調香師ごっこ
| 分野 | 児童遊戯・生活技能模倣・感覚教育 |
|---|---|
| 主な道具 | 石鹸、香り玉、香りつき文具、香りつきティッシュ |
| 遊び方 | 相手の要望に合わせて「香り」を選定・提示する |
| 発生時期 | 1970年代後半〜1990年代前半に家庭用玩具として定着したとされる |
| 派生形 | 香りカルテごっこ、記憶ブレンドごっこ |
| 関連領域 | アロマセラピー、嗅覚トレーニング、香料産業 |
(ちょうこうしごっこ)は、調香師の所作を模して香りを選び、相手の好みや「気分」に合わせて渡す遊びとされる。家庭や幼稚園・児童館などで、石鹸、香り玉、香りつき文具、さらには香りつきティッシュなどが素材として用いられてきた[1]。起源については複数の説があるが、後述のように香り教育をめぐる社会的な経緯と結びついて発展したとされる。
概要[編集]
は、調香師が行う「要望の聞き取り→香りの選定→混ぜ合わせ(あるいは組み合わせ)の提案→提供」という一連の手続きを、子どもが模倣する遊びとして扱われている。
この遊びの特徴は、単に“いい匂い”を渡すのではなく、相手の気分や用途(泣き止みたい、眠りたい、褒められたい、玄関を明るくしたい等)に合わせて「香りの人格」を割り当てる点にあるとされる。道具には石鹸や香り玉が最も多いが、家庭によっては香りつきティッシュ、香りつきのお菓子、さらには文具店のテスター紙を小分けにしたものが使われることもある。
また、遊びの進行には“調香師らしい作法”が含まれる。具体的には、香りを一度紙に取ってから机上の「嗅ぎ比べ台」に置き、30秒ごとに順番を入れ替える、といった細かな手順が定着しているとされる。なお、手順の厳密さは地域や年齢層で差があり、児童館の指導員が「誤嗅の恐れ」を理由に時間管理を持ち込み、遊びが“実務化”した例も報告されている[2]。
歴史[編集]
起源:香りの“クレーム”から始まった教育遊具[編集]
調香師ごっこは、香りをめぐる生活上のトラブルを減らす目的で、ある種の職業模倣を学校外で促進する「感覚応対訓練」が幼児向けに転用されたことから生まれたと説明されることが多い。
特に有名な説では、の一部児童館が、台所用洗剤の匂いに対する苦情(“ツンとする”“頭が痛い”)を受けて、1983年に「匂い申告カード」という取り組みを開始したとされる。カードには“刺激が強い”“落ち着く”“甘いけど眠くならない”などの擬似評価語が並べられ、子どもはそれを先生に読み上げることで、家庭と施設の認識を合わせていったという。
このカードの普及過程で、子どもが“調香師ならどう答えるか”を演じるようになり、遊びの形へと変換されたとされる。江東区の試行では、嗅ぎ比べを行う順番を「気分が明るい→静かな→眠たい」の3段階に固定し、1回のセッションは合計3分15秒(諸条件により3分10秒へ短縮)と定めたとされる。もっとも、この数字は当時の担当者が個人的に書き留めていたメモから後年再構成された可能性があると指摘されている[3]。
広がり:香料メーカーと児童向け“体験キット”の相互利用[編集]
1990年代前半、香料メーカーの一部が、嗅覚への過度な期待を抑えつつ“安全に香りを選べる感性”を育てる広報施策を検討したことが、調香師ごっこの全国的な定着に寄与したとされる。
当時、の総合匂いテスター会社が「家族会議用香りセット」という名目で、家庭向けの小分け紙片(実験では1枚あたり0.8秒の嗅取時間を推奨)を配布した。このセットが児童向けに転用され、「香り玉ごとに“役割”をつけて渡す」遊びが児童館・学童へ広がったとされる。
さらに、香料メーカーの調香部門が“調合”そのものではなく、“受け取り手の納得”を主眼にした監修書を出したことも影響したという。そこでは、香りの提示を行う前に、相手に「今日は何を守りたい?」と尋ねることが推奨された。子どもはこの質問をそのまま遊びの台詞化し、「先生、守りたいのは鼻の中の平和です!」のような言い回しが流行したと伝えられている[4]。一方で、転用の早さゆえに監修範囲を超える使い方(お菓子の香りを実食目的で混ぜる等)も生まれ、結果として注意喚起が増えることになる。
定着:番組・自治体マニュアル・“調香師帽”の標準化[編集]
遊びが一気に一般化したのは、衛星放送の児童番組が「子ども調香師選手権」を特集した1997年ごろであるとされる。この番組は視聴者参加型で、参加者は家庭で用意した香り素材を“封筒に入れて審査”する形式を採用していた。
ここで審査基準として提示されたのが「香りの説明が30文字以内」「渡す順番が迷子にならない」「相手の顔を見てから出す」などのルールである。数値化はしばしば誇張されるが、自治体向けの教材冊子では、説明を30文字以内に収める“訓練”が推奨されていたとされる[5]。
また、児童館の現場では、調香師ごっこの象徴としてやの布を小さく切った「調香師帽」が定着した。調香師帽は、子どもの自己演出と安全の両面で好評だったとされる。いくつかの資料では“鼻を覆う用途ではない”と明記されているが、実際には帽子がずれて香りの強さを誤認させる事例もあり、ここが後述する論争点にもなっている。
遊び方と道具[編集]
基本的な流れは、(1)相手の要望を聞く、(2)候補の香りを提示する、(3)相手が選ぶ、(4)“調香師”が短い理由を添えて渡す、(5)余韻の合図として一言で締める、という構造である。
道具としては、石鹸、香り玉、香りつきティッシュ、香りつき文具などが挙げられる。特に香りつきティッシュは扱いやすく、1回の提示につき“ティッシュ1/4枚分”が目安とされることがある。これは、過剰な揮発を避けるという建前で説明されるが、実際には子どもの取り分け作業がしやすいという実務的理由もあったとされる。
また、遊びの中では「香りのカタログ」を作ることがある。カタログには、たとえばの香り、の香り、の香り、の香りなど、“情景”を想起させるラベルが貼られる。ここで面白さの核になるのが、子どもがラベルを単なる特徴ではなく、物語の登場人物のように扱う点である。ある学童の記録では、雨上がりの香りを選んだ子が「この香りは静電気を鎮めます」と発言し、その後の遊びが急に“儀式”へ傾いたと報告されている[6]。
一方で、素材によってはアレルギーや刺激の強さが問題になる場合があるため、遊びは“選べる楽しさ”として設計されるのが望ましいとされる。しかし実際には、子どもが興奮して匂いの重ね塗りを試すことがあり、その結果“香りが増えたのか、単に酔ったのか”が判別できなくなることがある。こうした現場の曖昧さが、論争にも接続している。
社会的影響[編集]
調香師ごっこは、嗅覚を「科学的に測るもの」ではなく「相手に伝わるもの」として扱う点で、家庭内コミュニケーションの型に影響したとされる。
たとえば、親が子どもの泣きの理由を言語で確認する代わりに、「香りで今日は何が欲しい?」と尋ねる家庭が増えたという報告がある。児童館の担当者によれば、そうした質問は3歳児で特に効果があり、誤解を含みながらも“肯定されている”感覚が得られたためだとされる[7]。
また、学校教育の周辺領域では、調香師ごっこが感情教育の補助に使われた時期がある。ある自治体の指導案では、朝の会に「気分の香り選手権」を導入し、選ばれた香りを黒板の“今日の天気”欄に転記したという。転記は1日の最後に振り返りとして行われ、子どもは「昨日は落ち着き、今日は冒険」と表現したと記録されている。ただし、天気と香りの対応が固定化すると、後から実際の天候に適応しづらくなるという懸念も指摘された。
さらに、香料産業側では、子どもが選んだ“情景ラベル”がヒット商品のネーミングに転用された例があるとされる。根拠の提示は限定的であるものの、の小売企業が「雨上がりの香り」をテーマにした雑貨を売り場に増やしたところ、同年に「調香師ごっこ」向けの香り素材が売れたという販売担当の回想が知られている。ここでは、遊びが消費の先取りにもなったという見方がある。
批判と論争[編集]
調香師ごっこに対しては、嗅覚の刺激が強い素材を選びすぎることへの懸念、ならびに“調香師ごっこ=癒し”という単純化への批判が存在する。
とくに論点になったのは、調香師ごっこが「安心」の象徴として扱われる一方で、子どもが香りの失敗を恥と結びつける可能性である。たとえば、選び手が「あなたの香りは今日合わない」と言ってしまう場面があり、これが相手の自尊感情を損ねる恐れがあるとされる。そのため、児童施設では“理由は必ず肯定で始める”という口上をルール化した例がある[8]。
また、香り素材の混用による誤認も指摘されている。香りつきティッシュと石鹸を同時に近づけると、子どもはそれを「新しい香り」と見なしてしまうが、大人から見ると単なる刺激の合算である場合もある。さらに、調香師帽の運用が鼻の位置を変えるため、結果的に“香りが別物に見える”という現象が報告されたことがある。ある指導員のメモでは、同じ香りでも帽子の高さが5mm変わるだけで評価が変わった、と記されている[9]。
なお、最も奇妙な論争として語られるのが、「調香師ごっこは嗅覚の記憶を固定しすぎる」という学術寄りの主張である。これはの会合で、香りを結びつけた“思い出ラベル”が将来の嗜好形成に影響する可能性を議論したとされる。しかし、同じ会合の記録では“固定”という言葉が参加者の冗談から出た可能性もあるため、真偽は定まっていない。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 山根さくら『嗅覚コミュニケーションの幼児期設計』東雲書房, 2001年.
- ^ 佐伯弘樹『遊びとしての香り:調香師ごっこの実践記録』学童研究叢書, 1999年.
- ^ Margaret A. Thornton「Children’s Scent-Choice Narratives and Pretend Roles」『Journal of Sensory Play』Vol.12 No.3, 2004年, pp.41-63.
- ^ 田中慎二『匂い申告カードの社会史:1970年代後半の家庭と施設』中央児童教育出版, 2007年.
- ^ Klaus R. Meier「Affective Labels in Early Olfactory Training」『International Review of Aromatic Learning』Vol.8 No.1, 2010年, pp.9-27.
- ^ 林由貴子『香り教育の現場:自治体マニュアルの系譜』自治体研修出版, 2013年.
- ^ 小野寺健太『調香師帽と安全運用:現場の微差が生む評価』『教育保健技術年報』第27巻第2号, 2016年, pp.88-104.
- ^ Brenda Holt「On the Risk of ‘Soothing’ Through Play」『Child Development & Material Culture』Vol.19 No.4, 2018年, pp.112-130.
- ^ 西島文『雨上がりの香りは売れるか:商談史の誤差分析』市場嗜好研究会, 2020年.
- ^ (書名が一部誤記されている可能性がある)『調香師ごっこ大全:実践30秒ルール』東京香料企画, 2006年.
外部リンク
- 嗅覚あそび研究室
- 児童館手帳アーカイブ
- 香りラベル辞典(非公式)
- 調香師ごっこレシピ倉庫
- アロマ家庭科クラブ