百均記憶消失説
百均記憶消失説(ひゃっきんきおくしょうしつせつ)は、の都市伝説の一種[1]。百円均一(通称「百均」)で売られていたはずの品を思い出せなくなる、という話が全国に広まったとされる[2]。
概要[編集]
とは、百円均一店で買った(または手に取った)物の購入情報や、購入時の出来事が、翌日以降に「丸ごと抜け落ちる」と言われる都市伝説である[1]。
噂の核は「安すぎる物ほど、記憶の棚から一段消える」という体感則にあり、恐怖と不気味さを抱えて語られる怪奇譚として流布したとされる[2]。目撃された目撃談では、レシートの金額欄だけが「—」になっていたり、店内で呼び止められた人物の顔だけが思い出せなかったりするという[3]。
また、別称として「百均の棚刳り(たなぐり)」「消しゴム式記憶喪失」「一円単位の忘却」などとも呼ばれる[4]。初出の形式は、匿名掲示板のスレッド「百均で買ったのに、なぜか覚えてない」だと主張する語り手も多いという[5]。
歴史[編集]
起源:『清算前の棚』事件[編集]
伝承の起源として最も語られているのは、にあった架空の企業研修所「神戸勤労清算館」で起きた、とされる1970年代末の怪談である[6]。
研修所には、物品を「棚卸し前に触れた人の記憶を封じる」ための試験運用があった、と言い伝えられている。担当者の(当時、棚卸し監査の非常勤)によれば、「百均と同じ価格帯の小物を使うと記憶の欠落が起きやすい」ことが判明したという[6]。
ただし資料には矛盾もあり、研修所の廃止年が55年とも56年ともされるなど、曖昧さが残っている。噂の段階で「記憶を消すのは妖怪ではなく、監査ソフトだ」という解釈へ寄る語り手もいたとされる[7]。ここが「都市伝説っぽいリアリティ」を生んだと指摘されている。
流布の経緯:インターネットの棚卸し祭り[編集]
全国に広まったのは、2011年の後半、スマートフォンのカメラがレシート撮影で普及し始めた頃だとされる[8]。当時、レシートを撮って確認していた利用者が「金額は写ってるのに、その品が頭から消えてる」と投稿したのが発端だという[8]。
噂は「百均の棚卸し祭り」と呼ばれるまとめサイトの連載形式で拡散したとされ、2013年の春には、の雑居ビルで開催された“怪談ライヴ”にまで持ち込まれたと主張する記録が残っている[9]。
この時期、マスメディアが「心理的忘却の可能性」として扱ったことで、逆に「では“心理”を上回る何かがあるのか」として恐怖が増幅した、と言われている[10]。なお、ブームのピークは同年の8月中旬、投稿数が前月比で約3.2倍になったと報じる者もいる[11]。真偽は定めがたいが、細かい数字で語られるほど信憑性が上がる性質があったという。
噂に見る「人物像」/伝承の内容[編集]
伝承では、百均の棚の前で「考え込んでいる人」が狙われると言われる。噂の語り手は共通して、出没する正体を「妖怪」と表現しながらも、具体像はぼんやりさせる傾向にある[12]。
恐怖の中心は、物を“買う前”に記憶が削られる点である。目撃された目撃談では、店員に「こちらがおすすめです」と言われた直後、なぜか相手の声の主が思い出せなくなる、という恐怖が語られている[13]。言い伝えでは、消えるのは価格でも商品名でもなく、「その瞬間に立ち止まった理由」だとされる[14]。
また、伝承上の現象として「忘却の波」があり、入店から最初の3分間で“前段の記憶”が薄れ、レジ待ちの5分目で“確定した買い物”だけが消える、と説明される[15]。一方で、伝承の中には「購入者ではなく、レジ袋を用意した人の記憶が先に欠ける」という逆転型の言説もあるという[16]。
委細と派生/派生バリエーション[編集]
派生バリエーションとして、棚のどの位置で消えるかに着目した分類がある。とくに“端棚(はしだな)説”では、陳列棚の端から順に記憶が削れるとされる[17]。一部では「端から1.8メートル以内で手を止めると確率が上がる」と、異様に具体的な数字が語られている[18]。
ほかにも「100円の鈴(すず)説」「つめ替えシール欠落説」「二度レシート説」が挙げられる。『100円の鈴説』では、店内アナウンスのチャイム音が“鈴”に聞こえた瞬間、購買の目的が消えるとされる[19]。『二度レシート説』では、レシートを撮影したのに見返すと空白になるという噂がある[20]。
さらに、架空の概念として「百均還元(ひゃっきんかんげん)」が語られることがある。これは、“忘れた分だけ、後で別の支出が増える”という会計的な言い換えで、恐怖の中に生活のリアリティを混ぜる仕掛けになっているとされる[21]。この説は、ネット掲示板で「次にコンビニで同じ金額を使う」と語られた投稿を根拠にしている、と言われているが、検証は困難だという[22]。
なお、地域差も語られ、では「冬季だけ出没する」、では「雨の日に出る」とされるなど、言い伝えは細分化されがちである[23]。
噂にみる「対処法」[編集]
対処法は、恐怖に直面した人が“自力で記憶棚を取り戻す”ための手順として語られる。第一に推奨されるのは「買う前に、買う理由を声に出して1回だけ復唱する」という方法である[24]。
第二に「レシートは財布に入れる前に、左手で1秒だけ折る」と言われる。根拠として「折り目が記憶の軌道を縫い直す」と説明されるが、なぜ左手なのかは不明とされる[25]。ただし実践者の中には、約2年にわたり“折らない派”が被害に遭ったという体験談もあるとされる[26]。
第三に、近くの人と一緒に買うことで「二人分の記憶が拮抗して削れない」とされる。噂の中では、連れの記憶が消えるのではなく、消えた分だけ相手が補完する“相互監査”が働く、と言われる[27]。一方で、対処を厳密に行ったにもかかわらず忘却が起きたという反例もあり、対処法は絶対ではないとされる[28]。
社会的影響[編集]
百均記憶消失説は、軽いパニックと日常の不安を混ぜる形で社会に影響したとされる[29]。噂が強まった時期、百均に限らず「安価な小物を買うこと」自体が疑わしく見られたという[30]。
商店側では、レシートの印字方法を微調整したり、店内で商品番号を大きく表示したりする工夫が検討された、という話が出回った。これに対し、「妖怪対策ではなく、そもそも心理的忘却を減らす運用改善である」と説明する企業広報も現れたとされる[31]。ただし広報のコメントが不自然に硬いことが逆に“何かを隠している”という噂を呼び、ブームを助長したという指摘がある[10]。
学校現場にも影響し、内の一部で「購買の記録はSNSではなく紙で取るべし」という生活指導が行われた、という伝承が残っている[32]。このため、本説は後に“学校の怪談”として語られることがあるとされる[33]。
文化・メディアでの扱い[編集]
文化・メディアでは、百均記憶消失説は「現代の喪失」を象徴する怪談として消費された。テレビの深夜枠では、百円均一店の棚を撮影した特集の後に、視聴者アンケート「最後に覚えているレシートはいつか」が実施されたとされる[34]。
また、ラジオドラマの一話目で「レジの呼び出し番号だけが残る」という描写が入ったことで、噂が“都市伝説の様式”に落とし込まれたと考えられている[35]。小説では、主人公がの百均で出会ったとされる人物の名前だけが消え、手帳の空欄を埋めるために奔走する展開が人気になったという[36]。
一方で、マスメディアの扱いは“啓発”としても“煽り”としても受け止められ、怪談の温度差が問題視されたとも言われる。目撃談の中には「見た直後に店の外へ出るはずが、なぜか館内放送を聞き続けてしまった」といった、不気味さを強調する話が引用されることがある[37]。
脚注[編集]
参考文献[編集]
“棚の空白と記憶の遅延”—百均怪談の社会心理分析, 『日本民俗心理学研究』, 第12巻第4号, 2014年, pp. 77-94.[8]
川村ユリカ『安価品の倫理学:想起の欠落をめぐって』サンド出版, 2017年, pp. 31-58.[11]
渡辺精一郎「棚卸し監査と“記憶棚刳り”の関係」『清算館紀要』, Vol.3, No.2, 1979年, pp. 5-23.[6]
M. A. Thornton, “Microprice Memory Effects in Urban Folklore,” Journal of Everyday Cryptology, Vol.8, No.1, 2015, pp. 101-126.[14]
佐藤直紀「レシート視覚刺激は恐怖を増幅するか」『メディアと記憶』第9巻第1号, 2012年, pp. 44-62.[34]
『全国百均怪談アーカイブ 2013』百均調査会, 2013年, pp. 12-210.[9]
細田ミツル「妖怪と家計:百均還元という会計的寓話」『都市伝説研究叢書』第2巻第7号, 2018年, pp. 210-249.[21]
“Left-Hand Folding Ritual and Recall Repair,” Proceedings of the Uncanny Commerce Symposium, Vol.1, pp. 9-16, 2016.[25]
平野カエデ『学校の怪談:忘却する文具と紙の再生』紙灯社, 2019年, pp. 88-110.[32]
ただし書名の一部に誤植があるとされる『百均の棚刳り図鑑(改訂第二版)』, 棚刳り研究所, 2020年, pp. 1-203.[17]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 渡辺精一郎「棚卸し監査と“記憶棚刳り”の関係」『清算館紀要』, Vol.3, No.2, 1979年, pp. 5-23.
- ^ 川村ユリカ『安価品の倫理学:想起の欠落をめぐって』サンド出版, 2017年, pp. 31-58.
- ^ 細田ミツル「妖怪と家計:百均還元という会計的寓話」『都市伝説研究叢書』第2巻第7号, 2018年, pp. 210-249.
- ^ 佐藤直紀「レシート視覚刺激は恐怖を増幅するか」『メディアと記憶』第9巻第1号, 2012年, pp. 44-62.
- ^ 平野カエデ『学校の怪談:忘却する文具と紙の再生』紙灯社, 2019年, pp. 88-110.
- ^ M. A. Thornton, “Microprice Memory Effects in Urban Folklore,” Journal of Everyday Cryptology, Vol.8, No.1, 2015, pp. 101-126.
- ^ “Left-Hand Folding Ritual and Recall Repair,” Proceedings of the Uncanny Commerce Symposium, Vol.1, pp. 9-16, 2016.
- ^ “棚の空白と記憶の遅延”—百均怪談の社会心理分析, 『日本民俗心理学研究』, 第12巻第4号, 2014年, pp. 77-94.
- ^ 『全国百均怪談アーカイブ 2013』百均調査会, 2013年, pp. 12-210.
- ^ 『百均の棚刳り図鑑(改訂第二版)』棚刳り研究所, 2020年, pp. 1-203.
外部リンク
- 百均怪談タイムライン
- 棚刳り観測ログ(非公式)
- レシート写心リスト
- 学校の怪談 生活指導アーカイブ
- 忘却補完ウェブミラー