脱獄ごっこ
| 分類 | 遊戯文化・都市伝承 |
|---|---|
| 主な舞台 | 公園/廃駅周辺/体育館の空きスペース |
| 発祥とされる時期 | 明治末期〜大正初期(諸説あり) |
| 関連領域 | 児童心理・演劇教育・治安論 |
| 使用される道具 | 紙の鍵/布の“拘束帯”/合図ラベル |
| 類似概念 | 脱走遊戯・逃走ごっこ・模擬刑務 |
| 議論の論点 | 暴力性の見え方/模倣の危険性 |
脱獄ごっこ(だつごくごっこ)は、子どもが遊びとして“脱獄”を再現する集団遊戯であるとされる。一方で、遊戯用の小道具や台詞が地域の教育運動と結びつき、社会現象化した経緯も指摘されている[1]。
概要[編集]
は、決められた役割(看守役・囚人役・捜索隊役)に沿って、逃走の手順を“遊びとして”段取りする集団遊戯として説明されることがある。一般には危険行為を目的としないとされるが、台詞や振る舞いがあまりに様式化される場合、周辺住民の間で“現実の犯罪を連想させる”として注目されることもあった。
成立のきっかけは、子どもが制約のある場で創造的に秩序を組み替える欲求を満たすための演劇的訓練として整えられた点にあるとされる。なお、後述するように、組織立った地域講座と結びつき、台本が配布された時期があったとされる[2]。このようには、遊びでありながら“社会の文脈”に取り込まれていった例として論じられることがある。
歴史[編集]
起源:都市の“戒め”を反転させる遊戯[編集]
の起源は、明治末期にの一部で実施された「余暇と規律の両立」を掲げる児童講習に求める説がある。講習では、校庭の隅に“仮想収容区画”が描かれ、児童は一定時間、決められた規則に従って行動した。そこで生まれた“ルールの外側へ行く”感覚が、のちに“脱獄”という記号で語り継がれたとされる[3]。
さらに、当時の教材には、鍵の代わりに「折り畳み紙片」を用いる規定があり、紙片には縦3.2cm・横1.6cmの“合図刻印”を入れることが推奨されたと記録される。刻印の寸法が細かいのは、教官が「曖昧な道具は曖昧な心を呼ぶ」と述べたという逸話に由来すると説明される。ただし、この逸話は後年の回想文に依存しており、史料の突合が難しいとされる。
一方で、昭和初期に地方へ広がる過程で、呼称が地域ごとに変化したとされる。たとえばでは“逃走ごっこ”の名称で、廃線の見物を組み合わせた隊がいたという報告が残る。これらは遊戯が同時代の都市景観と結合した証拠として扱われることがある。
発展:教育団体と台本配布で“様式化”した時代[編集]
大正期から昭和戦前にかけて、児童向けの演劇指導が増えるとは“即興”から“台本”へと寄っていった。昭和9年ごろ、(当時の名称は複数の記録で揺れている)が、体育館で使える「三段合図」方式を標準化したとされる。合図は、赤・青・白の札を使い、追跡開始から回収までの時間を分単位で揃える設計であったと説明される。
この方式が広まった理由は、教育現場の都合に合致したからだとされる。とくに、授業枠の都合で“20分の練習枠”が必要になった年があり、その枠に収まるよう脱獄手順が再編集されたという。具体的には、逃走側の動きが合図1から合図2まで4分以内、看守側が合図2から合図3まで6分以内であることが目安とされ、最後の“安全確認”に3分を当てる運用が提案されたと記録される[4]。
ただし、この標準化は安全性だけでなく、模倣の温床にもなり得るとして批判を呼ぶ。現場では、紙鍵が本物の金具に見えると教師が急ぎで回収したというエピソードがあり、物の見え方が議論の焦点になった。なお、ここで使用された札の配色は、会の内部資料では「法廷連想を避ける」意図で決めたと書かれている一方、別の回覧では「夜間訓練の名残」とも記されており、説明の整合が取れないとの指摘がある[5]。
社会への影響:遊びが“治安”の言葉を借りる[編集]
戦後、は一時的に“危険な遊び”とみなされ、学校単位の自主規約で禁止される自治体が増えたとされる。その背景には、地域紙が“脱獄”という語を刺激的に取り上げたことがあると考えられている。たとえばの一部では、冬期の児童集会が雪で縮小し、体育館利用が増えた時期に、遊戯の小道具が紛失しやすかったという報告が出た。報告書では、紛失件数が「月あたり最大17件」と記され、さらに“回収率は91.2%にとどまった”と計算されている[6]。
一方で、遊びがゼロになるわけではなかった。むしろ、禁止の議論が広がることで“脱獄ごっこを隠れてやる”という文化が生まれ、より巧妙な台詞が発達したと指摘される。そこで登場したのが「逃げるふり、捕まるふり」という安全型台本である。台本では、捕獲側は“確保”の代わりに“合図による停止”を徹底し、接触を極小化する設計が組み込まれたとされる。
なお、終盤の議論は“心理学者の読み”と結びつくことになる。児童の創造性は抑圧を反転させることで発揮される、という見立てから、は「制限された空間で自己効力感を練習する装置」と解釈された時期もあった。ただし、この解釈が現場の運用(危険物の制限や観察基準)へ十分に落とし込まれたかは疑問視されている。
文化としての手順:何を“脱獄”と呼ぶか[編集]
で重要視されるのは、脱走の“成功”よりも、役割の切り替えと安全確認の段取りにあるとされる。典型的には、開始前に「脱獄宣言」と呼ばれる短い台詞を唱え、その後に“拘束”を演じる。拘束帯は布製であることが推奨され、硬い材質は禁止されることが多いとされる。
次に、逃走側は“鍵の取得”工程を行う。鍵は実物金具ではなく、折り紙の層で作られたものが一般的であるとされるが、現場では紙片が雨でふやけると失敗しやすい。そこで一部地域では、紙片に微量のワックスを塗る運用があったと報じられた。ただしこの運用は衛生面の指摘を受け、教育委員会から「匂いを残す物質の使用を避ける」通達が出たとされる。
さらに、追跡側は“封鎖線”に見立てたテープを床に置くことがある。テープの幅は地域で異なるが、ある公民館の記録では「幅3.0cmが最も見えやすい」とされ、逆に2.0cm以下だと判別しづらいという。こうした細かな運用は、単なる遊びを“規格化された演劇”として扱う流れを強めたと分析される[7]。
批判と論争[編集]
は児童の遊戯である一方、語彙が“犯罪連想”を呼ぶことから、教育関係者の間で論争を生んだ。とくに、自治体の安全対策担当が「脱獄という表現は刺激が強い」として、名称の変更(たとえば“退出ごっこ”)を提案した事例が知られている。とはいえ、名称を変えるだけでは台詞が残り、結果として実質的な形は維持されたとする反論もあった。
また、模倣の危険性をめぐっては、1990年代以降、少年の逸脱行動と関連づけて報じる記事が散見された。もっとも、因果関係は一律に示せないとされる。たとえばの内部整理では、模倣の発生は“遊びそのもの”よりも、周辺の大人が与えるストーリー(テレビ番組や噂話)の影響が大きい可能性があると注記されたという[8]。
一方で、批判側には“言葉の置換でも危険は減らない”という強い立場もあった。この立場は、子どもが「どうして捕まるの?」と聞き返すことで、現実の仕組みへの興味が高まる可能性を指摘したとされる。反対側は、「仕組みへの好奇心は本来学習の入口でもある」と述べ、観察と対話の重要性を説いた。なお、どちらの主張も、実証研究の量が十分でないとする指摘があり、最終的な決着には至っていないとされる。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 相馬千尋「児童遊戯における“脱”の語用論:脱獄ごっこ再考」『臨床児童学紀要』第12巻第3号, 2001年, pp. 41-63.
- ^ Margaret A. Thornton「Playful Transgression and Rule Reversal in Childhood」『Journal of Applied Youth Psychology』Vol. 18, No. 2, 1997, pp. 105-131.
- ^ 渡辺精一郎「余暇規律講習と折紙“鍵”の規格化」『明治期教育資料叢書』第4巻, 教育史学館, 1988年, pp. 210-233.
- ^ 北条麗子「体育館演劇としての模擬収容:合図三段方式の周辺」『学校体育史研究』第9巻第1号, 1976年, pp. 77-99.
- ^ 佐伯武志「“法廷連想を避ける配色”説の検証」『公民館運営年報』第33巻, 1965年, pp. 12-29.
- ^ 小樽児童集会記録編纂室「冬期集会における小道具紛失率の推定」『北方教育統計報告』Vol. 2, No. 7, 1952年, pp. 1-18.
- ^ 藤井清「床テープ幅の視認性と役割反応:模擬追跡の実験的観察」『視覚認知と教育』第5巻第4号, 2009年, pp. 301-319.
- ^ 警視庁少年対策第二課「模倣連想の経路に関する内部整理」『少年非行の言説分析(資料版)』第1部, 警視庁広報室, 1996年, pp. 55-82.
- ^ 田中すみれ「名称変更による安全対策の限界:退出ごっこへの置換」『教育行政レビュー』第21巻第2号, 2013年, pp. 88-110.
- ^ Mikhail V. Karpov「Linguistic Triggers and Moral Panic in Youth Play」『International Review of Social Conduct』Vol. 27, No. 1, 2004, pp. 9-36.
外部リンク
- 児童劇標準台本アーカイブ
- 公民館安全運用ガイド(旧版)
- 都市伝承語彙辞典:脱獄カテゴリ
- 視認性実験ノート倉庫
- 教育史料デジタル展示室