誤字主義
| 提唱者 | アレクサンドル・雫井(Alexandre Shizukui) |
|---|---|
| 成立時期 | 1968年頃 |
| 発祥地 | 神奈川県横浜市・山下町の旧編集者会館 |
| 主な論者 | アレクサンドル・雫井、島田ルイ子、M・J・ハロウェイ |
| 代表的著作 | 『誤字の倫理学』、『脱校正論』 |
| 対立概念 | 正字主義、校正実在論 |
誤字主義(ごじしゅぎ、英: Typosophy)とは、誤字を単なる修正対象ではなく、思考の揺らぎを可視化する装置として中心におく思想的立場である[1]。文字の逸脱が意味の硬直を防ぐという優位を説く、20世紀後半に体系化された比較的新しい概念である。
概要[編集]
誤字主義は、の誤りを排除すべき瑕疵ではなく、言語が社会の圧力にさらされた際に生じる「裂け目」とみなす的立場である。支持者は、誤字が発生した瞬間に、書き手の無意識、制度的制約、紙幅の限界が同時に露呈すると主張する。
この立場はの印刷文化圏を中心に広まり、のちにの周辺サークルやの文芸批評研究会にも影響したとされる。もっとも、創始期の記録は断片的であり、当初は単なる植字事故研究として扱われていた可能性がある[2]。
語源[編集]
「誤字主義」という語は、43年にで発行された同人誌『活字と余白』の編集後記に初出するとされる。そこでは、アレクサンドル・雫井が「誤字は誤りではなく、むしろ意味の自己修正に先立つ予兆である」と述べたことから、周囲が皮肉を込めて「誤字主義者」と呼んだのが始まりとされる[3]。
英語の Typosophy は、にの小さな学術雑誌『Journal of Deviation Studies』に掲載された島田ルイ子の論文で定着したとされる。ただし、この語の語構成は「typo-」と「-sophy」の接合としてはやや不自然であるため、後世の編集者が無理に整えた可能性が指摘されている[要出典]。
歴史的背景[編集]
誤字主義の思想的土壌は、の出版業界における校正技術の高度化と、逆にそれによって増幅した「誤りへの過敏さ」に求められる。活版印刷から写植への移行期には、1冊あたり平均で17.4件の訂正指示が出されたという社内記録が残るとされ、これが「正しく書くこと」への強迫観念を生んだ。
一方で、後半の学生運動期には、完成された言説に対する不信が広がり、誤字をあえて残すことで権威の硬直を崩す試みが行われた。とりわけの港湾地区で配布された壁新聞『赤い余白』は、意図的な誤字を11か所含み、読者の抗議と賞賛を同時に受けたことで知られる。
こうした環境のもと、誤字主義は「正確さ」を否定するのではなく、正確さが制度化されたときに生じる暴力を批判的に継承したとして形成された。実際には、雫井が勤務していたの小出版社で、校正紙の誤植欄に哲学メモを書き込んでいたことが起点であるとも言われる。
主要な思想家[編集]
アレクサンドル・雫井[編集]
アレクサンドル・雫井(1929年-1994年)は、誤字主義の基礎を築いた中心人物である。彼によれば、誤字は「意味が自分を裏切る瞬間」であり、文章はその裏切りを通じて初めて生きたものになると主張した。
雫井は立図書館の資料整理員を経て、に『誤字の倫理学』を私家版で刊行した。この本は初版312部のうち、47部が印刷所の火災で失われ、残りもほとんどが製本前の折丁のまま流通したため、伝説化したとされる。
島田ルイ子[編集]
島田ルイ子(1937年-2008年)は、誤字主義を美学の領域に接続した論者である。彼女は、誤字を「偶然の筆跡」ではなく「社会的検閲を回避する小さな脱線」と呼び、文学批評に導入した。
で開かれた公開討論会では、彼女が配布したレジュメに12か所の誤字があり、参加者がそのうち9か所を「思想上の必然」と評価したことが記録されている。これが誤字主義の拡張に決定的であったとする説がある。
M・J・ハロウェイ[編集]
M・J・ハロウェイは、の比較思想研究者であり、誤字主義を英語圏に紹介した人物である。彼は誤字を「校正権力に対する微細な抵抗」と定義し、の非正統美学講義で言及した。
ただし、ハロウェイ本人は誤字主義の細部には懐疑的であり、特に「1文に1誤字以上を許容すべき」とする急進派を「タイプライターの神秘主義」と呼んで批判した。
基本的教説[編集]
誤字主義の第一の教説は、誤字には偶発性だけでなく構造があるという点にある。すなわち、誤字は個人の不注意ではなく、教育制度、編集工程、端末配置、さらには心理的疲労の総体として現れるとされる。
第二の教説は、誤字は意味を破壊するのではなく、むしろ意味の単線化を防ぐというものである。誤字主義者は「誤った一文字が、読み手に複数の解釈経路を開く」と述べ、これを的多義性の最小単位とみなした。
第三に、誤字は共同作業の痕跡であるとされる。校正者、著者、植字工、編集長、場合によっては配達員までが、最終的な一文字の責任を分有しているため、誤字は個人責任の神話を崩す装置として機能する。雫井はこれを「文字の連帯責任」と呼んだ。
なお、誤字主義の急進派は、祝辞や公文書に意図的な誤字を1か所だけ残す「最小逸脱法」を提唱したが、実務上は単なる見落としと区別がつかないため、の文書管理部局からたびたび注意を受けたとされる。
批判と反論[編集]
批判者は、誤字主義が誤りの責任を美学化し、結果として教育現場の規律をゆるめると非難した。とりわけの夕刊では、匿名の校閲者が「誤字を思想に昇格させるのは、単なるミスの免罪である」と書いたとされる[4]。
これに対し誤字主義者は、誤字は免罪ではなく観察の対象であると反論した。島田ルイ子は「誤字を許すこと」と「誤字を分析すること」は異なると述べ、後者によってのみ、言語の制度的偏りが可視化されると主張した。
また、正字主義の立場からは、公共空間における誤字の容認は情報の信頼性を損なうとされた。もっとも、誤字主義側はこの批判に対し「完全な無誤字文書は、かえって監視社会の指標である」と応じ、議論はしばしば平行線をたどった。
他の学問への影響[編集]
誤字主義はにおいて、草稿の揺れや自己修正の痕跡を重視する手法に影響を与えた。とくにでは、第一稿の誤字が作者の意図を示す場合があるとして、本文採用をめぐる議論が活発化した。
では、役所文書や広告の誤字が、組織の階層構造や疲弊度を測る指標として用いられた時期がある。1983年には内の広告代理店27社を対象にした調査で、週平均3.8件以上の誤字を含む社内報は離職率が高いという結果が示されたとされる。
さらにでは、誤字が読解に与える遅延時間を測定する実験が行われ、「0.7秒の停滞」が意味再編成の閾値であるとの仮説が提案された。もっとも、被験者の多くが「そもそも読み飛ばしただけではないか」と回答したため、この仮説は現在も論争的である。
脚注[編集]
[1] 雫井『誤字の倫理学』序文、私家版、1968年。 [2] 山下町文書保存会『活版文化と逸脱』第2号、pp. 14-19。 [3] 島田ルイ子「誤記と多義性」『活字と余白』第7号、1968年、pp. 3-6。 [4] 「校正と思想」『朝日新聞』1969年11月14日夕刊、p. 9。
関連項目[編集]
脚注
- ^ アレクサンドル・雫井『誤字の倫理学』山下出版、1968年。
- ^ 島田ルイ子『脱校正論』港湾文庫、1974年。
- ^ M. J. Holloway, "Typosophy and the Politics of Deviation," Journal of Deviation Studies, Vol. 4, No. 2, pp. 21-39, 1972.
- ^ 佐伯和夫『活字の裂け目』青燈社、1981年。
- ^ 河原田ミナ『誤記の社会学』新潮学術、1987年。
- ^ Eleanor V. Price, "The Ethics of Misspelling in Postwar Print Culture," Cambridge Review of Semiotics, Vol. 11, No. 1, pp. 88-104, 1991.
- ^ 『山下町文書保存会紀要』第2巻第1号、pp. 14-19、1970年。
- ^ 中嶋敏夫『文字と逸脱の思想史』岩波書店、1998年。
- ^ G. Tanaka and L. Moreau, "Minimal Deviation and Reader Fatigue," Applied Hermeneutics Quarterly, Vol. 8, No. 3, pp. 155-176, 2004.
- ^ 黒田志保『誤字主義入門 —意味はどこでずれるか—』河出学術、2009年。
- ^ 『校閲と反逆の文化史』編集委員会『校閲と反逆の文化史』編集工房セントラル、2015年。
- ^ S. Whitcombe, "On the Strange Necessity of the Typo," Oxford Papers in Comparative Thought, Vol. 19, No. 4, pp. 201-219, 2018.
外部リンク
- 山下町活字研究所
- 国際誤字学会
- 活版余白アーカイブ
- Typosophy Review Online
- 編集者会館デジタル資料室