胡蝶こちょこちょの夢
| 名称 | 胡蝶こちょこちょの夢 |
|---|---|
| 分類 | 半覚醒型夢見現象 |
| 起源 | 大正末期の東京市 |
| 提唱者 | 久遠寺信三郎 |
| 主な研究機関 | 帝都睡眠研究所 |
| 関連分野 | 睡眠療法・民俗学・感覚心理学 |
| 流行期 | 1931年 - 1948年 |
| 代表的媒体 | 夢録帖、童謡、街頭演芸 |
胡蝶こちょこちょの夢(こちょうこちょこちょのゆめ)は、においてとの境界領域から発展したとされる、半覚醒状態で蝶の羽音を「くすぐり」として知覚する夢見現象である[1]。主に末期の周辺で体系化されたとされ、後にとの双方から注目を集めた[2]。
概要[編集]
胡蝶こちょこちょの夢は、入眠直前から浅いにかけて、蝶の接触や羽ばたきに似た微細な刺激を夢の中で「くすぐり」として受け取る現象を指す。通常の夢と異なり、覚醒後も皮膚感覚の残響が十数秒から長い場合で4分程度続くとされ、内の療養施設では「笑いながら目覚める症例」として記録された[1]。
この現象は、実際の蝶ではなく、扇風機の微風、蚊帳の擦過音、あるいは和紙を折る音によって誘発されると説明されることが多い。ただし、1937年にが行った調査では、被験者の17.4%が「羽音のない部屋」で再現に成功したとされ、当時の研究者たちを困惑させた[3]。
歴史[編集]
成立前史[編集]
起源は、の下宿街で流行した「蝶見の午睡」と呼ばれる昼寝習慣に求められる。これは末から初期にかけて、学生や新聞記者の間で、薄い布団の上に蝶番型の木枕を置き、短時間だけ眠る遊びとして広まったものである。久遠寺信三郎は、この習慣中に被験者が頻繁に「肩をくすぐられた」と証言することに着目し、くすぐり感覚が夢を媒介する可能性を示したとされる[2]。
帝都睡眠研究所による整理[編集]
、にあった帝都睡眠研究所の主任、は「胡蝶こちょこちょ」という語を研究発表会で初めて用いたとされる。彼は、くすぐりを引き起こす刺激を「蝶性微圧」と命名し、1回あたり0.03グラム未満の空気移動でも夢像が変質すると主張した[4]。この仮説は当初荒唐無稽とされたが、同研究所がに刊行した『夢録帖第七輯』により、少なくとも都内の一部読者層には強い支持を得た。
大衆化と衰退[編集]
からにかけて、胡蝶こちょこちょの夢は百貨店の催事、児童向け夜話会、さらにはの深夜番組で取り上げられ、全国的な流行語となった。特にの展示会では、来場者1,200人中386人が「会場のガラス越しに夢を見た気がする」と記入したため、主催側が後日アンケート用紙の回収数を修正したという逸話が残る[5]。一方で戦時下の統制強化により、過度な笑いを伴う睡眠法は「士気の散逸」を招くとして縮小し、戦後はとしてのみ存続した。
研究と理論[編集]
理論的には、胡蝶こちょこちょの夢はとが同時に励起されることで生じると説明されることが多い。もっとも、久遠寺派の文献では、夢の中の蝶は「羽根でなく笑気を運ぶ」とされ、現代の感覚心理学からは支持されていない[6]。
また、1941年にの助教授だったは、被験者の寝床の四隅に鈴を24個並べると発現率が2.1倍になると報告したが、同時に「鈴が多すぎて普通に眠れない」との注記を残している。この注記は後年、査読の甘さを示す例としてしばしば引用される。
文化的影響[編集]
胡蝶こちょこちょの夢は、とに大きな影響を与えた。特に後半のでは、落語家が夢の中で蝶に追われる人物を演じる「羽音噺」が一種の定番となり、笑いの間合いを測る教材として寄席見習いに使われたという。
また、の一部の和菓子店では、羽根を模した寒天を載せた菓子を「こちょこちょ餅」と称して販売し、1日平均47箱を売り上げたとされる。ただし、菓子名と現象の関係は後付けであるとの指摘もあり、地域史研究ではいまだに論争がある[7]。
批判と論争[編集]
批判の中心は、現象の再現性の低さと、命名の可愛らしさに反して研究発表がやけに硬派である点に向けられた。とりわけの『夢と微風』事件では、帝都睡眠研究所が「胡蝶の存在は実験室内では確認されていないが、夢の方が蝶を先に見つける」と説明し、新聞各紙から「論理の順序が逆である」と批判された[8]。
一方で、擁護派は「くすぐりの夢化」は独自の身体観を示すとして、上の価値を主張した。なお、久遠寺の弟子とされるが残したとされる回想録には、研究会での被験者が全員同時に笑い出し、記録係だけが最後まで真面目だったため現象の検証に失敗した、と記されている。
現在の扱い[編集]
現在では、胡蝶こちょこちょの夢はの周辺項目として扱われることが多い。特にの一部宿泊施設や、の児童館では、入眠前の微風装置を用いた「蝶風の時間」がイベント化されており、1回20分の体験枠が数週間先まで埋まることもある[9]。
ただし、専門家の間では、これは純粋な現象というより、昭和前期の都市生活が生んだ集団的な自己暗示であるとの見方が優勢である。それでもなお、夢の中で「誰かにこちょこちょされた」と語る証言は散発的に報告されており、完全な消滅には至っていない。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 久遠寺信三郎『胡蝶こちょこちょの夢に就いて』帝都睡眠研究所報告, 1934, pp. 11-39.
- ^ 牧野芳一「羽音刺激と半覚醒反応」『東京帝国大学心理学紀要』Vol. 8, No. 2, 1941, pp. 201-228.
- ^ 水無瀬秋子『笑いながら目覚める夜』東都書房, 1949, pp. 77-103.
- ^ S. Kuonji, “On the Butterfly Tickle State,” Journal of Imperial Somnology, Vol. 3, No. 1, 1936, pp. 5-19.
- ^ 大沢辰也「大正末期の都市遊戯と入眠儀礼」『民俗と生活』第12巻第4号, 1968, pp. 44-61.
- ^ Y. Makino, “A Study of Feather-Noise Induced Laughter in Sleep,” Proceedings of the Tokyo Medical Circle, Vol. 14, No. 7, 1942, pp. 88-96.
- ^ 久遠寺信三郎・編『夢録帖第七輯』帝都睡眠研究所出版部, 1934, pp. 3-52.
- ^ 篠原美咲『戦時下の娯楽統制と微笑の抑圧』北斗社, 1977, pp. 129-154.
- ^ 『こちょこちょ夢と日本人の身体感覚』国民夢学会年報, 第21号, 1988, pp. 1-24.
- ^ 河合修一「蝶風装置の再現実験」『睡眠文化研究』Vol. 19, No. 3, 2009, pp. 145-167.
外部リンク
- 帝都睡眠研究所アーカイブ
- 国民夢学会デジタル年報
- 昭和羽音資料室
- 浅草演芸と夢の博物誌
- 胡蝶こちょこちょ研究会