辻褄が合わない
| 名称 | 辻褄が合わない |
|---|---|
| 英語名 | Incongruent Causality |
| 分野 | 文書学、行政史、整合性工学 |
| 初出 | 1897年ごろ |
| 提唱者 | 渡辺精一郎、マーガレット・A・ソーンダース |
| 起源 | 東京帝国大学 文脈整合研究室 |
| 主要用途 | 説明文の齟齬検査、議事録監査 |
| 関連機関 | 内務省記録局、帝国文書院 |
| 現在の扱い | 民間の推理講座や校閲実務で半ば慣用化 |
辻褄が合わない(つじつまがあわない、英: Incongruent Causality)は、複数の説明や記録の間で因果関係が接続されず、全体として整合が取れなくなる現象を指すの概念である[1]。末期ので体系化されたとされ、のちにの検査法として広まった[2]。
概要[編集]
辻褄が合わないとは、ある事象について提示された説明の前提、経過、結論が互いに接続しない状態をいう。今日では日常語として使われるが、制度語としては末期の文書監査用語に由来するとされる[3]。
この概念は、単なる矛盾ではなく「説明の途中で辻と褄が別々の方向へ歩き出す」ことを問題にする点に特徴がある。文書学者の間では、にで用いられた検査票「第七号・辻褄照合表」が原型であるとの説が有力であるが、同票は現存しない[4]。
歴史[編集]
起源と命名[編集]
通説では、にの臨時講義「行政文書の継ぎ目」において、渡辺精一郎が草案の不整合を指して用いたのが最初とされる。渡辺は当初「辻と褄が噛み合わぬ」と記したが、助手の小林静枝が黒板の余白に「辻褄が合わない」と書き換え、これが講義録に採用されたという[5]。
一方で、の港湾書記だった福地忠衛門が、倉庫番号と入港記録の不一致を説明するために先に使っていたとする地方資料もある。ただし、その資料では「つじつま」の語が由来の会計用語であると誤記されており、研究者の評価は分かれている。
官庁文書への定着[編集]
、は「説明の接合不良」を理由に、各府県へ回覧文を発した。この文書は、ある巡査が「火災後に雨が降ったため延焼が遅れた」と報告した一方で、同時に「雨天のため出動が遅れた」とも記していた事案を受けたもので、監査官の斎藤兼三が『辻褄は一方だけでは合わぬ』とメモしたことから制度化が進んだとされる[6]。
にはが『辻褄検査便覧』を刊行し、これにより「時系列」「動機」「物証」の三点照合が標準化された。便覧の第4版では、例文として「駅長は列車の到着前に改札を終えたが、乗客数は増えていない」といった、やけに具体的な不整合例が30件掲載されたとされる。
大衆化と日常語化[編集]
期には新聞の投書欄で頻用され、特に推理小説の紹介記事を通じて一般に浸透した。編集者の宮原トメは、毎週の読者投稿から整合しない証言だけを集め、『辻褄合否帳』という欄を設けたと伝えられる[7]。
初期になると、学校の作文指導でも「辻褄が合うか」を問うようになり、子ども向けの国語副読本『話の継ぎ目』では、猫が三回出てくる話なのに一度も飼われていない場合を「典型的な辻褄不全」と説明している。なお、この副読本の配布部数は時点で12万4,300部と記載されているが、刷り色が5版まで毎回異なるため、実数には疑義がある。
理論[編集]
辻褄が合わない状態は、単純な誤りとは区別される。誤りが一箇所の欠落であるのに対し、辻褄の不整合は複数の説明が互いに牽制し合い、どれを採っても別の箇所が崩れる連鎖として捉えられる[8]。
理論家の久保田千鶴はこれを「説明の橋脚が一本だけ短いのではなく、川自体が二本ある状態」と喩えた。またにが公表した統計では、報告書の修正依頼のうち17.8%が「日付の不一致」、22.4%が「移動経路の不自然さ」、9.1%が「登場人物の増殖」に分類されたという。
ただし、同院の統計は「登場人物の増殖」を独立項目として扱っていた点で批判もあり、会議録には『人数が増えたなら経済成長ではないか』という発言も残る。これが後年、監査官の間で半ば冗談として定着した。
社会的影響[編集]
この概念は行政文書だけでなく、新聞、演劇、広告の分野にも影響を与えた。特にの文化面では、映画宣伝における過剰なあらすじを「辻褄過密広告」と呼び、上映前に物語が完成しすぎている作品を問題視した[9]。
また、には保険査定や交通事故の聞き取りで用いられ、の一部部署では「証言の辻褄度」を5段階で評価したとされる。もっとも、評価基準の第3項に「証言者が妙に落ち着いている場合は減点」とあるため、現在では半ば伝説化している。
一方で、日常語としての普及は、責任追及の便利な言い回しを与えた反面、説明が少しでも長いと「辻褄が合わない」と断定される弊害も生んだ。校閲者の間では、本文よりも脚注のほうが辻褄を壊すことがあるとされ、これは「脚注逆流現象」と呼ばれている。
批判と論争[編集]
批判の中心は、辻褄が合わない状態を定義する境界が曖昧である点にある。とくにの『整合性と演繹』をめぐる論争では、東京・神田の貸会議室で「不整合は文学的魅力の一部か」という問いが3時間47分続き、最後は湯のみの数が合わなくなったことから討論が打ち切られた[10]。
また、渡辺精一郎の弟子を名乗る人物が、実際には渡辺がこの用語を好まなかったと証言したため、起源譚の一部は再検討を迫られた。もっとも、その証言者は講演会ごとに肩書が「元助手」「旧蔵書係」「一時的速記者」と変化しており、むしろ彼自身の辻褄が合わないと評された。
現在では、言語学、編集学、さらには市民の会話術にまで応用されているが、専門家のあいだでは「便利すぎる概念は、たいてい最初の説明が辻褄を失っている」と警戒されている。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 渡辺精一郎『文脈の継ぎ目とその誤差』帝国文書院, 1909年.
- ^ 小林静枝『行政書類における辻褄不全の研究』東京法令出版, 1914年.
- ^ 斎藤兼三「火災報告と雨天記録の不一致について」『内務省記録局報』第12巻第3号, 1908年, pp. 41-58.
- ^ Margaret A. Thorne, “On Incongruent Causality in Municipal Records,” Journal of Comparative Bureaucracy, Vol. 7, No. 2, 1921, pp. 113-129.
- ^ 久保田千鶴『説明の橋脚』青木書房, 1926年.
- ^ 帝国文書院編集部『辻褄検査便覧 第4版』帝国文書院, 1913年.
- ^ 宮原トメ「投書欄における不整合表現の増殖」『新聞編集月報』第5巻第11号, 1935年, pp. 7-19.
- ^ Harold P. Winter, “The Two Rivers Problem: Narrative Failures in Public Administration,” Records Quarterly, Vol. 14, No. 1, 1939, pp. 2-26.
- ^ 佐伯辰雄『辻褄度の測り方』警察文化研究会, 1952年.
- ^ 田所ミノル「脚注逆流現象とその実務上の対策」『校閲学雑誌』第3巻第4号, 1961年, pp. 88-97.
- ^ Ruth E. Caldwell, “When the Footnotes Begin to Walk,” Proceedings of the Institute for Textual Integrity, Vol. 9, No. 3, 1974, pp. 201-214.
- ^ 『整合性と演繹』神田論争録編集委員会, 1958年.
外部リンク
- 帝国文書院デジタルアーカイブ
- 東京文脈史研究会
- 校閲実務連絡協議会
- 辻褄現象学オープンライブラリ
- 文書整合監査フォーラム