福岡不快指数事件
| 発生時期 | 1978年7月下旬から8月上旬 |
|---|---|
| 発生地 | 福岡県福岡市・北九州市・久留米市 |
| 種別 | 気象指標異常、行政混乱、商業影響 |
| 原因 | 海風層の反転と市街地照り返しの複合要因とされた |
| 提唱者 | 西岡晴夫、村上百合子 |
| 後続制度 | 福岡市暑湿対策要綱、県民不快指数警報 |
| 関連組織 | 九州地方気象観測連絡会、福岡商工連盟 |
| 影響 | 冷感扇風機の普及、屋外広告規制の強化 |
| 通称 | 三日三晩のむっと事件 |
福岡不快指数事件(ふくおかふかいしすうじけん)は、を中心に観測されたとされるの異常上昇と、それに伴う行政・気象・小売各分野の混乱を指す事件名である。後にの成立契機になったとされ、夏季の都市生活史においてしばしば言及される[1]。
概要[編集]
福岡不快指数事件は、の盛夏に周辺で記録された不快指数の急激な上昇をめぐる騒動である。観測値そのものは平年差の範囲内であったが、当時の市民の体感申告が過剰であったため、との広報がかえって警戒感を高めたとされる[2]。
事件の特徴は、単なる暑さではなく、商店街の冷房設定、通勤列車の混雑、屋台の換気不足が連鎖して「都市全体の不快感」を一つの数値に集約しようとした点にある。これにより、という半ば学術、半ば市民運動のような分野が生まれたとされている。
発端[編集]
発端は7月23日、の市場関係者が「朝から空気が重い」と記したメモにあるとされる。翌日、の簡易観測班がの試算を行い、午前11時の時点で84.7を示したという記録が残るが、同班の鉛筆書きの余白には「体感としては87以上」とあり、後年の研究者を悩ませた[3]。
同月26日には一帯で、百貨店の婦人服売場が「冷房を強くすると逆に湿気臭が立つ」として空調を15分周期で切り替えたことが話題となった。これが客足の増減を生み、各店舗が独自に不快指数を算出し始めたため、数値が日ごとに3〜5ポイント揺れたとされる。
経緯[編集]
気象台の第一次報告[編集]
はに「沿岸部の海風到達が遅れ、内陸域で蒸し返しが生じている」とする速報を発した。これに対し、主任調査員は、風向よりも「建物の窓枠材質が熱を溜める」ことを重視すべきだと主張し、のちに“窓枠仮説”として知られるようになった。
なお、報告書の付録には、前のアスファルト表面温度が62.1度に達したとあるが、計測器が直射日光を2分ほど浴びていた可能性が指摘されている[要出典]。
商工連盟の対抗措置[編集]
は、事件による購買意欲低下を受け、独自に「不快指数を2割下げる陳列」を推奨した。具体的には、扇風機の羽根を見せない配置、氷菓の棚を入口から7.5m以内に置くこと、そしてレジ横にうちわを必ず3本以上備えることが定められた。
この施策は一定の効果を示したとされるが、むしろ「うちわを配る店は暑い店である」という逆説的な評判を生み、翌週にはの飲食店でうちわ回収箱が設置された。
市民委員会の設置[編集]
は、臨時に「市民不快申告受付窓口」を設けた。ここでは「汗が止まらない」「新聞紙の感触が湿っている」「鰻を食べたのに涼しくならない」といった申告が一日平均412件寄せられたという。
窓口の記録係だったは、申告の大半が気温ではなく通風経路に関するものであったことに着目し、後の『福岡湿熱白書』の土台を築いたとされる。
影響[編集]
事件後、福岡県内では「不快指数」を気温・湿度の単純な合成値ではなく、交通、匂い、行列時間、座席の素材まで含めて再定義する動きが広がった。特に周辺では、改札混雑が1人増えるごとに指数が0.03上昇するとする民間モデルが流行し、コピー機の電源を切るタイミングまでこの指数で決める企業が現れた。
また、冷感素材の開発が進み、の繊維業者が「湿気を逃がすが、なぜか少しだけ重い」新布地を売り出した。これは祭り衣装や通勤シャツに好まれ、後年の“九州涼感ブーム”の原型になったとされる。
批判と論争[編集]
一方で、事件の実態については当時から批判があった。の一部研究者は、観測値の跳ね上がりは機器の設置高さの違いによるもので、事件として語るには誇張があると指摘した。しかし市民の側では、数値の真偽よりも「実際に不快だった」という感覚が優先されたため、議論は平行線をたどった。
また、が放送した「きょうの不快指数」コーナーは、視聴者から「聞くだけで余計に汗が出る」と抗議を受け、3日で短縮されたとされる。なお、番組終了の直接原因はスポンサーの麦茶CMが冷たすぎたためだという説もある[4]。
後世への影響[編集]
に入ると、事件は夏季報道の定番語となり、の学校では「蒸し暑さを言語化する国語教材」として引用された。これにより、児童が「じめじめ」「もわもわ」「ねっとり」などの表現を使い分けるようになり、地元では“湿度語彙教育”と呼ばれた。
さらにには、が非公式に採用した「県民不快指数警報」が試験運用され、指数85以上で公共施設の自動ドア開閉回数を減らすという珍しい措置が取られた。結果として、逆に入口が混雑し、警報を出さないほうが涼しいという結論に至ったとされる。
年表[編集]
1978年[編集]
7月下旬、で初の集団申告が発生。8月1日、市民不快申告受付窓口が設置された。8月4日にはの地下街で「冷房の寒さが不快指数を押し下げるのではなく、外気との落差を拡大する」との珍説が出回った。
1983年[編集]
が事件の再検証を行い、指数の名称を「気温湿度不快係数」から現在の呼称へ改めた。もっとも、委員会議事録には最後まで旧称が混在していた。
1998年以降[編集]
観光パンフレットで事件が「福岡の夏を語る伝説」として紹介されるようになり、屋台文化と並んで都市アイデンティティの一部に組み込まれた。現在でもの一部店では、真夏日に「本日の事件度」を黒板に書く慣習がある。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 西岡晴夫『福岡湿熱白書』九州気象文化研究所, 1981年.
- ^ 村上百合子『市民申告と体感気象』博多出版, 1984年.
- ^ 田島康弘「不快指数の都市的変容」『九州気候学報』第12巻第3号, pp. 41-68, 1982年.
- ^ Margaret A. Thornton, "Urban Discomfort Metrics in Coastal Cities", Journal of Applied Atmospherics, Vol. 8, No. 2, pp. 113-129, 1985.
- ^ 福岡商工連盟編『夏季購買行動と冷房政策』福岡商工連盟出版部, 1979年.
- ^ 佐伯直人「博多駅前舗装面温度の誤差要因」『観測実務』第4巻第1号, pp. 9-22, 1979年.
- ^ K. Endo, "The Humidity Panic of Fukuoka", East Asian Weather Review, Vol. 3, No. 4, pp. 201-219, 1980.
- ^ 福岡市役所『市民不快申告受付業務報告書』内部資料, 1978年.
- ^ 黒田志穂『うちわ経済論』海風社, 1990年.
- ^ Robert J. Elwood, "A Note on the Fukuoka Incident and Thermal Perception", Proceedings of the Pacific Climate Society, Vol. 15, pp. 77-81, 1991.
外部リンク
- 福岡気候アーカイブ
- 九州湿熱史料館
- 市民不快指数データベース
- 博多夏季観測便覧
- 福岡都市体感研究会