茶柱学会
| 正式名称 | 茶柱学会(英: Chabashira Society) |
|---|---|
| 設立 | 1909年(「帰一会」改組) |
| 活動分野 | 嗜好科学、微細流体の経験的応用、喫茶文化研究 |
| 本部所在地 | (仮設的な観測室を併設) |
| 機関誌 | 『茶柱学報』 |
| 会員数 | 公称2,413名(最盛期・1978年時点) |
| 公式指標 | 柱度指数(Column Degree Index: CDI) |
| 主な関心 | 湿度と攪拌の寄与、器温の標準化 |
茶柱学会(ちゃばしらがっかい)は、で発展したとされる「茶の淹れ方」研究団体である。特にの出現・形状・落下挙動を計測し、再現性の高い淹茶レシピへ統合することを目的とする[1]。
概要[編集]
茶柱学会は、茶の上面に現れる「柱」の形成を、運の要素だけで片付けず計測可能な現象として扱う団体である。学会が注目するのは、茶柱の立ち上がりの速さ、茶葉粒子の上昇痕、そして「消えるまでの秒数」の統一化であるとされる[1]。
同会は、茶の淹れ方を単なる嗜好技術ではなく、準科学的なプロトコル(手順書)として体系化した点で知られる。たとえば観測者間の再現率を高めるため、器の材質(産の陶土由来とされる配合を含む)、湯温、茶量、注ぐ角度を細分化し、「同じ条件なら同じ柱が出る」という理念を掲げた[2]。
一方で、茶柱学会の文書には「理工学の言葉を借りた文化運動」という趣もあると指摘される。実際、学会の内部資料では、数値が先行してレシピが後追いする場面もあり、初心者が読むと「統計が料理を支配している」ように見えると評されてきた[3]。
歴史[編集]
成立の背景:喫茶実験の官僚化[編集]
茶柱学会の成立は、1900年代初頭にの老舗喫茶で起きた「柱が出ない週」の騒動が契機だったとされる。記録によれば、当時のでは雨天が連続し、同一ロットの茶葉で茶柱の出現率が日替わりになったという。そこで女将を補佐していた渡辺安太郎(当時の肩書は茶席監査補助)らが、湯温計と簡易比重計を用いて「柱度の分布」をメモし始めたとされる[4]。
この動きは、のちに「帰一会」と呼ばれる勉強会へ発展し、さらに嘱託に転じた計測技師・石井清風の助言で“官僚式の手順書”に変換された。石井は、手順書を「誰が読んでも同じ行為を再現できる文章」として整えることを重視し、特に注湯の角度を3段階(水平・中角・急角)に固定したという[5]。
1909年、帰一会は茶柱学会へ改組された。学会設立の決議文では、柱度を「連続時間の長さ」として定義し、測定単位として「柱秒(しちょうびょう)」を採用したとされる。ただし当時の記録の一部では、柱秒の定義が途中で“水滴の落下音”と混線しているとして、後年の研究者が笑い話として引用している[6]。
研究の拡大:温度標準と即席統計[編集]
1920年代には、学会の関心が「なぜ柱が出るか」から「誰が淹れても出るか」へ移ったとされる。特に東京へ本部機能が移った際、の仮設観測室で、器温のばらつきを減らすため、陶器を湯煎しながら“計測待機の合図”を設けたという。合図は、湯の泡立ちが一定になるまでの“数え拍”であり、慣れない会員は3分13秒で失敗したという統計が残っている[7]。
学会は同時期に「柱度指数(CDI)」を導入した。公式にはCDIは、茶柱の高さをミリ換算し、消滅までの時間(秒)と上面の波紋数を掛け合わせるとして説明された[8]。しかし学会の講習会資料では、掛け算ではなく「掛け算っぽく見える足し算」を使っている回もあったとされ、当時の講師の癖として語られている[9]。
第二次世界大戦前後には、物資統制の影響で茶葉の品質が揺れ、学会は“柱が出ない場合の救済手順”を整備したとされる。たとえば茶葉が乾き気味のときは、注湯前に器へ湯気を「9回」だけ当てる方法が推奨され、失敗率が前月比で22.4%減少したと報告されている[10]。
社会との関わり:喫茶ブームと学会員の増殖[編集]
1950年代以降、茶柱学会のプロトコルは家庭にも流入し、“柱が立つかどうか”が会話の指標として定着したとされる。特にの博多商人街では、喫茶スペースの開業前に学会認定の「柱検査」が行われたという。検査項目は7つで、うち2項目が器の拭き取り状態(拭き目の向きまで含む)とされ、ここが過剰だと批判されつつも記憶に残ったとされる[11]。
また、学会は学校教育にも波及したとされる。文部当局の協力で、理科の補助教材として「柱観測ワークシート」が作成され、児童が“柱の出現を観察し、条件を記録する”授業が行われたという。教材配布数は、学会推計で年間約41,900部(時点)とされるが、実際にどの程度が使用されたかは不明とされる[12]。
最盛期の1978年には公称2,413名に達し、機関誌『茶柱学報』は月1回の発行とされる。しかし会員の内訳は「実験者」より「出題者(レシピ審査員)」が多かったとされ、学会が“料理研究”というより“審判制度”として拡大したように見える点が、後年の評価の揺れとして残っている[13]。
批判と論争[編集]
茶柱学会に対しては、理論的検証が不十分であるとの批判が繰り返された。学会は流体や粉体の用語を多用したが、実験条件の再現性が“人間の手の癖”に強く依存しているとして、の一部研究者が「CDIは優雅な儀式に近い」と評したという[14]。
他方で擁護論として、同会が残した手順書が喫茶文化の安全性(ヤケドの減少、過熱の抑制)に寄与したという主張もある。学会統計では、指導後に初回失敗が減ったと報告されたが、その母数が「講習会参加者のみ」である点が論争になった[15]。
さらに、1970年代の一部文献では、柱度測定に“音の主観”を入れている節があり、要出典に相当する記述が散見されるとされる。たとえば「柱が消える音は、紙が折れる音と一致する」といった記述があるが、学会内でも異論があったとされる[16]。それでも学会が残ったのは、柱が出ること自体がコミュニティの熱量になっていたためだ、とする見解がある。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 茶柱学会編集委員会『茶柱学報 第1巻』茶柱学会出版部, 1910.
- ^ 石井清風『柱度測定の記述形式』東京計測社, 1923.
- ^ 渡辺安太郎『帰一会の記録:湿度と柱の偏り』大阪喫茶文庫, 1917.
- ^ M. Thornton『Reproducibility in Folk Fluid Experiments』Journal of Applied Inclination, Vol.12 No.3, 1968.
- ^ 佐藤延之『喫茶標準器の普及と器温管理』日本嗜好工学会誌, 第5巻第2号, 1959.
- ^ 田中桂馬『柱秒という単位の成立』茶席計測研究叢書, pp.41-58, 1934.
- ^ Hiroshi Kuroda『Subjective Acoustics in Beverage Formation』International Review of Pour Dynamics, Vol.7 Issue 1, 1971.
- ^ 『茶柱学会史(増補版)』茶柱学会公文書館, 1986.
- ^ E. R. Whitcomb『A Brief Treatise on Column-Like Foams』Cambridge Press, 1932.
- ^ 名取倫太郎『拭き目の統計:器の布目が与える影響』微視観測出版社, 第3巻第4号, 1974.
外部リンク
- 茶柱学会公式アーカイブ
- 柱度指数(CDI)学習ポータル
- 『茶柱学報』バックナンバー
- 千代田観測室ログ
- 柱秒換算表(閲覧のみ)