目からよしんば
| 分類 | 修辞的慣用句、誤認表現 |
|---|---|
| 成立 | 1920年代前半ごろ |
| 発祥地 | 東京府本郷区周辺 |
| 主な使用者 | 印刷工、新聞校正者、古典速記者 |
| 構文 | 目からよしんば + 断定句 |
| 語源説 | 視覚と推量の接続をめぐる校正現場の隠語 |
| 関連制度 | 校閲部の臨時内規 |
| 派生 | よしんば返し、逆目読み |
目からよしんば(めからよしんば、英: Mekara Yoshinba)は、で用いられる視覚誘発型の誤認修辞、またはそれを応用した口頭表現である。末期のにおいて、印刷工と速記者の間で生じた「見間違いによる断定保留」の習慣から発展したとされる[1]。
概要[編集]
目からよしんばは、見たものを根拠にしつつも、なお断定をひと呼吸だけ遅らせるための表現である。一般には冗談めいた言い回しと理解されているが、初期には新聞校閲の現場で半ば技術用語として扱われたとされる。
この表現は、視覚情報に対する過剰な確信をいったん反転させる点に特徴がある。たとえば「目からよしんば、彼は来ないだろう」のように用いられ、断定に見せかけた保留、あるいは保留に見せかけた断定として機能する。なお、の言語慣行調査では、1934年時点で東京都内の印刷関係者の18.7%が類似表現を理解していたという[2]。
歴史[編集]
校正机から生まれた語[編集]
起源はの関東大震災後、の活版印刷所における誤植対策会議にさかのぼるとされる。当時、活字の欠落を目視で補う際に、校正者たちが「目で見たが、見たからといって確かではない」という意味の符牒を必要とし、その折に「目からよしんば」と呼ばれる合図が定着したという。
中心人物とされるのは、校正主任のと、速記補助として雇われていたである。田所は、見出しの誤読を2,000件以上も集計していたとされ、三宅はそれを受けて「よしんば」を文頭に置くと断定の角が取れることを発見した。もっとも、この逸話は後年の回想録に依拠しており、一次資料の所在は不明である[3]。
新聞界への流入[編集]
の校閲部では、1928年ごろから「目からよしんば」を、写真記事の説明文における暫定表現として採用したとされる。たとえば、遠景の人物が誰であるか確信できない場合、見出しに「目からよしんば」と付すことで、後日訂正の余地を残したのである。
この用法は一部の編集局に拡散し、の大阪本社でも1931年に確認されたという。ただし、同社の古参校閲者・は「そんな語は聞いたことがない」と証言しており、採用の事実をめぐっては論争が続いている。いずれにせよ、当時の新聞人のあいだでは、写真の信頼性よりも紙面の体裁を優先するための便利な隠語として扱われた。
大衆化と滑稽化[編集]
になると、表現は校閲現場を離れて、落語家や街頭演説家のあいだで半ば洒落として使用されるようになった。とりわけの寄席で活動した二代目が、1957年の高座で「目からよしんば、そうは問屋が卸さない」と言い換えた録音は、後年テープ文化研究の重要資料とされた。
1960年代には、学生運動の討論会で「目からよしんば」を使うことが一種の知的な気取りとして流行した。これに対しの国語学研究室では、表現の意味内容よりも「言った本人がいちばん意味を説明できない」点に注目し、1968年に小冊子『視覚修辞の残骸』を刊行した。発行部数は412部であったが、そのうち97部が学内の複写機で失われたとされる。
構文と用法[編集]
「目からよしんば」は、名詞句というより発話前置詞に近い働きをするとされる。通常は断定文の頭に置かれ、話者が得た視覚情報を「ほぼ確信」に変換する前の緩衝材として機能する。
用法は大きく3種に分けられる。第一に、見たものをそのまま言い切る代わりに一拍置く「確認保留型」。第二に、相手の言い分を一旦受け入れつつ、事実上の反論へ導く「逆接誘導型」。第三に、見たこと自体を揶揄する「自己皮肉型」である。言語学者のは、これらを「視覚に寄生する疑似譲歩」と呼んだが、学会ではあまり定着しなかった[4]。
社会的影響[編集]
この表現は、・・の3領域で異なる命運をたどった。新聞では誤認防止の符丁、演劇では台詞の抜けを誤魔化す即興技法、官庁文書では「意味の曖昧さを残したまま決裁を通す」ための婉曲句として重宝されたとされる。
特にの職員組合の会議録には、「目からよしんば、輸送計画は可変である」と書かれた謎のメモが残っており、これが後の社内標語に転化したという説がある。もっとも、現存する写しは1枚のみで、墨色の濃淡から後年のいたずら書きではないかと疑われている。いずれにせよ、同表現は「見えているのに言い切れない」という日本語的なためらいを象徴する語として、一部の論壇で引用され続けた。
批判と論争[編集]
批判の主眼は、この表現が過度に曖昧で、実質的には内容を持たない点にある。国語評論家のは、1976年のエッセイで「目からよしんばは、断定を避ける知恵ではなく、断定しないまま賢そうに見せる装置である」と述べた[5]。
一方で擁護派は、視覚情報の即断を抑制する倫理があると主張した。とくにの出版社が1982年に出した小冊子『よしんばの作法』では、報道、恋愛、町内会の回覧板に至るまで、あらゆる場面で「目からよしんば」を1回ずつ差し込むべきだと提案されている。なお、この冊子は全28ページながら索引が31ページあることで知られ、編集ミスか意図的な逆説かをめぐり、いまなお議論が絶えない。
派生表現[編集]
派生語としては、「よしんば返し」「逆目読み」「目よしんば」「二度見よしんば」などが確認されている。とくに「よしんば返し」は、相手の推測を受けてさらに推測を重ねる会話技法で、の深夜ラジオで流行した。
また、の商店街では、年末の福引きで空くじを引いた客に対し、店主が「目からよしんばでございます」と言う習慣があったという。これは客の落胆を和らげるサービスとして広まったが、実際には店主側が景品の在庫を把握していないことの言い訳にも使われたらしい。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 田所一之助『校正机の周縁にある語法』青灯社, 1932年.
- ^ 三宅ふさ『速記と誤認のあいだ』東都書房, 1936年.
- ^ 長岡静枝「視覚修辞の残骸」『国語表現研究』Vol.12, No.3, pp. 41-68, 1968年.
- ^ 佐伯千鶴『曖昧さの倫理』葦書房, 1976年.
- ^ 北村定吉「新聞校閲部における符牒の変遷」『新聞学雑誌』第44巻第2号, pp. 15-29, 1979年.
- ^ 松浦健二『口語表現と都市の記憶』みすず出版, 1981年.
- ^ A. R. Whitcomb, “Visual Hedge Expressions in Postwar Tokyo,” Journal of Comparative Lingual Studies, Vol. 8, No. 1, pp. 102-117, 1984.
- ^ 加賀美玲子『よしんばの作法』葦書房, 1982年.
- ^ H. Nakamura, “On the Phrase Mekara Yoshinba,” Transactions of the East Asian Philological Society, Vol. 19, pp. 77-93, 1991.
- ^ 中島康夫『目とことばの近代史』中央語学出版社, 1998年.
外部リンク
- 日本視覚修辞学会
- 東京口語表現アーカイブ
- 校閲史資料室
- 東都ことば研究所
- よしんば文庫