赤な
| 分野 | 色彩記法・検査運用 |
|---|---|
| 主な用途 | 赤みの品質保証と再現 |
| 成立したとされる時期 | 江戸末期〜大正初期 |
| 中心的な関係者 | 錦絵職人、染色試験所、官営印刷所 |
| 記法の形式 | 赤度(A)+温度(k)+残光指数(n) |
| 関連用語 | 赤度表、残光紙、にじみ許容量 |
| 特記事項 | 一部地域で「赤な条例」と呼ばれた |
赤な(あかな)は、顔料の赤みを「数値記号」に翻訳するという発想から派生した、色彩運用のための実務的記法である。主にとの現場で用いられ、標準化をめぐる議論が繰り返されたとされる[1]。
概要[編集]
は、赤色の見え方を主観に委ねず、帳簿と現場の判断で同じ結果に到達させることを目的として考案されたとされる記法である[1]。
その中心は「赤度(A)」「加熱由来の揺らぎ(k)」「残光の指数(n)」という三要素に分解し、例えば「A=7.4、k=2.1、n=0.36」のように数値で記録する運用であると説明される[2]。これにより、同じ顔料でも湿度や紙の吸い込み条件が違う場合に、修正手順を共有できるとされた。
一方で、記法が広まるにつれ「赤なは測れるのか」という哲学的疑問が生まれた。そこで、現場では「測定器より人の目を先に標準化する」という逆転策も提案され、は色の科学というより管理の技術として発展したとされる[3]。
歴史[編集]
起源:錦絵の“赤だけ”が揉めた夜[編集]
の起源は、の錦絵制作において「赤い部分だけが版ズレに見える」という争いが頻発したことにあるとされる。特にの問屋筋では、同じ洛陽朱(と称する顔料)が入っているにもかかわらず、刷り上がりの赤が“季節で裏切る”と記録されていた[4]。
物語として語られるのは、安政期の終わりに開かれた「赤だけ再現会議」である。議事は全8回に及び、当時の職人たちは“色見本帳をめくる速度”まで規定したという。例えば、赤な見本の比較は「1分あたり 38.5枚」ではなく「1分あたり 40枚」で揃えるべきだと決められたと記録されている[5]。この細かさは、後に「赤なは色の問題ではなく、視線の時間設計だ」という理屈に結びついたとされる。
また、記法の骨格は染料試験に先立つ“帳簿職”の工夫だったとも説明される。すなわち、職人の感覚をそのまま採用せず、赤を「手続きとしての数値」に置き換える必要があったため、帳簿側が先に赤度表を作り、現場側がそれに合わせて手を動かした、という流れであるとされる[6]。
制度化:官営印刷所と“残光紙”の発明[編集]
と当時の府の衛生係が連携したとされる時期に、は検査制度へ接続された。背景には、官営印刷物で赤が“目に刺さる”とクレームが続出した事件があるとされる[7]。
この際、検査に投入されたのが「残光紙(ざんこうし)」と呼ばれる特殊紙である。紙を光に当ててから暗所に移し、赤だけの残り具合を観察することでn(残光指数)を決める仕組みが導入されたとされる。作業は「暗所で 7分 13秒 待つ」「記録は 9回目の瞬目で行う」など、現場の儀式めいた手順を含んでいたと伝えられる[8]。
制度側の整理として、赤度表は「赤な条例実施要領 第3版(府令)」の形で整備され、A・k・nの数値が帳票の必須欄になったとされる[9]。ただし、条例が求めたのは“正確さ”より“差の説明可能性”であり、どの原因で差が出たのかを再現できることが重視されたとされる[10]。
現代化:測色器より“赤な係”が先に生まれた[編集]
戦後、測色器(分光測定)の普及により色の客観化が進んだとされるが、はそれでも残ったという点が特徴である。理由として、測定器が高価であること以上に「測定条件が揃わないと数値が増殖する」問題が指摘された[11]。
そこで企業では「赤な係」という職掌が設けられたとされる。赤な係は現場の照明や紙のロット、乾燥工程の温度履歴までを1枚の“赤な履歴図”にまとめ、A・k・nの最終値に責任を持つ役割であった。ある大手の内部資料では、赤な係が提出する履歴図のフォーマットが「横 612mm、縦 792mm(A1相当)で統一」とされ、紙面右下の余白に“赤の愚痴欄”を必ず設けるよう命じられていたという[12]。
なお、この職掌が広がった影響として、色の品質が“測定値”から“運用能力”へと評価軸が移り、品質管理が人の学習問題として再定義されたとする見方がある。一方で、赤な係が増えた分だけ帳票作業が増え、「赤の管理が赤を消す」との皮肉も生まれたとされる[13]。
批判と論争[編集]
は客観化の名目で導入されたにもかかわらず、結局は人の視線と手順に依存するため、科学性が薄いのではないかと批判されることがある。特に残光紙の判定については「光の当て方でnが変わる」「暗所待機の厳密さが議論を生む」などの反論が繰り返されたとされる[14]。
また、A・k・nの数値化が進むほど、数値が“正しさの魔法”として扱われるようになり、現場では「A=7台なら合格」という安易な運用が発生したと指摘される。ある監査記録では、合格ラインが“見た目の妥当性”ではなく「赤度が小数第1位まで一致」になっていた可能性が示され、赤なはいつのまにか仕様の硬直化を招いたと論じられている[15]。
さらに、地域差も問題になったとされる。例えばの印刷業者の間では、同じ数値でも“にじみの感じ”が違うとして、k(揺らぎ)の補正係数が「1.03」「1.07」「1.11」の三段階で運用されていたという。この“階段補正”が暗黙のうちに拡大し、後年には赤な係の資格試験が「階段補正を暗唱できるか」を中心に組まれたとする記述もある[16]。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 渡辺精一郎『赤色の帳簿化:赤な記法の成立』印刷会館出版, 1919年.
- ^ Margaret A. Thornton『The Register of Redness: A-kana and the Management of Perception』Oxford Paperworks Press, 1962.
- ^ 田中篤朗『残光紙の判定手順と誤差管理』日本色彩測定学会, 第12巻第4号, 1951年, pp. 33-58.
- ^ Hiroshi Kobayashi『Illumination Time and Index n in Print Quality』Journal of Visual Craft, Vol. 7, No. 2, 1978, pp. 101-129.
- ^ 東京都衛生係編『赤な条例実施要領 第3版』東京都公報局, 1926年.
- ^ 内藤律夫『赤な履歴図の実務的形式』品質管理季報, 第21巻第1号, 1984年, pp. 12-40.
- ^ Satoshi Minamoto『Why A-k-n Survived Spectrometry』International Review of Print Systems, Vol. 19, No. 3, 2003, pp. 201-220.
- ^ 森川まゆ『赤な係という職能:帳票と学習の相関』東京工芸大学紀要, 第5巻第6号, 2011年, pp. 77-96.
- ^ L. R. Kestrel『The Red That Would Not Behave』Color Myth Quarterly, Vol. 2, No. 9, 1999, pp. 5-29.
- ^ 『日本橋問屋と洛陽朱の季節差(要出典)』錦絵資料叢書, 第1輯, 1872年, pp. 1-44.
外部リンク
- 赤な研究アーカイブ
- 残光紙コレクション
- 赤度表データ閲覧室
- 赤な係試験問題倉庫
- 印刷品質運用ノート