田辺てんま
| 名称 | 田辺てんま |
|---|---|
| 別名 | てんま流、天馬書き |
| 成立 | 1827年頃 |
| 創案者 | 田辺玄斎 |
| 発祥地 | 京都市中京区周辺 |
| 用途 | 取材記録、商家の勘定写し、手紙の下書き |
| 主な流派 | 京式、浪花式、電信縮約式 |
| 関連機関 | 大日本筆記史学会 |
田辺てんま(たなべ てんま)は、後期ので成立したとされる、筆記具の持ち手と筆圧を同時に制御するための技法である[1]。のちにの新聞記者らに広まり、近代日本の取材メモ文化の基礎を作ったとされる[2]。
概要[編集]
田辺てんまは、との画数差を利用して、文章の骨格だけを先に書き留めることを目的とした技法である。一般にはの一種に分類されるが、実際には筆記者の姿勢、手首の回転、息継ぎの間合いまで含めた総合的な所作体系とみなされてきた[3]。
この技法は、年間にの紙問屋で帳合いを担当していた田辺玄斎が、算盤と筆を同時に扱うために考案したとされる。もっとも、同時代の文献には玄斎の名はほとんど現れず、後世の期に『忘れられた発明者』として再発見された経緯があるとされている[4]。
成立史[編集]
京坂の帳合文化との関係[編集]
田辺てんまの原型は、の呉服商が用いた「二重書き」の慣習にあるとされる。すなわち、注文書の正文の脇に、品番・色名・納期のみを極端に圧縮して書き込む方法であり、これがのちにの商家へ伝わると、伝票処理の高速化に寄与した。『浪速商報』6月号には、ある番頭が一日で487枚の帳面を処理したという記録があるが、同誌の編集者は後年、筆跡があまりに整いすぎているとして疑義を示している[5]。
新聞記者による再編[編集]
20年代に入ると、の若手記者が、演説会の速記補助として田辺てんまを改変したとされる。特にで行われた政談演説会では、1分間に平均142字を記録したという逸話が残るが、当人はのちに『半分は覚えて書いた』と述べたとされる[6]。この証言を契機に、田辺てんまは「厳密な記録法」から「要点再構成法」へと評価が変化した。
学術化と規格化[編集]
初期にはの国語学研究室が、田辺てんまを音節単位で分類し、記号化する試みを行った。1932年の内部報告書では、基本記号18種、補助記号64種、例外処理9種が定められたとされるが、現存する写本は表紙のみである[7]。このため、後世の研究では『規格が整ったように見えて、実は運用が人に依存していた』ことが田辺てんまの本質であると指摘されている。
技法[編集]
田辺てんまの基本は、子音部を斜線、母音部を点、語尾を払いで表す三層構造にあるとされる。熟達者はこれを紙上で連結し、方言の会話であれば一行を十秒以内に圧縮できたという。
また、田辺てんまには「逆筆」という独特の操作があり、重要語のみ左から右ではなく右から左へ書くことで、原稿の盗用を防いだとされる。もっとも、実際には自分で読み返せなくなるため、熟達者は翌朝に必ず湯気を当てて筆跡を確認したという奇妙な慣習があった。
流派[編集]
京式[編集]
で発達した正統派であり、線の細さと行間の美しさを重視した。茶会の記録や和歌会の議事録に適していたため、文人層の支持が厚かった。一方で、あまりに端正であるため、感情の強い演説を記録すると記号が崩れるという欠点があった。
浪花式[編集]
の商人と記者により洗練された実用派である。数字と固有名詞を優先する設計のため、見た目は粗いが復元性が高いとされた。1911年にはの講習会で受講者73名中61名が一週間で習得したとされ、以後、業界紙では最も普及した形式となった。
電信縮約式[編集]
末期にの技師が考案した応用形で、短い電報文をさらに圧縮して記録するための方式である。1通あたり平均12.4字まで縮めることが可能とされたが、誤読による事故が多く、ある年には『至急帰社セヨ』が『至急帰国セヨ』と解釈され、地方支局が一時混乱したという。
社会的影響[編集]
田辺てんまは、、、の三分野に大きな影響を与えたとされる。とりわけの地方紙編集部では、記者採用試験の一部に田辺てんまの筆記速度が組み込まれ、平均合格率は12%前後で推移したという[8]。
また、戦後の活動では、長い会議の議事録を「てんまメモ」として1枚にまとめる慣行が広まり、役員の間では『田辺てんまが書ければ学級委員が務まる』とまで言われた。なお、この格言は関西圏でのみ流布したとされるが、実際の出典は確認されていない。
批判と論争[編集]
田辺てんまは、簡略化が過ぎるあまり、発言者の意図を恣意的に編集してしまうとして批判も受けた。特にの傍聴記録をめぐっては、ある議員の「検討する」を「決定する」と読める形で残したため、翌日の紙面が大きく訂正されたと伝えられる[9]。
また、田辺玄斎の実在性については現在も論争があり、で見つかったとされる『玄斎筆記覚書』は、紙質が20世紀の洋紙に近いとして真正性を疑問視する声がある。それにもかかわらず、田辺てんまの愛好家は『発明者が誰であれ、速さは真実である』という不思議な標語を掲げている。
現代での扱い[編集]
21世紀以降、田辺てんまは実用技法としてよりも、やで行われる古典筆記講座の題材として親しまれている。特にの一部書店では、万年筆購入者に対して「てんま用下敷き」が添付される企画があり、毎年約2,400枚が配布されているという。
さらに、による自動要約との比較教材としても注目されており、2023年にはの演習で、学生42名中11名が「人間の要約のほうが嘘っぽいが味がある」と回答したとされる。なお、この調査は自由記述式で、集計基準は担当教員の裁量に委ねられていた。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 田辺史朗『田辺てんま成立考』大日本筆記史学会, 1978.
- ^ Margaret A. Thornton, "Compressed Notation in Meiji Pressrooms", Journal of East Asian Paleography, Vol. 12, No. 3, 1991, pp. 44-79.
- ^ 山岡圭介『浪花式速記とその周辺』関西書房, 2004.
- ^ 佐伯みな子「京都帳合文化における省筆法の系譜」『国語史研究』第31巻第2号, 1987, pp. 115-138.
- ^ Harold J. Beecham, "Reverse Penmanship and Information Loss", Proceedings of the Osaka Typographic Society, Vol. 5, 1968, pp. 201-226.
- ^ 森下春樹『昭和初期の筆記規格化政策』中央公論資料センター, 1999.
- ^ 藤堂由里『電信縮約式の誕生と逓信省技術官僚』日本郵便史研究会, 2011.
- ^ Eleanor K. Wren, "The Tenma Memo and Civic Administration", The Kyoto Review of Social Scripts, Vol. 8, No. 1, 2007, pp. 9-31.
- ^ 黒川清一郎『てんま流速記図解』文具と生活社, 1962.
- ^ 『玄斎筆記覚書とその偽装紙』国立記録研究所報告, 第4巻第1号, 2020, pp. 1-18.
外部リンク
- 大日本筆記史学会アーカイブ
- 京都古文書圏デジタル館
- 浪花記録文化研究室
- てんま流保存会
- 近代要約技法資料室