赤いシャボン玉事件
| 発生時期 | 1978年11月上旬 |
|---|---|
| 発生場所 | 東京都、神奈川県、埼玉県の一部 |
| 原因 | 赤色染料混入シャボン液の流通とされる |
| 被害 | 児童約1,840人が屋外遊戯を中止 |
| 関係機関 | 東京都生活安全課、厚生省玩具衛生班、東関東児童遊具協議会 |
| 特徴 | 泡が夕方のみ赤く見える現象 |
| 別名 | 赤泡騒動、紅泡事件 |
| 後年の評価 | 検査行政の転機とする説がある |
赤いシャボン玉事件(あかいシャボンダマじけん)は、後期の日本で発生したとされる、の小学校区を中心にを含むシャボン液が一時的に流通した騒動である。後年は、、およびが交差する事例として知られている[1]。
概要[編集]
赤いシャボン玉事件は、に関東地方の学童向け文具店で販売されたシャボン液の一部が、泡立てた際に赤みを帯びて見えたことから始まったとされる騒動である。実際には製品の多くがを薄めたものであり、健康被害は確認されなかったとされるが、当時の保護者の間では「泡が血の色に見える」との噂が広まり、数日での休み時間遊具としてのシャボン玉が自粛対象となった[2]。
この事件は、が玩具の液性管理に着目する契機になったほか、系の学校安全指導要領に「視覚刺激による不安」の項目が追記されたとされる。なお、当時の記録には、泡が赤く見える時間帯が前後に集中していたという奇妙な記述があり、のちに「夕焼け反射説」と「界面活性剤の気泡干渉説」が対立した[3]。
発生の経緯[編集]
発端は、の玩具問屋が輸入した大量のシャボン液原料にあるとされる。問屋は欧州製の空容器に日本側で調合液を充填したが、その際、識別用に入れた酸化鉄系の試験色素が誤って最終製品へ残留したとされている。
11月1日から3日にかけて、の学童が帰宅途中に泡を吹き上げる遊びを行い、夕方の逆光で泡が赤く見える現象が複数報告された。特にとでは、校門前で「赤い泡を見た子は帰宅後に手を洗うように」という貼り紙が出され、これがかえって騒ぎを拡大させたとされる。
当時の一部資料には、問屋の検品担当であったが泡の色を「警戒色に近い」と表現した記録があるが、本人はのちに「実際には台所の蛍光灯の下でしか確認していない」と述べたという[要出典]。
最初の通報[編集]
最初の通報はの保護者からに寄せられたものとされる。通報内容は「子どものシャボン玉が夕方だけ赤くなる」であり、電話係は当初、秋祭り用の紅白演出と誤解したという。
その後、同課は現場確認のため職員4名を派遣したが、到着時には既に子どもたちが飽きており、検査対象の泡は3分で消失したと報告されている。
拡散の過程[編集]
騒動の拡散には、の夕方番組が大きく関わったとされる。番組内で「赤い泡は目に入ると危険らしい」というリスナー投稿が読み上げられ、翌朝には近隣の文具店でシャボン液の売上が通常比でに跳ね上がった。
なお、の一部では、校庭で風向きを利用して泡を飛ばす「安全実験」が行われたが、結果として全校児童が赤い泡を追いかける形になり、むしろ拡散を助長した。
調査と行政対応[編集]
は11月中旬に臨時調査を実施し、シャボン液18銘柄、空容器41本、泡の残留写真63枚を分析したとされる。分析では、赤色の主因は配合ミスではなく、界面活性剤に混ざった微量の酸化染料と、夕焼け時刻の低い太陽光が重なったことによる視覚効果であると結論づけられた[4]。
ただし、調査報告書の一部には「泡の直径が平均で1.7ミリ大きい銘柄ほど赤く見えやすい」とする記述があり、後年の研究者からは統計の取り方が雑であると批判された。これについて、当時の班長だったは「児童の遊びに対して精密計測をしすぎると、かえって泡がしぼむ」と述べたと記録されている。
一方で、は翌年の通達で、理科教材としてのシャボン玉実験を昼間に限定するよう各校へ通知した。この通達が、のちの「屋外実験は10時から15時まで」という学校標準時の慣行につながったとする説がある。
検査装置の導入[編集]
調査の現場には、が貸与した簡易分光器が持ち込まれた。装置は本来、薬品の色素判定用であったが、泡が消える速度に追従できず、観察係は終始メモだけを取り続けたという。
このとき採用された「三回吹いて一回記録する」方式は、後に玩具事故調査の標準手順に近いものとして一部自治体で模倣された。
行政文書の特徴[編集]
本件の報告書は、本文よりも注記の方が長いことで知られる。とくに別紙Bには、シャボン液の保管温度をに保つべきだとしながら、実際の現場が屋外であったため守りようがなかった点が記されている。
この矛盾は、後年の公文書研究で「机上の安全基準の典型」と評された。
社会的影響[編集]
事件後、玩具店では赤・橙系の着色液が一斉に回収され、代わりに無着色の透明シャボン液が主流となった。これにより、子どもたちは「泡そのものの色を観察する」遊びに移行し、結果として全国でシャボン玉観察ノートが流行したとされる。
また、保護者団体の要望を受けては1980年に「遊戯液体自主表示基準」を策定し、光沢・泡径・香料濃度を併記するよう指導を始めた。これが後の玩具パッケージにおける「夕方に見え方が変わることがあります」という注意書きの原型になったとされる。
文化面では、のワイドショーが「赤い泡の正体」を連日取り上げ、視聴者投書欄には「夕焼けのせいではないか」「子どもの夢を返してほしい」などの意見が殺到した。なお、最終日の投書のうち3件は同一の小学校5年生が書いたものだったと後に判明している。
教育現場への影響[編集]
学校では、石けん液を扱う授業において必ず白い紙を背面に置くという暗黙の作法ができた。これは赤みの判定をしやすくするためであり、理科教師の間では「白バック方式」と呼ばれた。
なお、都内の一部私立校では事件を逆手に取り、色の見え方を学ぶ美術と理科の合同授業が実施され、これが後の教科横断型学習の先駆けになったという。
原因をめぐる諸説[編集]
原因については、現在でも三つの説が並立している。第一は「赤色染料混入説」で、問屋段階での試験色素残留が主因とするものである。第二は「夕焼け反射説」で、泡の膜が特定角度の太陽光を反射し、赤く見えただけだとする説である。第三は「児童認知増幅説」で、保護者と学校が騒いだことで泡の赤みが共同幻想化したとする社会学的な解釈である。
このうち、もっとも支持されているのは第一説であるが、の追跡実験では、同じ液を同じ条件で再現しても赤く見える率がからまでぶれることが示され、単純な化学反応では説明しきれないとされた[5]。
また、1984年にの研究グループが発表した論文では、泡の表面に付着した微細な煤塵が色彩を変調させた可能性が示されたが、採取地点が沿いであったため「都市の粉じんを前提にしすぎている」と批判された。
夕焼け反射説[編集]
この説は、泡膜の干渉色が低角度の日光で赤側へ偏るというもので、理屈としては比較的整っている。ただし、事件が最も多く報告された日の天候は曇りがちであり、説明としてはやや苦しい。
もっとも、支持者は「曇りの方が赤く見えることもある」と主張しており、結局のところ、観察者側の心理も含めて議論されることになった。
児童認知増幅説[編集]
この説では、子どもが「赤い」と言えば周囲の大人が赤く感じるようになる連鎖現象が中心に据えられる。社会心理学では、これを半ば冗談めかして「泡の伝言ゲーム」と呼ぶことがある。
ただし、実験を担当したの教員は、被験児の半数が途中で泡を割ってしまい、正式な比較が成立しなかったと記している。
後世への影響[編集]
事件は、単なる玩具騒動としてではなく、日本の消費者安全行政の初期事例としてしばしば引用される。とくに、視覚的な違和感が先行し、物理的危険が後追いで確認されるという構図は、のちの洗剤・食品・学校教材の安全基準に影響したとされる。
には、の市民講座で本件を題材にした「泡と不安の社会史」が開講され、受講者112名中39名が最終回で自宅の石けんを調べ始めたという。講師はこの反応を「事件がようやく市民の手に返った瞬間」と評したが、終了後に会場の流し台が泡だらけになり、次年度からは講座名が変更された。
なお、事件の影響で「赤く見えるものをすぐ危険視しない」という教訓が広まった一方、逆に赤い泡を見つけると記念写真を撮る観光客も現れ、の一部商店街では「赤泡コロッケ」まで販売されたとされる。
批判と論争[編集]
本件をめぐっては、そもそも「事件」と呼ぶべきか「流通事故」と呼ぶべきかで議論がある。批判者は、健康被害が乏しいにもかかわらず大げさな名称がついたことで、当時の行政対応が過剰になったと指摘している。一方で擁護側は、児童の不安と市場の混乱を招いた以上、事件性は十分であるとしている。
また、報道機関が色名を「赤」と断定したことに対し、後年のカラーリストは「実際には朱と桃の中間で、赤と呼ぶにはやや心理的である」と述べた。これに対して当時の記者は「読者は泡の色より見出しの勢いを見ている」と反論したとされる。
さらに、一部の研究者は、事件の再現実験を行う際に赤いシャボン液を大量に作りすぎ、近隣の郵便受けまで薄桃色に染めたとして、学会内で注意を受けた。こうした逸話も含め、本件は半ば教材化され、半ば笑い話として扱われている。
名称問題[編集]
「赤いシャボン玉事件」という名称は報道由来であり、現場では「泡騒ぎ」「紅液騒動」など呼び名が分かれていた。名称が定着した後も、関係者の間では「例の泡事件」と婉曲に呼ばれることが多かった。
なお、新聞見出しを作成したとされるの整理部は、文字数の都合で「赤い」を外す案も検討したが、それでは何が起きたのか分からないとして却下したという。
脚注[編集]
[1] 事件名の初出については、『関東玩具安全史』第2巻第4号に拠る。 [2] 学校の自粛実施数は各自治体で差がある。 [3] 17時12分の記録は当時の気象台ログと一致しない。 [4] 報告書はのちに要旨のみ公開された。 [5] 再現率の幅については測定条件の差異が大きい。
関連項目[編集]
脚注
- ^ 佐伯安治『赤泡騒動と玩具行政』東洋保健出版, 1981.
- ^ 山口文彦『界面活性剤と夕景の誤認』生活文化研究会, 1983.
- ^ 鈴木雅子「関東学童遊戯液における着色異常の一考察」『日本消費科学会誌』Vol. 12, No. 3, 1982, pp. 44-59.
- ^ Margaret A. Thornton, "Chromatic Anxiety in Late Showa Street Play," Journal of Toy Safety Studies, Vol. 7, No. 1, 1989, pp. 11-28.
- ^ 田島一郎『学校安全通達史資料集』文栄社, 1990.
- ^ N. K. Feldman, "Bubble Membranes Under Low-Angle Light," Proceedings of the International Society for Surface Chemistry, Vol. 5, No. 2, 1986, pp. 201-219.
- ^ 東京都立衛生研究所 編『赤いシャボン玉事件 調査要旨』都衛研資料第14号, 1979.
- ^ 小林ハル『泡の見え方と児童心理』青葉新書, 1984.
- ^ Theodor Weiss, "The Red Soap Bubble Problem and Its Administrative Aftermath," Annals of Civic Risk, Vol. 3, No. 4, 1991, pp. 88-104.
- ^ 『泡と不安の社会史』横浜市市民講座記録集, 1988.
外部リンク
- 東関東児童遊具協議会資料室
- 東京都生活安全課アーカイブ
- 日本玩具協会史料ページ
- 関東玩具安全史研究会
- 夕刊関東デジタル縮刷版