豆腐は誰のものか
| 提唱者 | 渡会清次郎 |
|---|---|
| 成立時期 | 1897年ごろ |
| 発祥地 | 京都府京都市上京区 |
| 主な論者 | 佐伯冬彦、マルガレーテ・フォン・クライン、黒田ミナ |
| 代表的著作 | 『豆腐所有論序説』 |
| 対立概念 | 共享豆腐論、無主豆腐説 |
豆腐は誰のものか主義(とうふはだれのものかしゅぎ、英: Tofu Ownershipism)とは、の帰属をめぐるの優位を説く思想的立場である[1]。個人の食卓、共同体の台所、さらには国家の食料政策にまで及ぶ「豆腐の概念」をめぐり、末ので成立したとされる[2]。
概要[編集]
豆腐は誰のものか主義は、が単なる食品ではなく、作製者、販売者、供食者、さらにそれを囲む家族や共同体のいずれに帰属するかという問題を中心におく思想である。支持者は、豆腐の所有関係を明確化することにより、食卓における秩序と倫理が保たれると主張した。
この立場は、のちにの町家文化との商業倫理を接合する形で発展し、近代日本の家制度批判と結びつけられた。また、豆腐を「可食的契約物」とみなす点に特徴があり、食べられる前に誰のものでもなく、切られた瞬間に共有財へ転化するという独特の概念史を形成した[3]。
語源[編集]
「豆腐は誰のものか」という表現は、30年代の京都で流行した問答形式の一つに由来するとされる。これは、商家の朝餉において豆腐を最初に箸で割る者が、その所有権を主張できるかをめぐる法学者と料理人の即興討論から生まれたとする説が有力である[4]。
語末の「主義」は、当初は揶揄的に用いられたが、の周辺で「食物の帰属をめぐる一群の思想」を総称する学術語として定着した。なお、一部の古い文献では「とうふ所有主義」「腐素帰属論」とも表記され、用語はかなり揺れていたことが知られている。
歴史的背景[編集]
成立の背景には、の都市化によって、家庭内の調理が分業化し、豆腐が「買うもの」「作るもの」「譲るもの」のいずれであるかが曖昧になった事情がある。とくにの豆腐屋では、早朝に届けられた板豆腐が、配達中に隣家へ差し出された場合の所有関係をめぐって、しばしば口論が生じたとされる[5]。
また、当時の地方紙『』は、豆腐一丁の価格が一銭五厘から一銭八厘へ変動しただけで「家の権威が揺らぐ」と論じた。こうした報道が過熱するなかで、の一部官僚が「豆腐をめぐる帰属不安」を社会秩序の問題として捉え、結果として思想運動に半ば行政的なお墨付きを与えた点は見逃せない[6]。
主要な思想家[編集]
渡会清次郎[編集]
渡会清次郎は、に京都の私塾「白玉社」で講義を行い、豆腐の所有は「作る者」ではなく「沈黙を守って差し出す者」に帰属すると主張した人物である。彼によれば、豆腐は崩れやすいがゆえに、所有の宣言を最も必要とする存在であった[7]。
佐伯冬彦[編集]
佐伯冬彦は期の評論家であり、豆腐の所有を家父長制から切り離すべきだと論じた。彼はの豆腐問屋を調査し、帳簿上の在庫と実際の冷奴の数が平均で1.7丁ずれることを根拠に、「所有は常に遅延する」と結論づけた。
マルガレーテ・フォン・クライン[編集]
マルガレーテ・フォン・クラインはの比較哲学者で、に来日して豆腐を一度も食べずに論文を書いたことで知られる。彼女は、豆腐の所有権は味ではなく「切断の形式」に宿るとし、欧州のと東アジアの食卓儀礼を接続した[8]。
黒田ミナ[編集]
黒田ミナは戦後で活動した思想家で、冷蔵庫の普及によって豆腐の所有が家庭内で固定化されることを批判した。彼女は「冷えた豆腐は誰のものでもなく、ただ温度差の記憶である」と述べ、後のに影響を与えたとされる。
基本的教説[編集]
豆腐は誰のものか主義の第一原理は、「豆腐は未切断の状態では生産者のもの、切断された瞬間に共同体のもの、口に入った瞬間に記憶のものとなる」である。ここでいう共同体とは家族に限らず、同じ膳を囲んだ者すべてを含む広義の概念である。
第二原理は、「崩れた豆腐ほど所有権が強く主張される」という逆説である。支持者は、形を失った豆腐ほど誰が最後に箸を入れたかが重要になるため、所有の証拠が感覚ではなく痕跡へ移行すると説明した。これに対し、反対派はそれを「食卓における法技術の過剰」と呼んだ[9]。
第三原理として、豆腐は贈与と売買の中間に位置する「半所有物」であるとされる。これにより、豆腐を親戚に持参する行為は単なる配達ではなく、所有権の一時的貸与として理解されるようになった。なお、の『豆腐と家政』では、湯豆腐に限り所有権が湯気に吸収されるとする「蒸散説」が唱えられている。
批判と反論[編集]
批判者は、豆腐の所有を論じること自体が、食の即時性を損ない、食卓を官僚化すると指摘した。とりわけの社会学者・杉山恒蔵は、豆腐の所有を厳密化すると「醤油の帰属」「葱の帰属」へと無限後退するため、制度として破綻すると論じた[10]。
また、無主豆腐説の立場からは、豆腐はそもそも水分と凝固の暫定的結合にすぎず、所有可能な実体ではないと反論された。これに対して豆腐は誰のものか主義の側は、「実体が不安定であるからこそ所有概念が要請される」と再反論し、議論は以降、しばしば料理評論の欄へ追いやられた。
なお、戦後の一部の論壇では、この思想が「冷奴資本主義」の温床であると批判されたが、当の支持者は「批判されるということは、まだ豆腐が誰かに属している証拠である」と応じた。この応酬は、現在でも古典的な論争事例として引用される。
他の学問への影響[編集]
法学では、の成立を物体の固定性ではなく、移転の儀礼に見る議論が活性化した。とくに法学部の一部研究者は、豆腐の引き渡しをめぐる慣習を「食料版占有改定」と呼び、民法の補助的比喩として用いた。
経済学では、豆腐の価格変動よりも「誰が食べたか」が価値を規定するという見方から、家庭内市場の分析が進んだ。さらにでは、豆腐をめぐる沈黙、取り分、箸の往復回数が家族関係の権力構造を可視化する指標として扱われた[11]。
文学への影響も大きく、中期の私小説には「誰の豆腐か」をめぐる比喩が頻出するようになった。とりわけ、戦後の食卓を描く作品群では、豆腐は「共同体の残響」として用いられ、哲学用語としてよりも感傷的イメージとして流通した。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 渡会清次郎『豆腐所有論序説』白玉社, 1898.
- ^ 佐伯冬彦『食卓と帰属の倫理』洛北書房, 1912.
- ^ Margarete von Klein, "Ownership and Soft Matter in Kyoto", Journal of Comparative Philosophy, Vol. 7, No. 2, pp. 41-68, 1925.
- ^ 黒田ミナ『冷蔵庫以前の共同体』神戸思想叢書刊行会, 1954.
- ^ 杉山恒蔵「豆腐の所有と制度疲労」『社会理論季報』第12巻第4号, pp. 119-136, 1936.
- ^ 井上澄江『湯豆腐の政治学』京阪文化出版, 1961.
- ^ Arthur P. Elwood, The Grammar of Tender Objects, Oxford Essays in Continental Life, 1931.
- ^ 松井和彦「半所有物概念の再検討」『民事慣習研究』第18巻第1号, pp. 3-22, 1972.
- ^ 大塚良平『豆腐と家族法のあいだ』東洋法学会, 1988.
- ^ Helen M. Carter, "Who Owns the Curds?", Transactions of the Society for Speculative Nutrition, Vol. 14, No. 1, pp. 77-94, 2004.
外部リンク
- 白玉社アーカイブ
- 京都食卓思想資料館
- 東アジア可食的契約研究会
- 家政哲学データベース
- 湯気の形而上学オンライン