肛門括約筋線脱線事故
| 名称 | 肛門括約筋線脱線事故 |
|---|---|
| 正式名称 | 神保町構内異常進路逸脱事案 |
| 日付 | 1987年9月14日 |
| 時間 | 午前8時17分ごろ |
| 場所 | 東京都千代田区神田神保町二丁目 |
| 緯度度/経度度 | 35.6956 / 139.7593 |
| 概要 | 地下輸送実験路で試運転中の保守車両が分岐器を誤って通過し、線路付帯の診断区画に乗り上げた事故 |
| 標的 | 中央保健輸送研究所の試験設備 |
| 手段/武器 | 過積載状態の保守車両と誤設定された自動転轍機 |
| 犯人 | 不明(のちに保守主任の供述により組織的過失とされた) |
| 容疑 | 業務上過失往来危険、重過失器物損壊 |
| 動機 | 診断区画の更新を急ぐための工程短縮 |
| 死亡/損害 | 死者0名、負傷者12名、研究資料約480冊と試験台2基が損壊 |
肛門括約筋線脱線事故(こうもんかつやくきんせんだっせんじこ)は、(62年)にので発生したである[1]。警察庁および当時のの内部資料では「」とされ、通称では「括約線事故」と呼ばれる。
概要[編集]
肛門括約筋線脱線事故は、の地下に存在した試験輸送区画で、保守車両がを誤通過して脱線したとされる事故である。名称の奇異さから後年は都市伝説として語られることも多いが、当時の内部報告書との事故台帳には一致して記録が残されているとされる[1]。
事故当日は、の年度更新試験が行われており、車両に取り付けられた“括約線診断フレーム”が異常振動を検知した直後に進路が固定不能となった。現場では大きな炎上はなかったものの、研究所が独自に導入していたが誤作動し、近隣の一帯に一時避難指示が出たことが、事件の奇妙さを増幅させた。
背景・経緯[編集]
本件の背景には、1980年代半ばに系の保守技術者たちの間で流行した「線路のたるみを人体の括約機構になぞらえて解析する」比喩的診断法があるとされる。この手法は出身の工学者・が提唱した“括約線工学”に由来し、外部からは極めて胡乱な理論に見えたが、実際にはレール疲労の局所解析で一定の成果を上げていたという。
しかし、春から始まった地下区画の再編工事で、複数の委託業者が互いに異なる図面記号を用いたため、保守車両の通行区間と診断区画が数十センチずれて接続された。特に、現場監督のが「線は閉じるときに閉じる」と言い残して休暇に入ったことが、後の内部調査で工程管理上の象徴的失策として繰り返し引用された[2]。
なお、事故発生の3週間前には同区画で“括約線の予備収縮テスト”が行われており、このときの加速度記録が異常に良好だったため、警戒値が緩和されていた。これが結果的に、運転士のによる「いつもより滑らかに進むと思った」という曖昧な認識を生み、ならぬ“操作上の犯意”の有無をめぐって後年まで論争を残した。
捜査[編集]
捜査開始[編集]
事故直後、神田警察署はを受けて現場封鎖を行い、同時にの前身とされる臨時調査班がに着手した。第一報では「保守車両の単独脱線」とされたが、現場の証言に“赤い点検帽をかぶった男がレバーを二度引いた”という不審な記述が含まれていたため、当初は器物損壊事件としても扱われた。
ただし、その“男”は後に信号保全課の補助員であったと判明し、彼は後ので「反転表示を見間違えた」と述べた。これにより、故意ではなく、表示板の左右を逆に設置したまま運用した組織上の不備が焦点となった。
遺留品[編集]
遺留品としては、曲がった転轍レバー、折れた車輪フランジ片、そして現場北側から回収された“肛門括約筋線”と墨書された未使用の紙テープが見つかった。この紙テープは、研究所が診断区画を区別するために使っていた略称ラベルであったが、外部報道ではタイトルの印象が強すぎたため、長らくこの名称だけが独り歩きした。
また、試験車両の車内からは61年製の携行型温度計と、管理用の赤いスタンプ台が発見された。警察はこれを「単なる備品」と処理したが、後年の報道番組では、事故当夜に“証拠品整理のための偽装搬送”が行われた可能性が指摘されている。
被害者[編集]
本件で死亡者は出なかったが、としては研究所職員9名と、通勤途中に改札付近で転倒した2名、さらに搬送用リフトの振動で安置室の棚が崩れたと誤認した守衛1名が含まれる。いずれも軽傷から中等傷にとどまったが、事故の語感が強烈であったため、後世の記録では「括約被災者」と総称されることがある。
最も長く後遺症を訴えたのは、制御盤の点検中に耳鳴りを発症したで、彼女は事故の半年後に記者会見で「レバーの音が、今も閉じたり開いたりして聞こえる」と述べた。この発言は一部週刊誌で誇張され、あたかも精神的トラウマの象徴のように扱われたが、実際には単純な騒音性難聴であったとされる。
刑事裁判[編集]
初公判[編集]
(63年)3月の初公判で、検察側はおよびを主張した。被告人席に立ったのは保守主任のではなく、実務担当のであり、検察は彼が手順書を黙読しながら転轍機の施錠を怠ったと指摘した。
一方で弁護側は、事故の直接原因は“括約線表示板”の設計不備にあり、被告の個人責任は限定的であると反論した。初公判では、証拠写真に写るレール断面があまりにも医学図譜に似ていたため、傍聴席から失笑が漏れたという。
第一審[編集]
の第一審判決はに言い渡され、高橋義信に1年8月、執行猶予3年が付された。裁判所は、被告人個人の注意義務違反を認定しつつも、事故の本質は複数の委託先が共有していた図面管理の混乱にあるとして、組織的過失を厳しく批判した。
なお、判決理由中には「括約筋という人体名称を安易に工学用語へ流用したことが、現場に不必要な心理的緊張を与えた」との一節があり、この奇妙な表現が新聞各紙で大きく見出し化された。これに対し研究所側は「命名は古典解剖学に基づくもので、事件とは無関係である」とコメントしたが、説得力は乏しかった。
最終弁論[編集]
最終弁論では、弁護側が“事故はあったがいない”という立場をとり、検察側は「被告は偶発性に乗じて工程書を改竄した」と一歩踏み込んだ主張を行った。結局、控訴審では改竄の立証が不十分とされ、補助員2名はいずれも不起訴となった。
このため、本件は法的には有罪判決が一部残る一方で、社会的には「誰が悪いのか最後まで曖昧な事故」として記憶されることになった。後年、法学者のは、この事件を「日本の交通法学における“名称先行型事案”の典型」と評している。
影響・事件後[編集]
事故後、は区画名称の全面見直しを行い、人体由来の比喩を用いた設備名を原則廃止した。また、は保守工事の図面において、略称を4文字以内に制限する通達を出したとされる。これにより、現場では“括約”“弛緩”“閉鎖”などの表現が一斉に禁句となり、代わりに無味乾燥な番号体系が採用された。
一方で、事故の奇妙な名称は逆に注目を集め、にはバラエティ番組や深夜ラジオで頻繁に引用された。特に系の情報番組が「日本一言いにくい事故名」として特集を組んだ際、画面上に実際の現場写真と誤って解剖図が重ねられたため、局には抗議電話が約240件寄せられたという[3]。
さらに、周辺では「括約線の夜」と呼ばれる毎年9月の小規模な追悼イベントが続き、関係者が点検灯を手に地下出口を一周する慣習が残った。もっとも、現在ではその大半が商店街主催の観光企画に転じており、事故の記憶と地域振興が奇妙に混線した状態になっている。
評価[編集]
本件は、技術事故でありながら名称の衝撃によって半ば風刺的な社会事件として扱われた点に特徴がある。鉄道史研究では、後半の設備更新期における“官僚的略称の暴走”を象徴する事例として引用されることが多い。
また、工学界では、事故そのものよりも「表示板を人体の器官名で呼ぶ文化」が安全管理を曖昧にしたとして批判が続いた。ただし一部の技術史家は、当時の比喩表現は旧来の職人語彙を整理する過程で不可避だったと擁護しており、評価は割れている。
なお、事件名の語感があまりに強烈であったため、後年の資料では本文を読まずに見出しだけで引用されることが多く、結果として“実在性のないものが実在したように扱われる”典型例としてメディア研究でも取り上げられている。
関連事件・類似事件[編集]
類似事件としては、のにおける「三角停止線逸脱事件」や、ので発生した「可変肛門ゲート誤閉鎖事故」がしばしば挙げられるが、いずれも命名の奇矯さが先行して実態の検証が困難であるとされる。
また、の地下保守施設で起きた「線維方向逆転事案」は、本件の直接の教訓として工事関係者に語り継がれている。もっとも、こちらは報告書が全3枚しか残っていないため、実態はほぼ伝承の域を出ない。
法制度上の関連では、制定の“略称安全使用要綱”が本件を契機に作られたとする説があるが、制定に関わったの担当官がその存在を否定しており、今なお扱いのままである。
関連作品[編集]
事故を題材にした書籍として、『肛門括約筋線脱線事故の研究――名称が現実を追い越すとき』が知られている。映画では、製作の『8時17分』が有名で、実際の事故よりも人間関係のもつれが前面に出ている。
テレビ番組では、「言いにくい事件名の時代」が事件の言語的側面を扱い、事故現場の再現模型を用いて説明した。もっとも、模型のレールが過度に滑らかであったため、視聴者から「むしろ事故が起きそうに見えない」との感想が寄せられたという。
また、深夜アニメ『』第7話のサブタイトル「括約する朝」は、本件を露骨に連想させるとして話題になったが、制作会社は一切の関係を否定している。
脚注[編集]
[1] 東京都交通史編纂室『昭和後期地下輸送異常事案集』東京都公文書館, 1994年。
[2] 佐伯守男「神保町区画における表示板誤認の実務的要因」『運輸保安研究』第12巻第4号, pp. 41-58, 1991年。
[3] Margaret A. Thornton, "When Labels Derail: Semiotics of Rail Incidents in Late 20th Century Japan," Journal of Transport Mythology, Vol. 8, No. 2, pp. 201-229, 2003.
[4] 渡辺精一郎『括約線工学入門――弛緩と閉鎖の力学』東都出版, 1986年。
[5] 東京地下輸送公社事故調査部『神田神保町地下試験区画事故報告書』内部資料第44号, 1988年。
[6] 田島啓介「名称先行型事案の法社会学」『日本事故法学会誌』第21巻第1号, pp. 3-19, 2001年。
[7] アンソニー・グリフィン『The Closed Line and the Open Mouth: A History of Sphincter Railways』Routledge, 2007年。
[8] 中央保健輸送研究所『年度更新試験における転轍不整合記録』研究報告書, 1987年。
[9] 小川春子「事故後耳鳴りと記憶の反復」『保健輸送と心理』第3巻第1号, pp. 77-84, 1990年。
[10] 石田真理『鉄道事故名の変遷と社会的受容』吉川弘文館, 2015年。
関連項目[編集]
脚注
- ^ 東京都交通史編纂室『昭和後期地下輸送異常事案集』東京都公文書館, 1994年.
- ^ 佐伯守男「神保町区画における表示板誤認の実務的要因」『運輸保安研究』第12巻第4号, pp. 41-58, 1991年.
- ^ Margaret A. Thornton, "When Labels Derail: Semiotics of Rail Incidents in Late 20th Century Japan," Journal of Transport Mythology, Vol. 8, No. 2, pp. 201-229, 2003.
- ^ 渡辺精一郎『括約線工学入門――弛緩と閉鎖の力学』東都出版, 1986年.
- ^ 東京地下輸送公社事故調査部『神田神保町地下試験区画事故報告書』内部資料第44号, 1988年.
- ^ 田島啓介「名称先行型事案の法社会学」『日本事故法学会誌』第21巻第1号, pp. 3-19, 2001年.
- ^ Anthony Griffin『The Closed Line and the Open Mouth: A History of Sphincter Railways』Routledge, 2007年.
- ^ 中央保健輸送研究所『年度更新試験における転轍不整合記録』研究報告書, 1987年.
- ^ 小川春子「事故後耳鳴りと記憶の反復」『保健輸送と心理』第3巻第1号, pp. 77-84, 1990年.
- ^ 石田真理『鉄道事故名の変遷と社会的受容』吉川弘文館, 2015年.
外部リンク
- 東京都公文書館デジタル閲覧室
- 神田地下輸送史研究会
- 日本事故名辞典アーカイブ
- 運輸保安研究フォーラム
- 括約線工学資料室