矢木市麻生区
| 名称 | 矢木市麻生区 |
|---|---|
| 所在地 | 神奈川県矢木市北西部 |
| 区制施行 | 1968年7月1日 |
| 区の標語 | 谷戸を測り、段丘を守る |
| 面積 | 41.8 km2 |
| 人口 | 約18万4300人(2024年推計) |
| 区花 | ヤギスミレ |
| 区木 | アオギリ |
| 管掌 | 矢木市麻生区役所 |
| 通称 | 段丘の区 |
矢木市麻生区(やぎしあそうく)は、北西部にあるとされるの行政区画である。地形調査と都市排水の調整を兼ねて編成されたという特殊な成立史を持ち、区内の半数近くが「旧谷戸保全地」として扱われている[1]。
概要[編集]
矢木市麻生区は、に連なる細かな谷戸と、戦後に造成された住宅地が混在する区として知られている。行政上はの最北端に位置し、との境界に接するが、境界線の多くが旧水路に沿っているため、地図上ではしばしば測量者泣かせの区域とされる[2]。
区の成立は、昭和30年代末に行われた「谷戸排水統合計画」にさかのぼるとされ、当初は農地改良のための臨時区域として設定された。ところが、区画整理の際に民家の戸籍台帳と用水路の管理台帳が誤って統合され、のちにそれが正式な行政単位として固定化したという経緯がある[3]。
歴史[編集]
成立以前の麻生台地[編集]
現在の麻生区域一帯は、江戸後期には「麻生台地」と総称される小起伏の畑作地帯であったとされる。『矢木郡村絵図集成』によれば、谷戸ごとに水田の収量が異なり、最も深い谷では一反あたり米ではなく藺草が多く採れたため、年貢台帳に「半農半畳」と記されたという[4]。
明治期に入ると地理局の委託測量が行われ、測量班が誤って同じ尾根上の3集落を一つの村として記録した。これが後の「麻生村連合」と呼ばれる行政上の前身であり、住民の側も学校や消防を共同化したため、結果的に分村の機会を失ったとされる。
区制の施行[編集]
、矢木市は急速な宅地開発に対応するため、北西部の農地と新興住宅地をまとめて「麻生区」とする区制を施行した。このとき都市計画課の担当であった渡辺精一郎は、排水路の維持を最優先にしたため、行政区の境界が学校区、郵便区、選挙区のいずれとも微妙に一致しない形で定められたという[5]。
また、区制施行式では、記念碑の除幕より先に側溝の通水試験が行われ、式典の来賓が全員長靴を履かされたことが知られている。区史ではこれを「機能優先の行政美学」と評しているが、当時の新聞は「やや泥深い門出」と報じた。
再開発と保存運動[編集]
後半には、の延伸を契機として住宅地の高層化が進み、区内の谷戸景観が失われるとして保存運動が起きた。中心となったのは「麻生区谷戸保存同盟」で、彼らは毎年8月に谷底の湿度を測り、その年の平均湿度が72%を超えると「景観危険年」と宣言する独自基準を用いた[6]。
一方で、開発側は「段丘の見晴らしこそ麻生区の価値である」と主張し、住宅供給公社もこれに同調した。結果として、尾根筋のみ3階建て以下、谷戸内は7階建てまで可とする、極めて複雑な建築協定が成立した。この協定は、現在でも不動産業界で「麻生基準」と呼ばれている。
地理[編集]
麻生区の地形は、南北に走る緩やかな尾根と、それを刻む多数の谷戸から成る。特に、、の三地区は、同じ区内でありながら標高差が最大42メートルあり、雨の日には一つの町内会が三つの天気を経験するといわれる。
区内最大の水系は「麻生川」であるが、実際には暗渠、農業用水、都市排水の3種類の水路が重なっており、流路の説明には必ず「旧」「仮」「現」の三段表記が必要である。なお、区の地質は黒ボク土とローム層が交互に現れるため、古い住民は転居の挨拶に「玄関で靴底の土を見てください」と言う習慣がある。
行政と交通[編集]
区役所は地区に置かれ、は住民票発行よりも先に雨水桝の点検票を配布することで知られる。窓口番号にはA、B、Cのほかに「側溝相談」があり、これだけは午後2時以降に受付が停止されるという細則がある[7]。
交通面ではが区の骨格を成し、を中心にバス網が放射状に広がる。もっとも、区内では「駅から遠い」のではなく「坂の向こうにある」と表現されることが多く、地元の不動産広告には必ず徒歩分数に加えて高低差メートルが併記される。これにより、購入前に階段の段数を把握できるという利点がある。
文化[編集]
麻生区の文化は、丘陵住宅地特有の「静かな競争」によって形成されたとされる。各町内会は祭礼で山車を出す代わりに、雨水の流れを最も整然と導けた家を表彰する「排水美コンテスト」を開催し、優勝家には銅製の落ち葉受けが授与される[8]。
また、区内にはの影響で音楽活動が盛んであり、古くから「坂を上るときの息切れがそのまま合唱のビブラートになる」と説明されてきた。これは一見誇張に見えるが、実際に区民合唱団の発声法には、急坂を想定した腹式呼吸の訓練が取り入れられているとされる。
逸話[編集]
区内でもっとも有名な逸話は、の台風接近時に起きた「二重放流事件」である。谷戸調整池の水門を閉じたはずが、旧農業用水の裏ルートが稼働しており、結果として一帯の水位が30分で23センチ下がった。これにより避難所の床下換気が改善し、後年の防災マニュアルに「偶然の排水効果」という項目が追加された[9]。
もう一つは、区制20周年記念で作られた「麻生区歌」が、作曲者の意図より2音高く歌われることが常態化した事件である。住民の多くが坂道で息を切らすため自然にキーが上がるのであり、現在では公式に移調版が存在する。
批判と論争[編集]
矢木市麻生区には、景観保全を重視するあまり開発許可が煩雑すぎるという批判がある。とりわけ2000年代以降、区内の再開発案件のうち約17%が「雨天時の視認性が不足」として差し戻されたことから、事業者側は「行政が天候を審査している」と不満を述べた[10]。
また、区の由来説明についても、「戸籍台帳と用水路台帳の統合が本当に区制の直接原因であったのか」という疑義が地元研究者から出されている。ただし、麻生区公文書館に残る『側溝整理簿』には統合当日の欄が空白になっており、これが逆に議論を長引かせている。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 渡辺精一郎『矢木市北西部の谷戸排水と区制形成』都市地理研究会, 1972.
- ^ 木村咲子「麻生区における旧水路台帳の行政転用」『地方自治史研究』Vol.18, No.4, pp. 41-67, 1981.
- ^ Robert H. Miller, The Suburban Valley Wards of Eastern Japan, Ashford Press, 1989.
- ^ 矢木市史編さん委員会『矢木市史 第6巻 麻生地域編』矢木市, 1994.
- ^ 田口義雄「段丘住宅地と雨水桝管理の相関」『日本都市工学会誌』第27巻第2号, pp. 112-129, 1998.
- ^ Margaret A. Thornton, Drainage as Governance: Municipal Micro-Hydrology in Japan, Cambridge Urban Studies, 2003.
- ^ 川端玲子『麻生区の音楽文化と坂道発声法』白山出版, 2008.
- ^ 斎藤真一「景観条例と建築協定の変形」『神奈川行政法評論』第14号, pp. 9-33, 2012.
- ^ 中野宏『側溝から読む都市史』みずのめ書房, 2016.
- ^ 佐伯由梨「麻生区歌移調版の成立」『地域文化年報』第9号, pp. 77-90, 2020.
- ^ Eleanor K. Vance, The Politics of Quiet Hillsides, Vol. 3, pp. 201-244, Northgate Academic, 2022.
外部リンク
- 矢木市公式区史アーカイブ
- 麻生区公文書館デジタル目録
- 麻生区谷戸保存同盟
- 神奈川都市排水研究センター
- 新百合丘地区まちづくり協議会