発狂オタク男性冷笑オタク連続天誅事件
| 発生時期 | 2008年春 - 2011年冬 |
|---|---|
| 発生場所 | 東京都千代田区、豊島区、秋葉原、池袋 |
| 原因 | 冷笑文化と同人コミュニティ内の相互監視の激化 |
| 被害 | 掲示板閉鎖12件、同人サークル解散34件、警察相談98件 |
| 関係団体 | 外神田同人安全連絡会、東京メディア研究会 |
| 主要人物 | 灰島リョウ、三浦ユズル、東雲カナ |
| 結果 | ネットスラング『天誅返し』の定着 |
| 関連法令 | 都迷惑行為防止指導要綱(通称) |
発狂オタク男性冷笑オタク連続天誅事件(はっきょうオタクだんせいれいしょうオタクれんぞくてんちゅうじけん)は、からにかけての同人誌即売会周辺および匿名掲示板上で発生したとされる、オタク文化内部の自己批評運動が過激化した一連の事件である[1]。狭義には、冷笑的な男性オタク言説に対する「天誅」と称した連続的な仕返し行為を指すが、広義にはそれを題材にした二次創作的な騒動全体を含むとされる[2]。
概要[編集]
本事件は、に形成された内部の自嘲・冷笑文化が、過剰な相互監視と晒し行為へ転化したものとして語られている。とりわけ、男性オタクが他者の趣味嗜好を「冷笑」する一方で、自身の立場を免責する態度が批判対象となり、これに反発した匿名勢力が「天誅」を名乗って介入したことが特徴である。
事件の実態については、単発の悪質な書き込み群を後年まとめて呼称したにすぎないという説もあるが、夏の周辺で発生した連続的な混乱は、当時の同人誌流通やイベント会場の警備手続きにも影響を与えたとされる[3]。なお、の相談記録では本件に該当する事案は別々の類型で処理されており、学術的には「事件」というより「連続的な文化摩擦」と位置づける研究者も多い。
歴史[編集]
前史[編集]
起源は頃の系匿名板に遡るとされる。ここでは、アニメやゲームへの愛好を公言しつつ、特定作品や女性ファンを嘲弄する投稿が「冷笑オタク」として分類され、反対にそうした態度を揶揄する側が「発狂オタク男性」と呼ばれるようになった。研究者のは、この時期の掲示板文化を「批評と罵倒の境界が溶けた初期の霧」と表現している[4]。
同時期、とでは小規模な同人イベントが増加し、参加者同士の相互評価がSNS上で可視化された。これにより、作品批評が人格批判へ滑り込みやすくなり、特定のサークルに対する匿名の糾弾が半ば儀礼化したという。
事件の連鎖[編集]
4月、外神田のレンタル会議室で開かれたオフ会において、参加者の一人が「冷笑しているのに自分は笑われると激昂する」態度を執拗に追及したことが、最初の「天誅」宣言につながったとされる。これ以降、対象者の掲示板IDやサークル名を公表する投稿が連鎖し、1週間で17件の謝罪文が発生したという記録が残る[要出典]。
夏には周辺で、イベント後に配布された匿名ビラが問題となった。そこには「冷笑は免罪符ではない」と印刷されていた一方、裏面に手書きで「ただし自分は例外」と追記されていたため、受け取った参加者の間で一種のブラックジョークとして拡散した。これが後の『天誅返し』文化の原型とされる。
拡大と沈静化[編集]
になると、事件はネットミーム化し、実際の糾弾よりも「天誅ごっこ」と呼ばれる揶揄的な模倣投稿が急増した。特にのコメント欄や、当時流行していたまとめブログでの脚色によって、事案の具体性は薄れた一方で、象徴としての強度はむしろ増したとされる。
冬、複数の同人サークルが「冷笑対策自主憲章」を発表し、匿名での個人攻撃を禁止したことで、表面的には沈静化した。ただし、規約の第4条にだけ「感情的反撃の抑制に努めること」と書かれており、これが後年まで『怒りの温度管理条項』として引用された。
人物[編集]
灰島リョウ[編集]
灰島リョウは、事件初期に「冷笑オタク」という語を定着させたとされるフリーライターである。彼はの貸し会議室で行われた座談会において、男性オタクが他者の嗜好を笑うことで自己の脆弱さを覆い隠すと述べたが、その発言メモが切り貼りされ、結果的により強い冷笑文化を生んだという逆説が有名である。
なお、灰島は後年、自著『趣味の檻と笑いの檻』の中で「私は止めるつもりだった」と回想しているが、初版のあとがきで同じ文を三回使い回していたことから、編集者のは「この人は謝罪文でもレトリックを優先する」と書き残している。
三浦ユズル[編集]
三浦ユズルは、匿名板で「天誅司令」と呼ばれた投稿群の中心と目された人物である。実名、年齢、居住地のいずれも確定していないが、内の私設サーバーから発信されたという説が強く、1日あたり平均42件の指示投稿を行っていたとされる[5]。
彼の投稿は、対象者を晒すだけでなく、文体の誤字を過剰に指摘することで相手の人格を崩す形式をとっており、当時の若年層の間で「誤字天誅」と呼ばれる模倣が増えた。これは後にSNS上の校正警察文化へ吸収されたともいわれる。
東雲カナ[編集]
東雲カナは、事件の被害者でもあり、同時に最大の記録者でもあった同人活動家である。彼女は、自作の活動報告誌『笑われる側の手帳』を刊行し、晒し被害を受けた側の心理的疲弊を、イベント搬入の重量や差し替え再版の回数まで含めて克明に記録した。
この手帳は、のちにのデジタル展示企画で「匿名暴力の民俗誌」として紹介されたが、展示キャプションの末尾に誤って「笑いの再分配は文化の自浄作用である」と添えられていたため、来場者のあいだで軽い論争が起きた。
社会的影響[編集]
本事件の最大の影響は、オタク文化の内部に「冷笑する側もまた観察される」という自意識を植え付けた点にある。以後、では、作品内容だけでなく告知文の語調やSNSでの発言履歴までが半ば審査対象となり、参加者は冗談のつもりで書いた一文が翌日には検証対象になることを学んだ。
また、頃から大学のメディア論ゼミで本件が取り上げられ、との合同研究会では「笑いの非対称性」と題する報告が行われた。ここで使われた「天誅返し指数」は、対象発言の炎上度を0.0から9.8までで測る独自指標であったが、測定者ごとの恣意性が高く、最終的には飲み会の席順を決めるために使われたという。
批判と論争[編集]
事件をめぐっては、そもそも連続性は後付けの編集ではないかという批判が根強い。実際、の第18巻第2号に掲載されたの論文は、当該事件の多くが別々の炎上案件であり、後年のまとめ記事が一本の神話へ再構成した可能性を指摘している[6]。
一方で、被害者側の記録を重視する立場からは、事案が散発的であること自体が問題であり、断続する嫌がらせを「単発」と見なす姿勢こそが構造的暴力を温存したと反論された。なお、ある自治体の青少年対策会議では、本件を議題にした資料の見出しが「オタク男性の感情的自壊とその周辺」であったため、出席者の半数が内容を開く前に苦笑したと記録されている。
歴史的評価[編集]
後世の研究では、本事件は内部の道徳劇として評価されることが多い。つまり、表向きは言論空間の浄化を掲げながら、実際には別の嘲笑権力を生み出した点である。これはが批判の武器であると同時に、自己防衛の鎧でもあったことを示す象徴例とされる。
また、以降に登場した短文SNSでは、わずか140字程度の投稿が連続天誅の燃料になりやすくなり、事件名そのものが「長いが、最初に見たら忘れないタイプの炎上」として再流通した。2020年代には、若年層の一部がこの事件名を架空のライトノベルタイトルと誤認しており、実際に書店で問い合わせがあったという逸話も残る。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 小笠原恵一『匿名文化における笑いの暴力』青弓社, 2012.
- ^ 山辺千沙『編集という名の天誅』筑摩書房, 2014.
- ^ 斎藤和真「冷笑的言説と自己免責の相互作用」『メディア文化研究』Vol.18, No.2, pp. 44-71, 2013.
- ^ Margaret L. Hearn, “Derision as Social Shield in Fan Communities,” Journal of East Asian Media Studies, Vol. 9, No. 1, pp. 103-129, 2015.
- ^ 三浦ユズル『天誅司令ログ集 2008-2011』外神田文庫, 2011.
- ^ 東雲カナ『笑われる側の手帳』個人出版, 2010.
- ^ 渡会慎一「誤字天誅の民俗誌」『情報文化季報』第7巻第4号, pp. 5-28, 2016.
- ^ N. K. Ellison, “Serial Rebuke and the Aesthetics of Shame,” Contemporary Net Cultures Review, Vol. 4, No. 3, pp. 211-240, 2012.
- ^ 小林修一『冷笑の時代の終わりと始まり』東京出版会, 2019.
- ^ 『オタク男性冷笑語録大全』という本は確認できないが、引用されることが多い。
外部リンク
- 外神田同人安全連絡会アーカイブ
- 東京メディア研究会年報
- 匿名文化資料室
- ネット炎上史研究センター
- 同人社会観測局