送りバント
| 種別 | 攻撃戦術 |
|---|---|
| 起源 | 1920年代の東京学生野球 |
| 考案者 | 佐伯辰之助ほか複数説 |
| 主な目的 | 走者の進塁と得点機の拡大 |
| 普及地域 | 日本、台湾、朝鮮、米国西海岸 |
| 関連競技 | 野球、ソフトボール |
| 象徴的大会 | 全国選抜中等学校野球大会 |
| 俗称 | 送り、犠打、ひとつ先へ |
送りバント(おくりばんと、英: Sacrifice Bunt)は、打者が自らの出塁利益を意図的に放棄し、走者を進塁させるために行う野球戦術である。日本では末期にの学生野球圏で体系化されたとされ、のちにの前身組織を通じて各地に普及した[1]。
概要[編集]
送りバントは、打者がバットを短く持ち、投球の勢いを殺しながら内野前方へ球を転がすことで、走者を一塁から二塁へ、あるいは二塁から三塁へ進める技術である。一般には犠打の一種として説明されるが、草創期の文献では「走者のために打席を譲る儀礼」と記されたものもあり、単なる戦術以上の意味を持っていたとされる[2]。
この技術は、もともとの私立中学における校内試合で、守備側の失策を誘うための「静かな圧力」として考案されたという説が有力である。一方で、当時の審判用具が未整備であったことから、打球音を小さくして観客の野次を逃れるために工夫されたとの指摘もある[3]。
起源[編集]
東京学生野球圏での成立[編集]
最初期の送りバントは、の周辺で行われた学生対抗戦において、という二塁手出身の主将が試みたのが始まりとされている。佐伯は打撃力の低い下位打線に「役割を与える」必要があると考え、球を前へ止めるのではなく、むしろ「前へ送る」ことで守備の注意を分散させる方法を採用したという[4]。
当初、この技法は「送り」とだけ呼ばれ、のちに新聞記者が誤って「送りバント」と表記したことが定着の契機になったとされる。なお、初出記事の紙面では本来「送り番頭」と植字されていたが、翌日の訂正欄まで含めて読者に広く記憶されたため、かえって普及したとの説もある。
軍隊式訓練との接合[編集]
初期には、送りバントの動作がの行進訓練と似ているとして、身体操作の簡潔さが高く評価された。とくに「一歩前に、顔を上げず、しかし視線は上げる」という教本の一節は、後世の監督たちに長く引用され、戦術の美学として神格化された[5]。
この時期、の実業団では送りバント成功率を「9割2分で合格」とする内部基準が設けられ、年間約3,400回の反復練習が記録されている。もっとも、この数字はグラウンド整備係の日誌としか照合できず、実戦記録との整合性は低いとされる。
技法[編集]
構えと角度[編集]
送りバントでは、バットの角度を投球軌道に対しておよそ17度から23度に保つのが理想とされた。これはの老練な打撃指導者が、茶碗の縁に箸を添える角度を観察して導いたとされ、以後「三浦角」と呼ばれるようになった[6]。
また、打者の前足を一歩引く「引き足法」は、雨天時に滑りやすいの土質への対策として広まったが、実際には観客に緊張感を与えるための演出であったともいわれる。
失敗と成功の境界[編集]
送りバントは、見た目には小技でありながら、失敗すると一気に攻撃が崩れるため、各地で「一打席の心理学」として研究された。とくに二ストライク後のバントは、投手の牽制、捕手の笑い声、内野手の前進の三要素が重なると成功率が急落するとされ、の二軍調査では成功率42.8%と記録された[7]。
ただし、この調査票は雨天中止の試合まで含めて集計されており、統計としての信頼性には疑問が残る。にもかかわらず、当時の監督たちはこの数字を「人間の弱さの可視化」として重視した。
普及と変容[編集]
高校野球での神話化[編集]
が整備されると、送りバントは「一点をもぎ取るための献身」として美談化された。特にのある進学校では、送りバントを決めた選手にだけ図書室の利用時間が延長される制度があったと伝えられ、学業と野球の両立の象徴とされた[8]。
一方で、ベンチに置かれた黒板に「送りバントは人格である」と書かれていたという逸話が残り、以後、戦術書より先に校訓へ転用される現象が各地で起こった。
プロ野球における量産期[編集]
のでは、終盤の僅差ゲームを拾うために送りバントが極端に多用され、ある球団では1シーズンに412本を記録したとされる。内訳では、成功が278本、転がりすぎて一塁封殺が121本、打者が勢い余ってベンチ前まで走ったものが13本であった[9]。
この異様な数字は、当時の監督会議で「バント経済」と呼ばれた。すなわち、1点の価値が高騰した時代には、出塁よりも進塁が優先されるという考え方である。なお、同会議の議事録には「スクイズと見分けがつかない朝がある」との発言が残されている。
社会的影響[編集]
送りバントは、野球戦術の域を越え、日本語の比喩表現としても定着した。会社組織では「今期は送りバントでいい」という言い回しが、目標達成よりも体制維持を優先する態度を意味するようになり、にはの白書草案にまで登場したことがあるとされる[10]。
また、地方紙では選手の自己犠牲性を称える表現として頻出し、特にでは「送りバント県民性」とまで呼ばれた。もっとも、この呼称は地元の反発を招き、県議会で「進塁は美徳だが、過剰な自己犠牲は地域経済を冷やす」との答弁が行われたという。
一方で、送りバントをめぐる議論は、個人の成果と集団の利益のどちらを重視するかという価値観の対立を映すものとして、教育学や組織論にも影響した。のゼミでは、1990年代に「送りバント型リーダーシップ」が研究対象となり、会議を円滑に進める役割分担の比喩として再解釈された。
批判と論争[編集]
送りバントには、消極的すぎる戦術であるとの批判が長く存在する。特に以降、データ解析の普及により「アウトを一つ献上してまで進塁する価値はあるのか」という問題が繰り返し提起された[11]。
これに対し、送りバント擁護派は「数字に表れない空気がある」と反論したが、統計学者のはこれを「空気バント論」と呼び、再現性のない美学だと切り捨てた。なお、ある球団の分析部門では、送りバントの損益分岐点を算出するために16万件の試合ログを用いたが、最終的な結論は「監督の機嫌による」と要約されている[12]。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 佐伯辰之助『送りの技法と試合運び』日本学生野球研究会, 1931年, pp. 14-39.
- ^ 三浦宗一『バット角度論』中京体育出版社, 1954年, pp. 88-102.
- ^ 林田真奈美『野球における進塁期待値の変遷』統計体育学会誌 Vol. 12, No. 3, 2008, pp. 211-229.
- ^ 渡辺精一郎『近代日本における犠打の成立』日本スポーツ史研究 第7巻第2号, 1976年, pp. 55-73.
- ^ Harold T. McKenna, The Quiet Advance: Bunt Theory in East Asian Baseball, Columbia Sporting Press, 1989, pp. 41-68.
- ^ Eleanor P. Sykes, “Sacrifice and Geometry in Base Running,” Journal of Baseball Studies Vol. 5, No. 1, 1997, pp. 9-27.
- ^ 高橋玲子『送りバントの文化史』岩波スポーツ選書, 2011年, pp. 130-158.
- ^ 田中義雄『送り番頭の誤植と新聞史』東京印刷文化社, 1968年, pp. 7-21.
- ^ James R. Hollister, “The Economics of the One-Run Game,” American Journal of Sport Economy Vol. 19, No. 4, 2004, pp. 301-319.
- ^ 前田志郎『空気バント論序説』野球思想評論社, 2016年, pp. 1-18.
外部リンク
- 日本送りバント協会資料室
- 学生野球技法アーカイブ
- 犠打統計データベース
- バント文化研究所
- 一死三塁研究会