色仕掛け古武術
| 名称 | 色仕掛け古武術 |
|---|---|
| 読み | いろじかけこぶじゅつ |
| 別称 | 紅紐流、艶間術 |
| 成立 | 天保年間ごろとする説が有力 |
| 起源地 | 京都・先斗町周辺 |
| 主な伝承者 | 桐原 露斎、松井 朱門 |
| 関連領域 | 心理戦、演武、礼法、香道 |
| 特徴 | 衣装・所作・間合いを利用した虚実混交の技法 |
色仕掛け古武術(いろじかけこぶじゅつ、英: Seductive Koryū Jutsu)は、後期に成立したとされる、相手の警戒心を心理的な揺さぶりによって解くための対人技法である。の町人文化と武芸の折衷として知られている[1]。
概要[編集]
色仕掛け古武術は、相手を直接制圧するのではなく、視線誘導、衣装、沈黙、香り、間の取り方を組み合わせて主導権を取るとされる体系である。古武術の一分野と見なされることもあるが、実際には、、の周辺にまたがる極めて曖昧な文化実践である。
もっとも早い記録はに成立した『先斗町艶間覚書』で、当時の町奉行所が「人心を乱す奇妙なる身振り」として一時的に取り締まり対象にしたと伝えられる。ただし、同文書は所蔵本の写本しか確認されておらず、成立事情には異説も多い[要出典]。
起源[編集]
町人文化との結びつき[編集]
通説では、色仕掛け古武術はの茶屋で発展した接客作法が、武芸者の間で過剰に体系化されたものとされる。年間、の一角にあった「桐屋」という小規模な揚屋で、客同士の不和を避けるために考案されたのが始まりとする説がある。桐屋では、刀を抜く前に袖の色と扇の角度だけで相手の出方を読む「見立て三法」が用いられたという。
この分野の祖とされるは、もとは香道の点前師であり、のちに剣術家へ転じた人物である。露斎は、自著『艶風秘伝』の中で「勝つべき時は勝たず、見せるべき時は見せよ」と記し、これが後世の基本理念になったとされる。なお、この書にはの名が頻出するが、実際に許可を得ていたかは不明である。
流派の成立[編集]
初期になると、の寄席や芝居小屋に出入りしていた松井朱門が技法を整理し、紅紐流(こうちゅうりゅう)と名付けたとされる。朱門はに『紅紐流初伝帳』を配布し、受講者を月平均17名に限定したと伝えられるが、限定の理由は「相手に飽和を起こさせぬため」であったという。
紅紐流では、帯の結び方を4種、視線の外し方を6種、歩幅を3段階に分けるなど、妙に実務的な分類が行われた。このため一部の研究者からは、武術というより舞台演出のマニュアルに近いとの指摘がある。一方で、の寺院で保存されていた稽古札には、実戦での転倒回避率が83%向上したとの走り書きがあり、真偽をめぐって論争が続いている。
技法[編集]
見立て三法[編集]
最も有名なのは「見立て三法」で、衣の色、袖の動き、立ち位置の三要素から相手の緊張を先に察知する技法である。実践では、相手の足が畳に触れる回数を数え、3回目で扇を閉じると相手の呼吸が乱れるとされた。
にで行われた展示会では、見立て三法の成功率が「実演条件下で74.6%」と報告されたが、同時に被験者の半数以上が「何を見せられているのか分からない」と回答している。これが逆に本技法の神秘性を高めたともいわれる。
間合い返し[編集]
「間合い返し」は、相手が詰めてきた距離を一歩半だけ譲り、視線を外さずに袖口で拍子を取る技法である。古老の記録によれば、これにより口論の激化を防ぎ、場合によっては相手が自発的に茶を飲み始めたという。
また、の古文書には「三歩目に微笑むべし、ただし歯を見せることなかれ」とあり、現在でも演武家の間では解釈が分かれる。歯を見せる派と見せない派の対立は40年代にまで及び、これを「白牙論争」と呼ぶ流派もあった。
香風崩し[編集]
香風崩しは、沈香、白檀、艾葉を混ぜた独自の香を焚き、相手の集中をわずかに逸らす手法である。古武術の要素としては異色であるが、立図書館に残る稽古記録では、香炉の配置によって勝敗が大きく変わったとの注記がある。
ただし、同記録の末尾には「香を強くしすぎると稽古場の全員が眠る」とあり、実用性を疑問視する声も少なくない。このため現代では、香風崩しは技法というより舞台的効果として継承されることが多い。
近代化と再評価[編集]
末から初期にかけて、色仕掛け古武術は一度「旧弊な作法」として忘れられかけたが、の文化人類学系研究会が記録採集を始めたことで再評価された。特に家の離れに伝わっていた掛け軸『艶の定式』が発見されたことは大きく、これを契機に一般向けの講習会が年8回程度開かれるようになった。
戦後にはの演芸場や地方の公民館で簡略化された「初歩五手」が普及し、礼儀作法の講座に紛れ込む形で知られるようになった。また、1978年にはの外郭調査において、伝承者が全国で推定42名いると報告されたが、名簿の中にはなぜか同一人物が3回含まれていた。
社会的影響[編集]
色仕掛け古武術は、武芸よりもむしろ会話術や接客術に影響を与えたとされる。特にでは、客の怒りを収めるための所作として部分的に取り入れられ、1980年代には「静かな一礼」と呼ばれる簡略版が研修項目に含まれたことがある。
一方で、演武の見せ方が過剰に洗練されていることから、しばしば「相手を惑わせるための美学が、倫理を追い越すのではないか」と批判された。これに対し、保存会は「本質は誘惑ではなく、無用な衝突を避けるための間である」と反論している。なお、演武大会で使われる赤い紐が年に1,200本以上消費されるという数字は、保存会の自己申告に基づく[要出典]。
現代の継承[編集]
保存会と講習[編集]
現在、主な継承団体として知られるのは、、の3団体である。保存会は毎年とで合同演武を行い、初心者向けには「半歩だけ先に笑う」という入門課目を設けている。
講習では、年齢別に道具が異なり、未成年向けは扇のみ、成人向けは扇と袂、上級者にはさらに香炉が貸与される。もっとも、上級者コースの修了率は2023年度で12.4%にとどまり、受講者の多くが「難しいというより、恥ずかしい」と感想を残した。
映像作品への影響[編集]
以降は時代劇や深夜ドラマの所作監修にも利用され、動作の美しさを強調する演出として知られている。とくにの番組『日本の手わざ再発見』で取り上げられた際には、扇を閉じる音だけで場面転換を行う演出が「異様に説得力がある」と話題になった。
また、インディーズ映画『紅紐の午後』では、主演女優が3分12秒にわたって何もせずに相手を退かせる場面が高く評価された。この作品は後に「動かぬ色仕掛けの完成形」と評される一方、観客アンケートの31%が「途中で礼法の講義だと思った」と回答している。
批判と論争[編集]
色仕掛け古武術には、成立当初から「武術を名乗るには戦闘性が弱い」「芸能を武術に見せかけている」といった批判がつきまとってきた。特にの講習会では、実技の最中に参加者12名が同時に笑いをこらえきれなくなり、以後「笑止の乱」と呼ばれる事件として語られている。
また、女性中心の伝承であったかのように語られることもあるが、実際には男性演者も少なくなかったという反論があり、史料の解釈をめぐっては現在も意見が割れている。保存会側は「色は性別を問わず、場を変える力である」と説明するが、これに納得しない研究者も多い。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 桐原露斎『艶風秘伝』先斗町出版部, 1848年.
- ^ 松井朱門『紅紐流初伝帳』浪速芸能書院, 1873年.
- ^ 田所正彦「色仕掛け古武術の所作構造」『武芸文化研究』Vol. 12, No. 3, pp. 44-67, 1958.
- ^ Margaret A. Thornton, “Performative Distance in Late Edo Martial Courtesy,” Journal of East Asian Ritual Studies, Vol. 8, No. 1, pp. 201-229, 1979.
- ^ 中村咲子『香と間の民俗誌』岩波古典資料叢書, 1986年.
- ^ 渡辺精一郎「先斗町艶間覚書再考」『京都芸能史論集』第4巻第2号, pp. 15-38, 1994年.
- ^ Haruto K. Senda, “When Combat Becomes Courtship: The Aesthetics of Deflection,” Kyoto Review of Cultural Tactics, Vol. 5, No. 2, pp. 88-110, 2002.
- ^ 『文化庁調査報告 曖昧伝承芸能一覧』文化庁資料室, 1978年.
- ^ 木下朱門『白牙論争とその周辺』関西所作文化会, 2011年.
- ^ S. Nakamori, “The Red String Problem in Japanese Embodied Arts,” Proceedings of the International Society for Faux Martial Traditions, Vol. 2, No. 4, pp. 9-21, 2020.
- ^ 山岡千春『艶間の倫理学』晃洋書房, 2022年.
- ^ 『紅紐流と昭和演芸の接点』京都所作資料館編, 2023年.
外部リンク
- 日本紅紐古武術保存会
- 京都所作文化アーカイブ
- 先斗町伝承芸能資料室
- 関西艶間研究会
- 国際偽武術学会