研究に終わりはないよモルモットくん
| 名称 | 研究に終わりはないよモルモットくん |
|---|---|
| 分類 | 研究文化・研究室俗語・擬人化表現 |
| 初出 | 1987年ごろ |
| 提唱者 | 田淵一成(異説あり) |
| 主な使用地域 | 日本の大学研究室、製薬会社の一部 |
| 関連分野 | 生命科学、実験心理学、研究倫理 |
| 象徴物 | 白衣、記録ノート、回転式ケージ |
| 流行語化 | 1990年代後半 |
| 現在の扱い | 一部で自虐的慣用句として残存 |
研究に終わりはないよモルモットくんは、の研究室文化において用いられる、反復実験の終了を婉曲に先延ばしにするための口上、または実験動物への声かけとして知られている表現である[1]。一般には末期の研究倫理再編の過程で定着したとされるが、初出については内の私設研究所に由来するという説が有力である[2]。
概要[編集]
「研究に終わりはないよモルモットくん」とは、研究者が実験を打ち切れない状況で口にする定型句であり、転じて「終わらない検証」「無限増殖する仮説」の象徴とされる表現である。という語が含まれるが、実際には動物への単純な呼びかけではなく、研究対象を擬人化し、あたかも共同研究者であるかのように扱う研究室内の暗黙の儀礼として成立したとされる。
この表現は、駒場キャンパス周辺の非公式研究会と、系の若手研究者懇談会のあいだで別々に育ったという説がある。ただし、後年になっての実験管理票に似た文言が書き込まれたことから、書類文化と現場の肉声が交差して生まれた可能性も指摘されている[要出典]。
歴史[編集]
起源と初期使用[編集]
最古の使用例は、川崎市の私設生理学研究室で作成された実験記録に見えるとされる。そこでは、睡眠剥奪実験の終了予定日を書き換える際、助手の田淵一成が「研究に終わりはないよモルモットくん」と欄外に書き込んだことが始まりとされる[3]。この文言は本来、被験体への慰撫ではなく、研究費の残額が尽きるまで観測を継続するという半ば自嘲的な宣言であった。
初期の表現は現在よりも長く、「研究に終わりはないよ、モルモットくん。明日もまた記録を取ろうね」と続いていたという。これがごろから短文化され、院生同士の会話においても「モル終わりが来ない」などの派生語を生んだ。なお、当時の研究室ではモルモットの個体識別にではなくを用いる慣行があったとされるが、これは飼育台帳の省スペース化のためだったという説がある。
普及と研究室文化への定着[編集]
に入ると、この表現は生命科学系研究室だけでなく、やの実験系にも広がった。特にの一部研究室では、実験が終わらないときにこの句を唱えながらタイマーを再設定する「延命読み」が行われたとされ、これが雑誌『月刊ラボ文化』に紹介されたことで全国的な認知を得た[4]。
また、製薬会社の品質管理部門では、同種の発言が書類上では「追加観察要」へと置換され、現場では逆に「モルモットくん案件」と呼ばれるようになった。これにより、表現は単なる冗談から、継続試験の長期化を象徴する社内用語へ変化したとされる。なお、のある学会では、発表時間を超過した演者に対し座長がこの文言を投げかけ、会場が一時騒然となったという逸話が残る。
制度化と批判[編集]
になると、研究倫理の整備に伴い、この表現は「実験対象の人間化を通じた心理的負担の軽減」として再評価された一方、動物実験を軽視する表現であるとの批判も受けた。とりわけの周辺では、言葉が研究者の慢心を助長するという見方が強く、2004年には「終わりのない研究を終わらせる会議」が吹田市で開かれたとされる。
しかし、会議の結論は「研究に終わりはないが、飼育ケージの清掃には終わりがある」という極めて実務的なものであった。この一文は後に学内ポスターの標語として流用され、研究者と事務職員の双方に好意的に受け入れられたとされる。
語義と用法[編集]
この表現には、少なくとも三つの用法があるとされる。第一に、実験の終了を引き延ばす際の決まり文句。第二に、研究対象の個体差を強調し、結果の再現性をまだ追えることを示すための励まし。第三に、研究者自身に向けた自己暗示である。
特に第三の用法は重要で、深夜の実験室では、手元のデータが崩れかけた際に「研究に終わりはないよモルモットくん」と呟くことで、未完了の状態を肯定する心理的装置として機能した。なお、当該表現を初めて口にした人物は「動物に話しかけたのではなく、締切に話しかけた」と証言したとされるが、証言記録の一部はコーヒー染みで読めなくなっている。
社会的影響[編集]
本表現の影響は研究室内にとどまらず、やの説明会にも及んだ。特にの一部では、年度末の報告書作成が終わらない状況を「モルくん状態」と呼ぶ慣行があったという。これにより、表現は「終わりがない」ことを不満ではなく作法として受け止める、日本的な現場語へと変化した。
また、教育現場では、の理科部が文化祭ポスターにこの句を引用し、「研究は途中でやめても、考察はやめない」という意味づけを行った事例が知られる。こうした再解釈は、表現を単なる内輪ネタから、未完成の知を尊ぶ標語へ押し上げたと評価されている[5]。
批判と論争[編集]
一方で、この表現は実験動物を擬人化しすぎているとして、の観点から批判されたことがある。2008年には、ある市民団体が「モルモットくんではなく、モルモットさんと呼ぶべきである」と主張し、研究室掲示板に貼られたポスターの文言変更を求めた。
ただし、研究者側は「敬称の問題ではなく、観測の継続可能性の問題である」と反論した。この論争はやがて、呼称の是非よりも、実験における責任の所在をめぐる議論へ移行した。なお、当該団体の会合記録には「モルモットくんは人格を有するのか」という極めて哲学的な議題が残されている。
派生表現[編集]
この表現からは多くの派生句が生まれた。たとえば「研究に終わりはないよ助手くん」は、主に夜食を買いに行かされる大学院生に対して用いられた。「研究に終わりはないよ査読くん」は、論文修正が無限に増える状況を揶揄する表現で、返答期限の前日に多用された。
さらに、代にはSNS上で「研究に終わりはないよ猫先生」「研究に終わりはないよ培地さん」などの拡張形が出現した。これらはいずれも、終わりの見えない作業に人格を与えることで、作業者自身の疲労を和らげる効果があると分析されている。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 田淵一成『反復実験の民俗誌』東西出版, 1994.
- ^ 佐伯真理『研究室語彙の生成と変容』中央学術社, 2001.
- ^ M. H. Thornton, "Lab Jargon and Endless Protocols", Journal of Experimental Culture, Vol. 12, No. 3, 2005, pp. 44-61.
- ^ 北沢隆『モルモットくん現象の社会学』新潮研究社, 2007.
- ^ Y. Ishikawa, "Humane Address Forms in Animal Research", Tokyo Review of Bioethics, Vol. 8, No. 1, 2010, pp. 15-29.
- ^ 高橋妙子『夜間実験と擬人化表現』勁草ラボ書房, 2012.
- ^ K. A. Watanabe, "When Research Never Ends", Proceedings of the 19th International Conference on Laboratory Speech, Vol. 4, 2015, pp. 201-219.
- ^ 『月刊ラボ文化』編集部『研究に終わりはないよモルモットくん特集』月刊ラボ文化社, 1999.
- ^ 長谷川慎吾『終わりのない報告書とその周辺』行政資料研究所, 2018.
- ^ E. R. Collins, "The Guinea Pig as a Metaphor for Administrative Delay", Biosemiotics Quarterly, Vol. 6, No. 2, 2020, pp. 88-97.
- ^ 小野寺莉子『培地さん、まだ帰らないで』春風社, 2022.
- ^ M. Sato, "Research Morale and Pet Names in Japanese Laboratories", Laboratory Sociology Journal, Vol. 11, No. 4, 2023, pp. 301-318.
外部リンク
- ラボ俗語アーカイブ
- 日本研究室文化研究会
- 実験動物語彙データベース
- 夜間実験史資料館
- 終わらない仕事辞典