落馬三冠王
| 対象 | 騎手および調教助手 |
|---|---|
| 起源 | 1968年ごろ |
| 発祥地 | 滋賀県栗東市周辺 |
| 主催 | 中央競馬会非公式記録班 |
| 選定条件 | 年内3落馬・主要3勝利・通算10走以上 |
| 通称 | 三冠転倒 |
| 最初の記録者 | 佐伯慎一郎 |
| 現行の扱い | 競馬文化研究の俗称 |
落馬三冠王(おちうまさんかんおう)は、の非公式統計において、シーズン中に度以上の落馬を記録しながら、なおつの主要レースで勝利した騎手に与えられるとされる称号である[1]。主に末期の周辺で使われ始めた語とされ、現在では競馬史の裏面を語る俗称として知られている[2]。
概要[編集]
落馬三冠王は、騎手が技量不足で転落したことを意味するものではなく、むしろ「落ちてもなお勝つ」異様な粘り強さを称える逆説的な称号である。競馬界では長らく口頭伝承の域を出なかったが、にの場内放送記録が偶然保存され、以後、研究対象として扱われるようになった[3]。
この語は、単に落馬回数が多い騎手を揶揄するだけの俗語ではなく、の安全装備、馬匹の気性、コース設計、さらに気圧まで含めた総合的な「不運の完成度」を測る指標として再解釈されてきた。とくにの旧・広報室にいたが、場内新聞の片隅で「転倒と勝利が同居する者こそ真の記録保持者」と記したことが、後年の定着に大きく寄与したとされる[4]。
起源[編集]
栗東のメモ帳から[編集]
最古の用例は、ので配布された整備係向け帳票の余白に見つかるとされる。そこには「落馬三冠王候補・第2回目確認」とだけ走り書きがあり、記したのは厩舎見習いのであったとされるが、本人は晩年まで「そんな字を書いた覚えはない」と否定していた[5]。
この時期、関係者のあいだでは、年に回以上落馬した騎手ほど、翌年の勝率が妙に上がるという経験則が信じられていた。後に統計を洗ったのは、対象騎手14名中11名が「落馬翌週に1勝以上」を挙げていたと主張したが、サンプルが少なすぎるとして半ば笑い話として扱われた[6]。
三冠という語の転用[編集]
一般に「三冠」はを指すが、落馬三冠王ではこれを反転させ、「春・夏・秋のいずれかで3つの柱にぶつかる」という意味に転用したとされる。もっとも、実際には季節と無関係に落ちる者も多く、の中山開催では、同一騎手が日で回も鞍上から消失し、検量室で「これは四冠ではないか」と混乱が起きたという[要出典]。
この語の拡散には、場外馬券売り場で配られた小冊子『転んでも負けない競馬学』が決定的であった。著者のは、落馬を「馬との対話がいったん床面に誤配された状態」と定義し、以後、半ば哲学用語として受け入れられた。
制度化[編集]
非公式記録班の設置[編集]
、の外郭団体とされる「非公式記録班」が、落馬と勝利の両方を追跡する業務を開始した。班長のは、当初は馬券購入者の心理分析が主務であったが、いつの間にか「騎手の転び方の様式分類」にのめり込み、の3分類を作成した[7]。
この分類は一部で好評を博したが、にで発生した「同一レース中に柵越え型が2例、横滑り型が1例」という珍事により、分類の限界が露呈した。なお、この年の場内モニターには、転倒を記録するための赤い丸印が導入され、観客席の一部ではそれが「幸運の印」と誤認されたという。
認定基準の変遷[編集]
現在もっとも広く参照される基準は、シーズン内落馬以上、主要勝以上、かつ通算走以上である。ただし、の内規改訂では、雨天時の落馬を回として按分する案まで検討されていたとされ、会議資料には「湿潤な日の転倒は本人責任を7割に抑えるべき」との奇妙な文言が残る[8]。
また、騎手が落馬した直後に別の馬に乗り替わって勝利した場合、その勝利を勝として扱う案もあったが、算定の手間が膨大であったため廃案となった。これにより、落馬三冠王は厳密な統計称号というより、現場の納得感を優先した「荒れた現場の勲章」として固定されたのである。
代表的な受賞者[編集]
記録上最初の落馬三冠王はとされる。彼はの春季開催で4度落馬した一方、、、を立て続けに制し、観客から拍手と失笑の両方を浴びたという。
次いで有名なのがで、にで2回、で1回落馬しながら、同年の主要3競走をすべて逃げ切りで勝利した。本人は「馬が暴れているのではなく、世界が遅れている」とコメントしたと伝えられ、後年の騎手養成学校で引用句として壁に掲示された。
さらに異色なのがである。彼はから短期免許で来日し、ので落馬した際、なぜか手綱を握ったまま検量室まで走り込み、そのまま次走で勝利した。この逸話が「落馬後の再起動」の典型例として語り継がれている[9]。
社会的影響[編集]
メディア表現[編集]
以降、スポーツ紙は落馬三冠王を「転んで強い男」「砂上の英雄」といった過剰に詩的な見出しで扱うようになった。特にの連載『本日の落馬学』は、1日2回落馬した騎手の食事内容まで追跡し、最終的に「前夜のカレーが重かったのではないか」と結論づけたが、栄養学者からは強い反発を受けた。
一方で、テレビ中継では安全対策の強化が進み、の内側に落馬回数を表示する「転倒カウンター」が試験導入された。これが視聴者の関心を集め、ある時期には勝利よりもカウンターの増減を楽しむ層が一定数存在したという。
教育と啓発[編集]
では、落馬三冠王の事例を用いた「失敗後の復帰速度」の講義が実施され、受講生には木製の簡易鞍を使った反復訓練が課された。講師のは、成功率よりも「再騎乗までの沈黙時間」を重視したという。
また、のスポーツ心理研究会では、落馬三冠王を「恐怖の反芻でなく儀式化された自己修復」と解釈し、企業研修にも応用しようとした。しかし、営業部門が「会議で3回転んでも成績が良ければよいのか」と誤読したため、計画は中止された。
批判と論争[編集]
落馬三冠王には、そもそも落馬を美化しすぎているとの批判がある。とくに安全管理の立場からは、称号化が現場の無茶を助長するのではないかと指摘されてきた。これに対し支持派は、「称えるのは転倒そのものではなく、転倒後に戻ってくる判断力である」と反論している。
また、にが公表した報告書では、過去の受賞者の一部に記録誤認が含まれていた可能性が示された。もっとも、同報告書は末尾で「しかし、誤認であっても物語としては整っている」と結論づけており、かえって議論を拡大させた[10]。
さらに、一部の地方紙では「落馬三冠王は競馬版のである」と紹介されたが、受賞者本人たちはほぼ全員が否定し、ある騎手は「賞というより保険の加入履歴に近い」と述べたとされる。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 佐伯慎一郎『転倒と勝利のあいだ』日本競馬文化出版, 1989, pp. 41-67.
- ^ 北沢典子『場内放送が見た昭和競馬』中央記録社, 1992, pp. 112-130.
- ^ 森下誠「落馬頻度と翌週勝率の相関について」『関西体育大学紀要』Vol. 18, No. 2, 1977, pp. 5-19.
- ^ 高瀬宗一『転んでも負けない競馬学』東京馬術新書, 1981, pp. 9-28.
- ^ 相馬剛志「非公式記録班の成立とその運用」『日本場外研究』第4巻第1号, 1988, pp. 88-104.
- ^ ヘンリー・J・ウィンター『鞍上再起動論』Horse & Turf Press, 1997, pp. 201-219.
- ^ 岩谷千尋「失敗後の復帰速度に関する教育実践」『地方競馬教養センター年報』第12号, 2006, pp. 44-59.
- ^ 日本スポーツ文化史学会編『競走史の周縁にある記録』学芸社, 2003, pp. 301-318.
- ^ 村瀬アキラ『世界が遅れている日』青嶺書房, 2001, pp. 73-91.
- ^ Charles D. Mercer, "The Horse Throws, the Rider Returns", Journal of Equine Folklore, Vol. 7, No. 4, 1998, pp. 145-162.
外部リンク
- 日本落馬文化資料館
- 中央競馬非公式記録アーカイブ
- 転倒競馬学研究室
- 検量室文学データベース
- 栗東口承史プロジェクト