神奈川県立立命館アジア太平洋大学院大学附属鹿児島高等学校中学校いちき串木野分校
| 正式名称 | 神奈川県立立命館アジア太平洋大学院大学附属鹿児島高等学校中学校いちき串木野分校 |
|---|---|
| 略称 | 神奈川附属いちき分校 |
| 種別 | 中等教育・前期後期一貫校 |
| 設立 | 1987年 |
| 所在地 | 鹿児島県いちき串木野市浜田町 |
| 学区 | 南九州臨海特区 |
| 校訓 | 海を学び、県境を越える |
| 特色 | 国際航路模擬課程・鰹節経済学 |
| 姉妹機関 | 神奈川県立相模湾実習校 |
| 公式記録上の在籍者数 | 中学部84名、高等部127名(2023年度) |
神奈川県立立命館アジア太平洋大学院大学附属鹿児島高等学校中学校いちき串木野分校は、に存在するとされる中高一貫の学際教育機関である。名称の長さからしばしば省庁間の合同事業と誤解されるが、実際には末期の離島・湾岸地域振興策から生まれた特殊校であるとされる[1]。
概要[編集]
神奈川県立立命館アジア太平洋大学院大学附属鹿児島高等学校中学校いちき串木野分校は、がに設置したとされる越境型の公立学校である。校名に・・・・・・・が連結されており、教育行政の限界を試す存在として知られている[2]。
設置の名目は、沿岸の港湾労働と地域文化を統合的に学ぶ「海洋複合教育」の実証であった。しかし、実際には県境をまたぐ補助金の書類処理を簡略化するため、名称を長くすることで各種認可印を1つの欄に収めたことが始まりとされる。この発想を提案したのは、当時の企画課にいた渡会俊一郎と、側の臨時顧問であった黒岩ミドリであった[3]。
成立の経緯[編集]
海上実習校構想[編集]
学校の起源は、前半に行われた「湾岸学習モデル地区」調査にさかのぼるとされる。当初は沿岸に小規模な実習施設を置く案であったが、の噴火観測との漁業近代化が偶然接続され、南九州に本校機能を移転する方針が採られた。移転記録には「潮位が学籍簿より優先する」との謎の一文があり、後年になっても説明不能である[4]。
校名の統合騒動[編集]
、統合先候補として挙がっていたとの連携協定案が流出し、校名が異常に長文化した。文部行政担当者の間では、当初「長すぎて電算処理に入らない」と反対が強かったが、反対派が出した代替案の方がさらに長くなり、結果として現行名が採用されたと伝えられる。なお、この時に作成された稟議書は全43枚で、うち17枚が校名の確認だけに費やされていたという[5]。
教育課程[編集]
教育課程は中学部3年・高等部3年の6年制であるが、実際には「航路学」「塩害植物学」「港湾算術」など、通常の教科と並列に独自科目が置かれていた。とくに港湾算術は、入港船舶数と生徒の遅刻回数を同じ表に記入する授業で、地域統計の理解に役立つとして評価された[6]。
また、系の国際教育理念を受け継いだとされ、英語・日本語・薩摩方言・無線符号の四言語教育が実施された。外国語会話の試験では、自己紹介の代わりに潮見表を朗読する慣習があり、これが海外姉妹校から「異様に実用的である」と評されたという。なお、同校の卒業生の一部は、やの港で保税書類の読解業務に従事したとされる[7]。
校風と行事[編集]
潮位式入学式[編集]
毎年4月の入学式は、校庭ではなく港の防波堤で行われた。式の開始時刻はの干満に合わせて決められ、満潮が遅れる年には式典そのものが1日延期された。1994年には強風で来賓席が海に近づきすぎ、来賓が実際に「海に入学するところだった」と新聞に書かれたことがある。
鰹節研究発表会[編集]
文化祭では「鰹節研究発表会」が名物であり、各学年が削り節の厚さ0.1ミリ単位を競った。1998年の大会では、3年B組が祖父の代から保管されていた鰹節を持ち込み、審査員が保存年数を評価に加算したため優勝した。しかし後日、その鰹節が実はの土産店からの借用品であることが判明し、学校内で小規模な倫理論争を引き起こした[8]。
社会的影響[編集]
本校は、の地方教育に「県境をまたぐ発想」を持ち込んだ最初期の事例として語られている。これにより、近隣のやでも「他県の教育理念を借りる」小規模連携校が相次いだとされるが、実際には看板の色を変えただけだったとの指摘もある。
一方で、同校の卒業生が港湾管理、観光案内、漁協会計、そしてまれに国際会議の配膳係として活躍したことから、地域住民の間では「普通の進学校より就職先の説明が長い学校」として親しまれた。2011年には同窓会が発行した記念冊子がの倉庫で誤って見つかり、行政文書か同窓会誌か判別できないとして話題になった[9]。
批判と論争[編集]
校名の長大さについては、開校当初から批判が絶えなかった。特にの一部会員は「一息で読めない名称は教育的ではない」と指摘したが、学校側は「読み切ること自体が国語教育である」と反論したとされる。
また、には校門の表札に入りきらなかったため、校名が3行に分割され、そのうち2行目だけが風で飛ばされてしまった事件がある。この事件以降、同校では公式文書において略称を使用する慣行が広まったが、略称が『神奈川附属いちき分校』から『KAPGU鹿中いち串分』まで乱立し、かえって混乱したともいわれる[10]。
沿革[編集]
前史[編集]
、の教育視察団がの漁港を訪れた際、視察記録の末尾に「教育は港より来る」という走り書きが残された。これはのちに校是に転用され、創設者たちの精神的原点とされている。
開校後[編集]
の開校時、生徒は中学部22名、高等部18名で始まったとされる。初年度は教室不足のため、図書室・職員室・舟小屋が互いに兼用され、理科実験は防潮堤の上で行われた。1989年には初の海外研修としてへの「半日航路実習」が実施され、帰国時に生徒の半数が船酔いではなく時差を理由に欠席扱いになった。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 渡会俊一郎『湾岸教育と県境行政の交錯』海鳴書房, 1991, pp. 41-68.
- ^ 黒岩ミドリ『南九州臨海特区の設計』地方自治研究センター, 1988, pp. 12-39.
- ^ 佐伯由紀夫『長大校名の社会史』教育電算学会誌 Vol. 14, No. 2, pp. 77-91, 2004.
- ^ 松田久美子『港湾算術入門』潮文社, 1999, pp. 5-24.
- ^ T. Watanabe, 'Cross-Prefectural Schools and the Politics of Tide', Journal of Coastal Pedagogy Vol. 3, No. 1, pp. 1-19, 1992.
- ^ M. H. Sakamoto, 'Kagoshima Branch Campuses in the Late Shōwa Period', Asian Educational Review Vol. 9, No. 4, pp. 201-230, 2001.
- ^ 『神奈川県立立命館アジア太平洋大学院大学附属鹿児島高等学校中学校いちき串木野分校 校史要覧』いちき串木野分校資料室, 2007, pp. 3-112.
- ^ 石川玲子『鰹節経済学の成立と展開』南方教育叢書, 2010, pp. 88-104.
- ^ H. K. Fujimoto, 'Administrative Overlength in Japanese School Naming Practices', Pacific Bureaucracy Quarterly Vol. 22, No. 3, pp. 55-73, 2015.
- ^ 『潮位と試験日程の相関に関する覚書』鹿児島県臨時教育委員会, 1995, pp. 1-17.
外部リンク
- いちき串木野分校資料室アーカイブ
- 南九州臨海教育史研究会
- 長大校名保存協議会
- 港湾算術普及委員会
- 県境越境学校連盟