西成ダイバー
| 分類 | 民間技法・都市伝承 |
|---|---|
| 主な活動地域 | 大阪市西成区(あいりん周辺) |
| 開始とされる時期 | 1958年ごろ |
| 主な対象空間 | 用水路、地下空間、浸水跡 |
| 関連機関 | 大阪市消防局・西成区衛生課(のち連携) |
| 技術要素 | 聴音、方位推定、簡易潜行 |
| 代表的な逸話 | “9分42秒の沈黙”事件 |
(にしなりだいばー)は、を拠点とする“水没捜索”の民間技法として語られる呼称である。1950年代後半に始まったとされ、路地裏の用水路や地下空間の聞き取りを伴う点で、通常の救助活動とは区別されてきた[1]。ただし名称の由来には複数の異説があり、史料の整合性が争点とされる[2]。
概要[編集]
は、地下や側溝に関わる事故が多いとされた時代に、救助の“補助”として発展したとされる呼称である。具体的には、浸水した暗渠(あんきょ)や用水路の奥で、倒れた人・紛失物・遺留品の位置を言い当てる技法として語られてきた。
この呼称は、いわゆる水中呼吸装置を用いる潜水家というより、実際には「水の音」や「配管の反響」を手がかりに、足場のない場所へ移動・探索する人々を指したとされる。一方で、用語の定義は時期によって揺れており、のちに“英雄譚の総称”として拡張された点が特徴とされる[3]。
名称と特徴[編集]
語の成立(推定)[編集]
「ダイバー」という語は、明治末期に輸入されたとされる潜水器具の広告パンフレットが、の古物市場で回覧されたことに由来するとする説がある。もっとも、広告の中で使われたカタカナ表記が転訛(てんか)し、「潜る人」ではなく「潜らせる段取りを読む人」を指すようになった、という解釈が採られている[4]。
別説としては、1958年の小規模洪水の際に、現場で“水没を前提に動く人”が必要となり、ではなくの担当者が「ダイバー」と呼び始めたとする話もある。ただしこの説は、同年の会計記録に対応する固有名詞が欠落しているため、要検証とされている[5]。
技術と“儀式”[編集]
西成ダイバーは「潜る」より先に、暗渠の“音質”を確かめる手順が語られたとされる。典型的には、1) 入口から5歩の位置で耳を当て、2) 反響が強くなる角度を探し、3) その角度を方位に換算する、という流れであったとされる。なお、方位換算には「靴底の汗の増減」を見る指標が添えられ、観察時間は“ちょうど3分”が縁起が良いとされた[6]。
また、探索開始前に「数を数える」儀式があったとされ、最も有名なのが“9分42秒の沈黙”である。これは、合図なしに沈黙を保ち、暗渠内部の気泡音が一定になる瞬間を待つというもので、後年になって安全管理の名目で記録化されたとする証言が存在する[7]。
歴史[編集]
黎明期:1950年代後半の都市工学的事故[編集]
西成ダイバーの起点は、1950年代後半の河川改修に伴う側溝の取り替えが集中した時期だとされる。具体的には、の土木部門が“夜間だけ作業できる”と判断し、工事区間を細切れにしたため、完成前の仮配管が長く残ったのだと説明されることが多い[8]。この環境が、暗渠内の音響と流れの変化を極端にし、探索型の知恵が求められた、とされる。
その後、地元の有志が「配管の歌(うた)」と呼ぶ即興の聴音記録を残し、1959年には回覧ノートが“38人分の耳”として共有されたとされる。なお、そのノートの表紙には、なぜか「第17番:砂糖壺の沈み」を意味する符牒が書かれていたという[9]。この符牒が、後の“お守り”文化へ変換されたとする論考もある。
制度化:大阪市消防局との“ゆるい連携”[編集]
1960年代前半に入り、の出動記録に「類似行動者」というカテゴリが付与されたとされる。これは、救助隊が到達できない場合に、現場で手順だけを助言する“非隊員”として扱われたためだと説明されている[10]。もっとも、隊員が正式に技能認定を受けたわけではなく、連携は暗黙にとどまったとされる。
この時期、(当時の名称は通称であり正式表記が揺れる)が、遺留物の回収が衛生上の問題になるとして、聞き取りの許可を“週2回”だけ出したという逸話がある。週2回という制限は、役所の承認印の回転が火曜と金曜に限られていた、というくだらない理由だったとも伝えられている[11]。一方で、実効性の観点からは成功例もあったため、批判と歓迎が併存した。
衰勢:都市の整備と“伝承の輸入”[編集]
1970年代後半以降、暗渠の再整備が進むと、現場で必要とされた“音響手がかり”が減少し、西成ダイバーは次第に都市伝承化したとされる。ただし消滅したわけではなく、地方自治体向けの講習会という形で“輸入”されたとする説がある。講習会の主催として、の前身組織名が挙げられることもあるが、年次資料が断片的であるため、異説も多い[12]。
さらに、観光メディアが「西成ダイバー体験ツアー」を企画した結果、技術の核心が薄まり、“沈黙の時間を守るだけ”のイベント化が進んだと指摘されている。とはいえ、このズレが笑いを生み、名称だけが残ったとも考えられている。
社会への影響[編集]
西成ダイバーは、救助の現場における“知の分業”を可視化した存在として語られた。具体的には、隊員が入れない場所で、地元の観察者が状況を言語化し、探索の方向性を与えた点が評価されたとされる[13]。こうしたやり方は、のちの地域防災の考え方にも影響したと書かれることがある。
また、暗渠の“音響”を記録する文化は、結果として配管点検の簡易チェックにも波及したとされる。西成ダイバーが使ったとされる「入口から5歩」ルールは、点検員の“現場で迷わない”ための基準として口伝で残り、のちに手帳様式(ページ番号指定つき)に組み込まれたとされる[14]。この手帳には、なぜか「雨がやんだら、3回だけ息を数える」といった健康指標が併記されていたという証言がある。
一方で、話が広がり過ぎたことによって、関係のない人々が“音が聞こえるから大丈夫”という態度を取り、危険側に転ぶケースも報告された。これが後述の論争へつながった。
批判と論争[編集]
西成ダイバーの技法は、救助の安全性よりも伝承の面白さが前面に出た時期があったとして批判されている。特に“9分42秒の沈黙”が、医療的観点から推奨され得ない条件を含むと指摘された。具体的には、沈黙中に呼吸負荷が高まる可能性があるため、現場で誤用が起きたとされる[15]。
さらに、名称の由来が“本当に人の名前なのか”が問題とされることがある。史料上は西成ダイバーという一般名詞が先行したとも読めるが、当時の新聞縮刷版には「西成ダイバー(単独人物)」の記述が部分的に出るため、編集者によって解釈が割れたとされる[16]。
このほか、の監督責任をめぐって、当時の担当者が「助言者は記録に残らない前提だった」と述べたとする証言もある。ただし、当該発言の出典が後年の回想録に限られているため、真偽は揺れている。つまり、“笑える話”として残ったがゆえに、論文の書式には収まりにくいタイプの史実であるともされる。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 渡辺精一郎『路地裏の音響記録学:第17番からの回想』大阪市政史局, 1972.
- ^ Margaret A. Thornton『Urban Hydraulics and Informal Rescue』Springfield Press, 1968.
- ^ 山田隆志『側溝の詩学:沈黙の9分42秒』関西地理叢書, 1981.
- ^ 中村花苗『大阪の“聞き取り技能”と行政の境界』大阪法政研究所, 1994.
- ^ Klaus H. Brecht『Aural Mapping of Underground Passages』Vol. 3, No. 2, Rhein Verlag, 1975.
- ^ 鈴木武彦『西成という舞台装置:用水路から始まる社会学』海鳴社, 2003.
- ^ 小野田道雄『消防記録に見える周辺者:類似行動者の分類』消防史紀要, 第12巻第1号, pp. 41-63, 1999.
- ^ 伊藤昌樹『防災講習会の“輸入伝承”』近畿防災ジャーナル, 第6巻第4号, pp. 210-232, 2007.
- ^ “夜間仮配管政策の費用対効果”『土木行政年報』第29巻第7号, pp. 1-18, 1961.
- ^ (題名が誤植されている)『西成ダイバー大全:ただし出典は口伝のみ』音響民族学通信, 2012.
外部リンク
- 西成暗渠アーカイブ
- 配管の歌(うた)研究会
- 大阪市路地百科
- 沈黙のタイムキーピング協会
- 都市伝承データベース