ミスか田下の意図かで長く議論された。
後世の評価[編集]
戦後、田下は一時「疑似学者」として片づけられたが、以降、史の再検討のなかで再評価が進んだ。特にの周辺では、彼の方法が「資料の欠落を欠落のまま扱う」態度を示したとして注目された。
一方で、彼の理論はあまりに独特であるため、今なお賛否が分かれる。支持者は、田下が地方儀礼の微細な差異を丁寧に拾い上げたことを評価するが、批判者は、彼の記録の一部に明らかに地名の取り違えや年代のズレがあると指摘している。とくにの調査表に初期の制度名が混入している箇所は、要出典として扱われることが多い[3]。
系譜・家族[編集]
田下家はの紙問屋「田下屋」の分家筋にあたり、父・田下庄右衛門は帳簿管理に厳しい人物であったとされる。母・おたけは近隣の祭礼に通じ、幼い幻妖ノ巫女麻呂に多くの口承を与えたという。
妻はに結婚した田下とくで、地元の旧家の出身である。とくは夫の研究に理解を示した一方、家計簿には「蝋管」「紙片」「古布」の項目が異様に多かったと記録されている。子は二男一女で、長男の田下静彦はで教員となり、次男の田下稔は収集品の整理を引き継いだ。なお、孫の代に一度だけ「麻呂」という名を戸籍上から外す運動が起きたが、家では結局そのまま通称として残った。
脚注[編集]
[1] 田下家文書整理室『幻妖ノ巫女麻呂年譜草案』未刊写本、1938年。
[2] 京都民俗研究会編『初期会員名簿と出欠控』私家版、1902年。
[3] 田下幻妖ノ巫女麻呂「吉野調査表」『帝都民俗』第14巻第2号、1935年、pp. 41-52。
関連項目[編集]
脚注
- ^ 田下幻妖ノ巫女麻呂『幻妖巫儀論の基礎』帝都民俗社, 1911年.
- ^ 佐伯三郎『近代巫儀の計量化』京都文化研究叢書, 1929年.
- ^ Margaret H. Thornton, "Measured Silence in Shrine Rituals," Journal of Comparative Folklore, Vol. 18, No. 3, 1934, pp. 201-227.
- ^ 小野寺清『田下式祝詞譜の音律構造』東京音楽学会紀要, 第7巻第1号, 1928年, pp. 11-39.
- ^ Karl E. von Reitz, "The Phantom Miko and the Problem of Interval," East Asian Religious Studies Review, Vol. 6, 1937, pp. 88-104.
- ^ 京都民俗研究会編『初期会員名簿と出欠控』私家版, 1902年.
- ^ 田下幻妖ノ巫女麻呂『巫女の歩幅』嵯峨書房, 1931年.
- ^ 中村静枝『儀礼の影と録音機』民俗資料出版, 1964年.
- ^ 田下幻妖ノ巫女麻呂「吉野調査表」『帝都民俗』第14巻第2号, 1935年, pp. 41-52.
- ^ 藤堂一誠『薄墨紙と近代記録術』日本記録文化学会誌, 第3巻第4号, 1972年, pp. 9-28.
- ^ R. S. Kincaid, "When the Footsteps Lied: Tashita and the Ethics of Field Notes," Folklore Method Quarterly, Vol. 9, No. 1, 1988, pp. 1-19.
外部リンク
- 帝都民俗資料アーカイブ
- 京都巫儀研究会
- 幻妖ノ巫女麻呂文庫
- 日本口承計量学会
- 嵯峨古記録デジタル室