藤浪
| 名称 | 藤浪 |
|---|---|
| 別名 | 藤波式、浪紋記法 |
| 成立 | 1820年代ごろ |
| 提唱者 | 藤浪源兵衛、長谷川静庵 |
| 主な用途 | 港湾記録、航路判定、相撲稽古の可否判定 |
| 中心地 | 大阪湾、尼崎、神戸 |
| 特徴 | 風・波・霧を三段階で符号化する |
| 廃止 | 1957年の運用統一まで |
| 現状 | 一部の漁業組合で慣用的に残存 |
藤浪(ふじなみ、英: Fujinami)は、後期の沿岸で成立したとされる、風向・潮位・視界の三条件を同時に記録するためのである。のちにの港湾行政に取り込まれ、近代との双方に影響を与えたとされる[1]。
概要[編集]
藤浪は、海上交通の現場で用いられた簡易な判定体系で、もともとはの沿岸漁民が「今日の海は出るべきか」を共有するために使った符号である。単なる天候の呼称ではなく、潮の向き、霧の層、船体の揺れを一括して表す点に特徴があった。
名称は、初期の記録帳に藤の花房のような波線が連続して書かれていたことに由来するとされるが、別にという船大工の名から採られたとする説もある。なお、明治期にはの一部文書にまで現れ、港の“危険な静けさ”を示す用語として半ば公的に扱われていた[2]。
歴史[編集]
成立と初期の運用[編集]
藤浪の原型はの「摂津沿岸海況覚書」に見えるとされる。そこでは、風を「上藤」「中藤」「下藤」、波を「細浪」「乱浪」「返浪」の三系統に分け、これを組み合わせて九通りの海況を表した。
最初に体系化したのは年間の船頭・であり、彼はの廻船問屋に勤めながら、毎朝河口まで歩いて霧の濃さを測ったという。もっとも、彼の帳面は現存せず、同時代の俳諧集に挟み紙として残った断片のみが根拠であるとされる[3]。
港湾行政への導入[編集]
に入ると、藤浪はの港湾検査で再評価された。特にでは、外国船の入港前に潮位と風向を短時間で伝達する必要があり、藤浪の三段符号が重宝されたとされる。
にはの委員会が「藤浪式海況表」を採択し、紙片一枚で情報を回覧する運用が始まった。ここで用いられた記号が妙に洗練されていたため、当時の記録係の中には、実はの図案科が密かに関わっていたのではないかという指摘がある[4]。
相撲との結びつき[編集]
藤浪が全国的に知られるようになったのは、むしろとの結びつきである。大正期、の宿舎では屋外土俵の可否を判断するため、空の状態を「立藤」「崩藤」「戻藤」の三段階で呼ぶ慣行が生まれた。
に伝わる口伝では、稽古の延期を巡って弟子同士の争いが絶えず、これを仲裁した行司が藤浪表を読み上げたところ、全員が妙に納得したという。この逸話は各種回想録で微妙に内容が異なり、どの版でも最後に「しかし結局三十分後に晴れた」と付くのが特徴である。
分類と記法[編集]
藤浪は単なる俗称ではなく、符号としての厳密さを持っていた。たとえば「上藤・細浪・薄霧」は出港可、「中藤・乱浪・白霧」は要注意、「下藤・返浪・黒霧」は停泊、という具合に判定が行われた。
この記法はの影響を受けており、記録帳では波線の長さが刻みで変わる。さらに港ごとに“癖”があり、では霧の表現がやたら細かく、では逆に風向だけが異常に重視された。編集者の間では「藤浪は地方差が本体」とまで言われている。
社会的影響[編集]
藤浪は港湾だけでなく、都市生活の言い回しにも浸透した。では、約束を急に取り消すことを「藤浪が崩れた」と言い換える慣用句が広がり、初期の新聞広告にも稀に登場する。
また、戦前の職員の一部は、公式予報が外れた際に藤浪表を私用で参照していたとされる。これが原因で、には「民間符号の流用は統計の攪乱を招く」とする内部通達が出たが、現場では「藤浪の方が当たる」という声が強く、完全には廃れなかった[5]。
批判と論争[編集]
藤浪には、科学性の欠如をめぐる批判が少なくない。とりわけの港湾近代化に際し、の標準区分と互換性がないことが問題視され、1950年代には「曖昧な波形に行政を委ねるべきではない」とする論説がに掲載された。
一方で、支持者は藤浪の利点を「誤差を先に書き込むことで、現場の判断が慎重になる」点にあると主張した。もっとも、ある研究者はこの説明を「あとから理屈をつけた伝承にすぎない」と切り捨てており、むしろ藤浪は、現場の空気を読む能力を数値化しようとした日本的な失敗作であると評価されることもある[6]。
現代への継承[編集]
の港湾規格統一によって公式運用は終わったが、藤浪は完全には消えなかった。現在でもの一部漁協では、出漁判断の際に「今日は藤浪二分」といった言い回しが残っている。
また、の民俗資料館には、藤浪記号を刺繍した手拭いが所蔵されており、毎年春に展示替えが行われる。展示説明ではなぜか相撲部屋の稽古日程表まで並べられており、学芸員は「港と土俵の境界が最も曖昧だった時代の資料」と説明している。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 藤浪史料編纂会『摂津沿岸海況覚書校注』港湾民俗研究叢書, 1988年.
- ^ 長谷川静庵『藤浪符号の成立』神戸大学出版会, 1994年.
- ^ Margaret A. Thornton, "Tidal Codes and Harbor Discipline in Early Modern Japan", Journal of Maritime Folklore, Vol. 12, No. 3, 2001, pp. 44-79.
- ^ 中村嘉一郎『近代港湾と民間気象表の研究』海文堂, 1976年.
- ^ Yutaka Sano, "On the Misread Winds of Fujinami", Bulletin of East Asian Port Studies, Vol. 7, No. 1, 2010, pp. 5-28.
- ^ 兵庫県港湾史料室『神戸港検査日誌 明治三十年抄』兵庫県史料刊行会, 1962年.
- ^ 森下玲子『相撲部屋における天候判定語彙の変遷』日本民俗学会誌, 第41巻第2号, 1985年, pp. 111-138.
- ^ 小野寺善治『藤浪式海況表の図像学』図案と行政, 第9巻第4号, 2003年, pp. 201-219.
- ^ Edward P. Keller, "Harbor Weather Slang and the Problem of Precision", Coastal Administration Review, Vol. 19, No. 2, 1998, pp. 88-102.
- ^ 藤浪源兵衛『風波一枚案内』摂津港書肆, 1831年.
外部リンク
- 神戸港民俗資料デジタルアーカイブ
- 大阪湾海況符号研究所
- 港湾語彙保存協会
- 藤浪記号展示室
- 近代相撲生活文化研究センター