盗盗塁王王
| 分野 | スポーツ戦術・記録行政・統計運用 |
|---|---|
| 通称 | 盗盗(とうとう) |
| 主な舞台 | 準公式リーグと地方競技場 |
| 成立時期 | 明治末〜大正初期にかけての記録改定期 |
| 関連概念 | 空塁圧・前走判定・塁権移譲 |
| 論争点 | 判定の裁量と統計偏り |
| 記録方法 | 二重時刻照合(投球前後) |
(とうとうるいおうおう)は、で発達したとされる競技運用用語で、守備側の「移動」を先読みし、投球前に走者を“空の塁”へ押し出す戦術を指す[1]。一見すると野球用語のようであるが、実際には記録技術と統計行政が結びついた社会実装の産物であると説明されている[2]。
概要[編集]
は、通常の「盗塁」よりもさらに手続き的に記述された戦術名として流通したとされる[1]。具体的には、走者が走り出した事実そのものではなく、投球動作の直前に“次に使用されるべき塁”がすでに確定している状態を作ることに主眼が置かれたと説明される。
この用語が成立した背景には、試合を「事象」ではなく「手続き」として整形する潮流があった。すなわち、記録係が報告する情報を統一するため、やのような付随指標が先に定義され、それをまとめて俗に「王王」と呼んだという見方がある[2]。なお、語感に反して、競技規則の改定は系の統計技術講習に触発されたともされるが、一次資料は限定的である。
用語の運用実態は「準公式」であることが多く、地方競技場では独自のルールブックが作られた。たとえばの小規模リーグでは、塁の“所有権”を示す札を投球前に掲示していたとされ、観客がそれを見て走り出す速度を推測したという逸話が残る。
歴史[編集]
記録行政から生まれた戦術体系[編集]
が語られ始めたのは、記録の標準化が進んだ時期である。大正初期、審判員の口頭裁定が会計帳簿と噛み合わないことが問題化し、の講習会では「“判定”は帳簿の行として書け」と繰り返し説かれたとされる[3]。
そこで「盗塁」を単純な進塁として扱うのをやめ、投球前後で二重に時刻を取り、走者の移動を“帳簿上の権限移譲”として表す枠組みが導入された。この二重時刻照合は、投球動作の開始(仮)を基準にし、そこから刻みで記録する手法だったとされる(この値は後にリーグごとに丸められ、曖昧化した)[4]。
さらに、塁の次の使用予定を先取りする考え方が生まれ、空の塁を“押し出す”という表現につながった。これをまとめて「王王」と称した理由については諸説があり、塁の二つの状態(使用中/未使用)を同時に数える“王の二重”に由来するという説が有力である[5]。ただし語源文献は発見されていないとされ、実務者の私的メモに散発的に見られる程度だという指摘がある。
誰が関わり、どう広まったか[編集]
推進役として名前が挙がりやすいのは、スポーツ側よりも計測側の人間である。特にの派遣技師であったは、観測を「誤差の出方ごとに箱詰め」する講義資料を残し、その流れが“塁権移譲”の考え方に転用されたと説明される[6]。
また、地方へ広まった経緯には、試合運営が資金難だった事情がある。地方の大会では審判が足りず、の一部リーグでは、審判の代わりに「札番(ふだばん)」と呼ばれる係が投球前に札を掲げ、その札に従って走者が動いた。この仕組みが結果的に「盗盗塁王王」に似た運用を生み、観客の理解を助けたとされる。
一方で、広まりは“誤差の伝染”も招いた。二重時刻照合は便利であったが、競技場の時計が揃っていない場合、単位で時刻がずれることがあり、そのとき判定が「王王らしさ」を失ったという。皮肉にも、その失われ方が面白がられ、新聞が特集記事を組んだことで全国に知られるようになったとされる[7]。
社会に与えた影響と、記録の“正しさ”問題[編集]
の最大の社会的影響は、スポーツ記録が「勝敗」ではなく「説明可能性」を競う対象になった点にあるとされる[8]。戦術は競技の外部へ波及し、自治体の統計担当が採用した“説明責任の書式”として参照されたという報告がある。たとえばの教育委員会が、運動会のタイム計測で二重時刻の考え方を導入し、児童の記録提出が劇的に増えたとする説明が、のちにスポーツ史の注釈で引用された[9]。
ただし、説明可能性の裏では裁量が残った。とくに「空塁圧」の解釈が審判によって異なり、同じ映像を見ても王王に該当する/しないが変わったという声が出た。これに対し、は「該当性は確率で扱うべき」との指針を出したが、確率がどこまでなら許容されるかは数値化されず、後年の論争につながったとされる[10]。
また、用語の流行が反転して、戦術そのものより“その場で言える”ことが重視される風潮が生じたという指摘もある。ある監督は「盗盗塁王王は技術ではなく説明の技術」と述べ、練習量よりも記録係との打ち合わせを優先したと報じられた。これが功罪の両面で語り継がれている。
運用と特徴(フィールドで何が起きるか)[編集]
の運用は、走者の意思と記録の段取りが同期する点に特色がある。まず投手のセット前に、記録係がの値を読み上げ、次に“使用予定塁”の札を掲示する。その後、走者は合図が出る前にスタートを切るのではなく、「合図が出ると同時に札の状態へ反応する」形で動くとされる[11]。
この戦術の説明では、観客の目に見えるものより、投球前の“微細な遅延”が重要視される。具体的には、走者が離塁してから最初の加速が入るまでにの猶予が必要であるとされ、余裕が大きすぎると“王王”の要件から外れるという[12]。もっとも、このは後に別リーグでへ丸められ、さらに別の地域ではとして伝わったため、実態は揺れていた可能性が指摘されている。
また、勝敗に直結するというより、守備側の動きを誘導する点が強調される。空塁があるのに守備が埋めにいかない場合、相手は“次の塁の所有権”が移るかもしれないと警戒し、結果として本来の守備位置が歪むと説明される。一方で、あまりに成功し続けると相手チームが札制度そのものを嫌い始め、試合運営の軋轢が増えたともされる。
批判と論争[編集]
は、精緻に見えて実は“説明の余地”が残る戦術として批判されてきた。特に「王王に該当する移動」を誰が定義するかが問題となり、と記録係の責任分界が曖昧だったとされる[13]。ある論説では、記録係が読み上げる数字が少しでも大きいと、審判が“安全側”へ寄ってしまい、盗塁成功率が見かけ上で上がると指摘された。
また、統計の問題として、時刻の丸めが偏りを生むことも争点となった。二重時刻照合の方式では、競技場の時計の遅れが一定でない場合、を超えると王王判定が増える傾向がある、とする報告が出たとされる[14]。ただしこの数値は“試算”にとどまり、当時の生データが公開されていないことから、信頼性に疑義があるとされた。
さらに、言葉の流行が戦術の実体を薄めたという批判もある。札制度が“お作法”として定着すると、技術練習が減り、言い回しの上手さが評価されるようになったという。結果として、若手走者の身体能力ではなく、記録係への口頭説明に関する模擬試験が導入されるに至ったとも報じられた。これらの批判は、のちに記録運用の見直しとして結実したとされるが、公式には詳細が語られていない。なお、当時の記録簿が現存する試合が少なく、検証は限定されているとされる。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 渡辺精一郎『二重時刻照合による進塁記録の整形』日本測量協会出版, 1919.
- ^ Catherine L. Morland, 『Quantifying “Base Intent” in Early Sports Administration』Journal of Applied Game Metrics, Vol.12 No.3, 1926, pp.41-67.
- ^ 鈴木周作『塁権移譲と説明責任——競技記録の書式史』東京記録学会, 1931, pp.12-38.
- ^ 田中義文『空塁圧仮説と審判の裁量』審判研究叢書, 第2巻第1号, 1934, pp.5-29.
- ^ Matsuo Kanda, 『Time-Stamp Rounding Effects on Pre-Pitch Decision Rules』International Review of Sport Statistics, Vol.7 No.2, 1938, pp.101-129.
- ^ 【内務省】行政記録局『運動会計測書式の標準案』内務省行政記録局, 1915, pp.3-19.
- ^ 榊原春馬『準公式リーグの札制度——地方競技場の実務報告(仮)』地方競技通信, 1922, pp.77-96.
- ^ Eleanor J. Whitlock, 『Case Studies in Procedural Fairness of Field Decisions』Proceedings of the Civic Sports Method Conference, Vol.3, 1940, pp.220-245.
- ^ 阿部克己『盗盗塁王王の受容史:新聞紙面に見る言葉の拡散』文献風評研究所, 1968, pp.201-233.
- ^ 一ノ瀬礼司『王王判定の確率設計——0.31秒超のとき』スポーツ記録批評, 第5巻第4号, 1972, pp.9-24.
外部リンク
- 王王判定アーカイブ
- 二重時刻照合資料室
- 札番の実務ノート
- 空塁圧仮説研究会
- 地方リーグ運営史サイト