臨機応援
| 名称 | 臨機応援 |
|---|---|
| 読み | りんきおうえん |
| 分類 | 組織運用思想、即応支援制度 |
| 起源 | 1920年代の鉄道運用改善 |
| 提唱者 | 松井 源三郎 |
| 主な適用先 | 交通、消防、学校行事、商店街 |
| 中核原理 | 余剰人員を固定せず、現場判断で再配置する |
| 関連機関 | 臨機応援研究会、国土応援調整室 |
| 流行期 | 1958年頃 - 1974年頃 |
| 象徴色 | 橙色 |
臨機応援(りんきおうえん)は、の状況に応じて即時にを組み替えるための日本発の組織運用思想である。元来は末期のにおける混雑対策から生まれたとされ、のちに災害対応、学園祭運営、さらには町内会の盆踊りまで広く応用された[1]。
概要[編集]
臨機応援とは、あらかじめ決められた担当者が、一定の手順に従って助け合うのではなく、で発生した空白を見てその都度「応援の向き」を変える運用方式を指す。通常の応援が「人手を足す」ことであるのに対し、臨機応援は「人手の位置をずらす」ことに重きを置く点に特徴がある。
この思想は、当初はの鉄道連絡会議で用いられたが、昭和後期にはの訓練資料やの学園祭安全手引きにも引用されたとされる。なお、同一の概念名がの青年団との港湾荷役組合でほぼ同時期に独立発生したという説もあり、学界では「二重発祥説」が有力である[2]。
成立と起源[編集]
鉄道省の混雑対策から[編集]
通説では、臨機応援の原型は、運輸局の若手職員であった松井 源三郎が、での年末輸送混雑を観察して考案したとされる。松井は、改札係を増やすのではなく、切符確認係を一時的に案内係へ回し、案内係を階段整理へ回すという三段階の再配置を試みた。このとき、応援要員の移動距離を32メートル以内に抑えるという独自の基準が設けられ、これが後の「臨機応援32原則」と呼ばれるようになった。
松井の報告書『混雑時応援転換ノート』はに省内回覧されたが、表紙に貼られた赤鉛筆の図式が美術的であったため、当初は経費精算書と誤認されたという逸話が残る。また、同報告書には「応援は余るからこそ強い」との一文があり、のちの実務家たちに広く引用された。
昭和前期の普及[編集]
には警防局が、臨機応援に似た再配置手法を市街地の防火訓練に採用したとされる。とくにでは、消火班・誘導班・見張班の三班を「固定せずに輪番で空ける」方式が試され、訓練参加者の満足度が前年比で18%上昇したという記録がある[3]。
一方で、現場判断を重視しすぎた結果、誰がどの役割にいるか分からなくなる事故も起こった。これに対して、の改訂版では、応援に入る者は必ず腕章を2枚重ねで着用すること、ただし橙色が3枚を超えないこと、という奇妙な規定が加わった。これは後年まで「橙三枚制限」と呼ばれ、臨機応援の象徴的慣行となった。
制度化[編集]
臨機応援研究会の設立[編集]
戦後の、近くの貸会議室でが設立された。設立者は、元職員の松井源三郎のほか、の港湾監督官・田所 恒一、の学校給食主任・山根 澄子らで、分野横断的な集まりであった。彼らは「応援の移動が速いほど、組織は静かになる」という仮説を掲げ、月刊会報『応援配転』を発行した。
研究会は1950年代後半に全国23道府県へ支部を拡大し、各地で「臨機応援講習会」を開催した。講習では、机上演習よりも実地の雑用が重視され、参加者は受付、麦茶補充、迷子案内、椅子運びを10分ごとに交代させられたという。受講者の一人は「座って考えるより、椅子を運ぶほうが制度の全体像が分かる」と回想している[4]。
国土応援調整室の設置[編集]
、内に半ば実験的な部署としてが置かれた。表向きは災害時の人員再配置を扱う部署であったが、実際には全国の運動会、祭礼、駅前ビラ配りなどにも助言を行っていたとされる。特筆すべきは、同室が作成した『応援動線白書』で、職員の歩数を測定したうえで「応援は1日7,400歩を超えると疲労より先に所在不明が増える」と結論づけた点である。
この頃、臨機応援は学校教育にも入り込み、では生徒会が文化祭運営に導入した。のちに同校のOBは、焼きそば係が太鼓係へ、太鼓係が迷子案内へ転じる運用を「文化祭の心臓移植」と呼んだという。
具体的な運用[編集]
臨機応援の運用は、一般に「観察」「移送」「再観測」の三段階からなると説明される。まず現場責任者が不足箇所を見つけ、次に余剰人員を最短経路で送り、最後に30分以内に再評価する。この再評価の速さが重要とされ、1959年の内部規定では「再評価が遅い応援は、ただの移動である」とまで書かれている。
実務では、応援要員に対して小銭、輪ゴム、白紙メモの三点セットが配られた。これは、急な不足が起きても口頭で済ませず、手元のメモに「誰を、どこへ、何分だけ」移すかを書き残すためである。ただし、1964年の大阪支部報告には、メモを書きすぎた結果、現場より先にメモ帳が応援を始めたという記述があり、制度の限界としてしばしば引用される[5]。
社会的影響[編集]
災害対応への転用[編集]
の以後、臨機応援は自治体の防災訓練で半ば標準語のように使われた。とくにでは、避難所の受付と炊き出し、毛布配布、児童見守りを一体で考える「四面応援制」が導入され、避難所の滞在満足度が改善したとされる。もっとも、毛布配布係が炊き出しへ回り、逆に炊き出し係が毛布を持って走る現象も多く、住民からは「ぐるぐるしているが、何か助かる」と評された。
この時期、の地域報道でも「臨機応援」という語が散発的に使われ、視聴者には「便利だが少し怖い新しい助け合い」と受け止められた。なお、当時の字幕では「臨機応援(りんきおうえん)」のルビが毎回ずれていたため、編集部内で最も校正を要する単語の一つであったという。
企業・学校文化への浸透[編集]
に入ると、臨機応援はやの繁忙期対策として民間に浸透した。特に系の催事場では、売り場係が包装、案内、列整理へと15分単位で循環する方式が採られ、売上が上がる一方で、従業員が全員同じ敬語になる副作用があったとされる。
学校では、学園祭や部活動合宿での応用が目立った。運動部が炊事を手伝い、文化部が搬入を担当し、顧問が警備へ回るという構成は、臨機応援の「役割の流動化」を象徴するものとされた。ただし、部の境界が曖昧になりすぎたため、ある高校では一年間に「吹奏楽部がテント設営を覚える代わりに、野球部がホルンを吹いた」事例があり、教育委員会が注意文書を出している。
批判と論争[編集]
臨機応援には、現場の柔軟性を高める一方で、責任の所在が不明瞭になるという批判があった。とくにの消防訓練では、応援要員が次々と別部署へ移された結果、最終的に「最初に誰が警報を鳴らす予定だったか」が不明になり、訓練記録の余白欄が最もよく埋まったとされる[6]。
また、労務管理の観点からは、応援を組み替えるたびに休憩のタイミングもずれてしまうため、実質的な長時間労働を誘発するとの指摘があった。これに対し研究会側は「臨機応援は労働強化ではなく、注意力の輪転である」と反論したが、この説明はかえって哲学的すぎるとしてあまり浸透しなかった。なお、1980年代以降はコンプライアンス文書の増加により、臨機応援は「便利だが紙が増える制度」として再評価されることになる。
現在の位置づけ[編集]
現在、臨機応援は正式な制度名としてよりも、現場の即応文化を指す比喩として用いられることが多い。防災、イベント運営、学校行事のほか、近年ではの深夜シフト調整や、自治体の窓口混雑緩和にも応用例が見られるとされる。
一方で、デジタル化が進んだことで、臨機応援の本質が「人を動かす」ことから「画面上の担当をドラッグする」ことへ変質したとの指摘もある。2023年の『応援配転白書』では、若手職員の41%が「臨機応援という言葉は知っているが、実際には会議の冒頭でしか機能を見たことがない」と回答したという。これに対し、古参の実務家は「それでも会議が回れば応援である」と述べている。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 松井源三郎『混雑時応援転換ノート』鉄道省運輸局内部資料, 1931.
- ^ 田所 恒一『港湾作業における臨機応援の適用』日本港湾協会誌 Vol.12 No.3, 1954, pp. 41-58.
- ^ 山根 澄子『学校行事と人員再配置の実際』教育運営研究 第8巻第2号, 1958, pp. 7-19.
- ^ 国土応援調整室編『応援動線白書』自治省刊, 1962.
- ^ 佐伯 俊也『災害時における臨機応援の有効性』防災行政レビュー 第4巻第1号, 1965, pp. 101-117.
- ^ Margaret A. Thornton, Flexible Relief Allocation in Urban Stations, Journal of Applied Civic Logistics Vol.7 No.4, 1971, pp. 233-249.
- ^ 岡野 みどり『橙色腕章と再配置規範』社会手順論集 第3巻第5号, 1974, pp. 66-80.
- ^ Pierre Delacourt, On the Kinetic Support Doctrine, Revue de Gestion Locale Vol.19 No.2, 1978, pp. 11-29.
- ^ 臨機応援研究会『応援配転』第23号, 1960.
- ^ 高橋 一郎『紙が増える制度の幸福論』労務文化研究 第11巻第6号, 1986, pp. 5-14.
- ^ 中村 芳彦『臨機応援32原則の再検討』現場運用学報 第15巻第1号, 1994, pp. 1-22.
- ^ 渡辺 精一郎『応援は余るからこそ強いのか』東京現代行政大学紀要 第9巻第3号, 2002, pp. 89-104.
外部リンク
- 臨機応援研究会アーカイブ
- 国土応援調整室資料館
- 応援配転デジタル書庫
- 現場再配置学会
- 橙三枚制限保存委員会