西口千百合
| 氏名 | 西口 千百合 |
|---|---|
| ふりがな | にしぐち ちゆり |
| 生年月日 | 4月18日 |
| 出生地 | |
| 没年月日 | 11月3日 |
| 国籍 | 日本 |
| 職業 | 社会教育学者、家庭文庫運動家 |
| 活動期間 | 1938年 - 1986年 |
| 主な業績 | 「家庭文庫学」の体系化と全国巡回講習の制度化 |
| 受賞歴 | 文部大臣奨励賞(1966年)、日本家庭教育賞(1978年)、紫綬褒章(1982年) |
西口 千百合(にしぐち ちゆり、 - )は、の社会教育学者である。家庭文庫運動の主導者として広く知られる[1]。
概要[編集]
西口千百合は、日本の社会教育学者として家庭文庫運動を理論と運用の両面から整備した人物である。特に、地域の読書空間を「家庭内に埋め込む」発想を打ち出し、自治体連携と学校図書館の橋渡しに尽力したとされる。[1]
彼女の業績は、単なる啓蒙に留まらず、貸出冊数や返却率を統計化し、講習のカリキュラムまで数値目標として提示した点に特徴がある。たとえば、講習会の参加者に対して「初年度の平均返却率を78.4%まで引き上げよ」といった指示が残っているとされ、当時の教育現場で強い反響を呼んだという[2]。
ただし、こうした数字のいくつかは後年の検証で資料の出所が曖昧であると指摘されている。とはいえ、運動がもたらした生活圏での読書習慣の定着は、地域の記憶として受け継がれたとされる。
生涯[編集]
生い立ち[編集]
西口千百合は4月18日、の織物問屋の家に生まれた。父は帳簿係として知られ、家では毎月「紙の虫干し」を行って書類の保存状態を記録していたと語られる[3]。
千百合は幼少期から、家の蔵にあった読みかけの児童書を“返さない自由”の象徴として眺めていたとされる。しかし本人の後年の回想では、次第にその自由が「返す人の責任によって成立する」ことを学び、文庫という仕組みへ関心が向かったと説明されている[1]。
青年期[編集]
、彼女はの師範学校に学び、在学中に図書館司書の講習を同時に修了した。師事先としてはの読書会運動を牽引したの名が挙げられ、同氏の「読書は家庭で鍛える技能である」という言葉を引用した資料が残る[4]。
当時の記録では、彼女がノートに“蔵書の匂い指数”を付けていたともされる。これは紙の劣化を香りで判別する独自手法で、のちに家庭文庫の衛生管理講習へ転用されたとされる[2]。
活動期[編集]
、彼女は内の町村教育委員会に招聘され、家庭文庫の試験運用を開始した。最初の貸出は「合計63冊、対象者142名、返却までの日数は平均11.3日」と記録されており、実務的な運用設計が早い段階で固まっていたことがうかがえる[5]。
には戦時下の物資統制を理由に、紙の薄い児童向けの冊子を中心とした“代替文庫”を組織したとされる。彼女はの担当官と協議したといわれ、書籍配布の名目を「衛生習慣の啓発」に寄せたことで、図書がほぼ教育物資として扱われたという指摘がある[6]。
戦後はさらに制度化が進められ、からにかけては全国で巡回講習を実施したとされる。特にとの共催で作られた「家庭文庫運営要領」は、返却率だけでなく、保管棚の高さ、貸出カードの材質、記録の更新頻度まで細かく定めたとされる[7]。
晩年と死去[編集]
代後半にかけて、彼女は理論面の取りまとめを優先し、家庭文庫学会の設立準備に関与した。設立時の資料では、学会の正式名称に「統計的読み物管理学」という仮称があったが、のちに「家庭文庫学」に改められたとされる[8]。
に公式な活動を一度引退した後も、地方教育研究会への助言を続けた。西口は11月3日、の自宅で死去したとされ、享年は85歳と記録されている[1]。
人物[編集]
西口千百合は、穏やかな語り口で知られた一方、目標値の提示には容赦がなかったとされる。弟子筋の証言では、会合の最後に必ず「次回までに“返却カードを新しい鉛筆で10回だけ書き直せ”」のような課題を与えたという[9]。
また、彼女は“家庭内の読書を監督する”発想を否定し、「記録は不安を減らすためにある」と説明したとされる。家庭文庫の棚を「見張りのない図書館」と呼び、子どもが自分で選び、家族がそっと整える仕組みを重視したと伝えられている[2]。
一方で、彼女の運用資料の中には、地域差を無視した画一性が見られるとして批判もあった。特に「棚の奥行きは29センチで統一」とする提案が、住宅事情の異なる地域では実装が困難だったと指摘されたという[10]。
業績・作品[編集]
西口千百合の業績として最も知られるのは、家庭文庫を教育行政の枠組みに落とし込んだ「家庭文庫学」の体系化である。彼女は、文庫を“物の集合”ではなく“手続きの設計”として扱うべきだと主張し、貸出・保管・記録・返却の流れを一連の教育過程に見立てた[7]。
主著としては『家庭文庫学序説』()、『返却率78.4%の作り方』()、『棚の衛生—匂い指数と紙の寿命』()などが挙げられる。『返却率78.4%の作り方』は、タイトルがあまりに具体的であったために一時は出版社内でも議論になったとされ、編集者が「そんな小数点が必要か」と問うたところ、西口は「必要である。78.4%は“数字が家庭に入り込む入口”である」と答えたと伝えられる[11]。
なお、彼女がに作成したとされる講習用スライド集には、実際の写真なのか再現なのかが判別しにくい“笑顔の統計”の図が含まれていたともされる。図の出所については当時の資料が散逸しており、「要出典」相当の疑念が語られることがある[2]。
後世の評価[編集]
西口千百合は、家庭読書の制度を現場の生活へ接続した先駆者として評価されることが多い。とくに以降に広がった地域文庫活動の運営方法は、彼女の記録様式を踏襲した部分があるとされる[12]。
一方で、彼女の“数値目標主義”は過剰だとして再評価が進む局面もあった。教育史研究者の間では、返却率や棚寸法のような管理指標が、読書体験の多様性を抑えた可能性があるとする見解が示された[10]。
それでも、彼女の運動が「読書を家庭の習慣」に変換した点は、賛否を超えて広く認められている。学校図書館と家庭文庫をつなぐ連絡手続きの原型は、のちに各自治体の社会教育課のマニュアルに引用されたとされる[7]。
系譜・家族[編集]
西口千百合の家系は、名古屋に残る織物帳簿の保存記録と関係が深いとされる。彼女はにの親戚筋であると結婚したと伝わるが、正和の職業については史料ごとに差異があるという[13]。
子は一男一女で、長男はの製版会社に勤務したとされる一方、長女はで養護教育に携わったとされる。いずれも家庭文庫運動を支えたとされるが、彼女の晩年に残る手紙では「家族の記録より、子どもの沈黙の方を信じよ」との一節があるとされる[1]。
なお、千百合の死後、家族が所蔵したとされる“貸出カード原本”が一部失われ、現在は複製のみが残っているとされる。複製作成の経緯については、複数の目撃談が矛盾しており、研究者の間で小さな論点になっている[8]。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 西口千百合『家庭文庫学序説』名古屋教育出版, 1959年.
- ^ 西口千百合『返却率78.4%の作り方』東京学芸出版社, 1967年.
- ^ 松原澄子『家庭内読書習慣の制度設計—西口千百合の運用史』教育統計叢書, 1974年.
- ^ 高橋皓一『戦時期の“代替文庫”政策と社会教育』社会政策研究所, 1981年.
- ^ J. R. Watanabe, "Home Library Procedures and Return Accuracy", Journal of Domestic Education, Vol. 12, No. 3, pp. 44-59, 1969.
- ^ Margaret A. Thornton, "The Shelf as Curriculum: Quantifying Reading Spaces", International Review of Community Learning, Vol. 7, No. 1, pp. 1-18, 1972.
- ^ 田中幸雄『棚の衛生—匂い指数と紙の寿命』京都書房, 1971年.
- ^ 『家庭文庫運営要領(試案)』【文部省】社会教育局, 1960年, 第2版.
- ^ 山下玲子『数値目標が読書体験を歪めるとき』読書文化研究会紀要, 第15巻第2号, pp. 203-219, 1993.
- ^ 編集部『家庭文庫学の系譜と論点』図書館運営年報, Vol. 3, pp. 77-96, 2005.
- ^ R. K. Nakamura, "The 29-centimeter Shelf Proposal: Evidence and Speculation", Library Management Letters, Vol. 1, No. 4, pp. 10-22, 1990.
外部リンク
- 家庭文庫学アーカイブ
- 社会教育統計研究所
- 読書会運動史料室
- 教育行政資料データバンク
- 地域文庫運営フォーラム