番場龍一
| 氏名 | 番場龍一 |
|---|---|
| 画像 | Blank.png |
| 画像サイズ | 240px |
| 画像説明 | 球団広報誌の表紙に掲載された番場龍一 |
| 愛称 | バンバン |
| 生年月日 | 1987年7月14日 |
| 出身地 | 埼玉県川口市 |
| 身長 | 181 cm |
| 体重 | 84 kg |
| 国籍 | 日本 |
| 背番号 | 9 |
| ポジション | 外野手 |
| 所属チーム | 東都フェニックス |
| 利き手 | 右投左打 |
| medaltemplates | 日本シリーズMVP:1回(2016年) / パシフィック・リーグ首位打者:1回(2016年) |
番場 龍一(ばんば りゅういち、[[1987年]]〈[[昭和]]62年〉[[7月14日]] - )は、[[埼玉県]][[川口市]]出身の[[プロ野球選手]]([[外野手]])。右投左打。[[日本野球機構|NPB]]の[[東都フェニックス]]所属。[[2016年]]の[[パシフィック・リーグ]]首位打者と[[同年]]の[[日本シリーズ]]MVPを獲得したことで知られる[1]。**
経歴[編集]
プロ入り前[編集]
番場は在学中にで野球を始め、当初は捕手であったが、投手の返球より先に走り出す癖が強すぎたため外野手へ転向したとされる。中学時代にはの強豪クラブであるに所属し、1試合で8度の出塁を記録したという記録が残る[2]。
所属チーム別の経歴[編集]
のに属するに入学し、[[2009年]]には春季リーグで打率.412を記録して脚光を浴びた。[[2010年]]のドラフト会議でから3位指名を受けて入団し、同年に一軍デビューを果たした。プロ入り後は一時的に二軍での調整を経て、[[2013年]]にレギュラーを獲得し、[[2015年]]には主将を務めた。
代表経歴[編集]
番場は[[2011年]]のを経て日本代表に初選出され、[[2015年]]のでは4試合連続で適時打を記録した。[[2016年]]のでは外野守備の安定感を買われて代表の中軸に据えられ、決勝ラウンドでの送球が「東京ドームの空気を切り裂いた」と評された[3]。
選手としての特徴[編集]
番場は、左打席から放たれる逆方向への強い打球と、塁間を読まずに一気に加速する走塁で知られている。特に3球目までに仕留める集中力が高く、[[2016年]]には2ストライク後の打率が.389に達したとされる。
守備では、左翼・中堅・右翼のいずれにも対応できるユーティリティ性が評価されており、外野から本塁へのワンバウンド返球が妙に正確であることから、球団内では「測量士」と呼ばれた。一方で、雨天時はグラブの湿りを過度に嫌い、ベンチ裏で新聞紙を18枚も重ねて乾かすため、用具係から注意を受けたことがある。
また、番場のバッティングフォームは極端に体を開かないことで知られ、スイング軌道がの河川敷に残る風向計の動きと一致すると地元紙に報じられた[4]。
人物[編集]
番場は試合前に必ずの老舗食堂で味噌汁を飲む習慣があり、遠征先でも同じ味を求めて粉末だしを携帯していたという。これが試合後半の集中力維持につながったと本人は語っているが、実際には球団栄養士が「塩分が多すぎる」と注意していた。
私生活では読書家として知られ、遠征バスの最後部座席で野球規則集の旧版を読み比べる姿がたびたび目撃された。なお、ルール改正のたびに「打者有利になりすぎている」と独自のメモを提出していたが、採用された形跡はない。
[[2017年]]には地元ので少年野球教室を開き、参加者37人全員に「初球は振るな」という極端に抽象的な助言を行った。受講した児童の1人はその後、県大会で四球を選び続けて準優勝したと伝えられる[5]。
記録[編集]
タイトル[編集]
首位打者:1回([[2016年]])
最多出塁率:1回([[2016年]])
日本シリーズMVP:1回([[2016年]])
表彰[編集]
月間MVP:3回
ベストナイン:4回
ゴールデングラブ賞:2回
埼玉県体育功労章:1回
代表歴・個人記録[編集]
日本代表選出:3回
国際大会通算打率:.327
単年最多安打:187本([[2016年]])
連続試合出塁:41試合
自己ベスト盗塁:28個
出演[編集]
番場は引退前から広告出演が多く、[[2016年]]にはの「朝の一本」キャンペーンに起用された。CM内で彼はバットではなく長ねぎを振っていたが、制作側は「打撃のリズムを可視化する試み」と説明している。
テレビ番組ではのスポーツ番組『球場の窓』に年1回のペースで出演し、解説というよりは独特の間で沈黙することで知られた。また、バラエティ番組『炎の三塁ベンチ』では、打順予想を外し続けた芸人に対して冷静にアドバイスを送り、視聴者から「解説が怖いほど正確」と反響を呼んだ。
なお、[[2018年]]には地方局制作の紀行番組での高校球児を訪ねる企画に参加し、現地でなぜか三振の素振りだけを延々と披露した。ディレクターは「絵になる」と評価したが、番組の本筋とはほぼ無関係であった。
著書[編集]
番場は現役時代から文章を好み、[[2019年]]に初の著書『バットは風を読む』を刊行した。内容は打撃論というより、地方球場の風向き、雨雲の匂い、ベンチの椅子の硬さといった周辺情報に異様な熱量が注がれている。
[[2021年]]には共著で『左打者のための遠回りな思考法』を発表し、打率よりも出塁の「気配」を重視する独自理論を展開した。なお、巻末の付録には自筆による配球メモが34ページも収録されているが、読者の多くは「ほぼ暗号である」と評した。
さらに、球団公式の年鑑に連載したエッセイ『ベンチの外側で』では、との空調差を比較し、空調が打球の回転数に与える影響を半ば本気で論じていた。
背番号[編集]
番場の背番号は、アマチュア時代の9、プロ入り後の14を経て、[[2014年]]から9に落ち着いた。9番を選んだ理由について本人は「外野は9回まで立ち続ける場所だから」と説明したが、球団関係者は「背番号の語呂合わせにしては妙に深い」と困惑したという。
なお、代表戦では24番を着用することが多く、これは当時の監督が「2と4は左右の視野を示す」と独自の理屈で与えたものである。番場はこの番号を気に入り、以後しばらく財布のレシート整理まで24枚単位で行っていたとされる。
脚注[編集]
注釈
[1] 東都フェニックス広報室による2016年シーズン選手名鑑の記述。 [2] 埼玉北リトルシニア創設30周年記念誌の非公式付録より。 [3] 日本代表帯同記者団の回想録には、送球速度が時速142kmに達したとする記述があるが、計測方法は不明である。 [4] 地元紙『川口スポーツ新報』は、打撃フォームと風向計の一致を「偶然の一致とは言い難い」とした。 [5] 児童の進学先と成績の因果関係については要出典である。
出典
- 東都フェニックス編『2016年公式記録集』東都フェニックス球団、2017年。 - 田中肇『外野手の思想史』スポーツ評論社、2020年。 - 佐伯美和『プレーの周辺にあるもの』河川出版、2019年。 - 松岡英樹『日本代表野球の風景』南関東書房、2018年。
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
東都フェニックス公式プロフィール
日本野球機構選手名鑑
川口市スポーツ栄誉賞受賞者一覧
番場龍一オフィシャルファンサイト『9番の風』
球場文化研究会アーカイブ
脚注
- ^ 東都フェニックス編『2016年公式記録集』東都フェニックス球団, 2017年.
- ^ 田中肇『外野手の思想史』スポーツ評論社, 2020年.
- ^ 佐伯美和『プレーの周辺にあるもの』河川出版, 2019年.
- ^ 松岡英樹『日本代表野球の風景』南関東書房, 2018年.
- ^ K. Nakamura, “Late-Inning Contact Profiles of Japanese Outfielders,” Journal of Pacific Baseball Studies, Vol. 12, No. 3, pp. 44-61, 2021.
- ^ 井上俊介『打撃フォームの地域差と風環境』スポーツ地理学会誌 第8巻第2号, pp. 15-29, 2022年.
- ^ M. Thornton, “The Myth of the Nine-Second Outfielder,” Baseball Quarterly Review, Vol. 7, No. 1, pp. 102-118, 2019.
- ^ 川端玲子『プロ野球選手の食習慣に関する聞き取り調査』食と運動研究 第14巻第4号, pp. 201-220, 2020年.
- ^ H. Sato, “Wind Reading and Batting Decisions in Saitama,” The Review of Sports Mechanics, Vol. 5, No. 2, pp. 77-93, 2018.
- ^ 『バットは風を読む』番場龍一, 球団文化出版, 2019年.
- ^ 『左打者のための遠回りな思考法』番場龍一・佐々木譲子, 東都文芸社, 2021年.
- ^ 村山和夫『野球用語の変遷と誤用』、うっかり出版, 2016年.
外部リンク
- 東都フェニックス公式プロフィール
- 日本野球機構選手名鑑
- 川口市スポーツアーカイブ
- 番場龍一オフィシャルファンサイト『9番の風』
- 球場文化研究会