都市型音響
| 名称 | 都市型音響 |
|---|---|
| 英名 | Urban Acoustic |
| 分野 | 都市工学、環境音響、景観設計 |
| 成立 | 1968年ごろ |
| 発祥地 | 東京都千代田区・丸の内周辺 |
| 提唱者 | 黒田 恒一郎、Margaret L. Wren |
| 主な用途 | 街路騒音の知覚調整、広場の滞留促進、夜間治安の向上 |
| 関連機関 | 建設省都市音環境調整班、東京音景研究会 |
| 代表的装置 | 反響柱、路面共鳴タイル、静音庇 |
都市型音響(としがたおんきょう、英: Urban Acoustic)は、における交通・建築・生活音を、意図的に配置された反射体と吸音材によって調律し、環境の印象を設計する技術体系である。後半ので、試験的な街路改修とともに成立したとされる[1]。
概要[編集]
都市型音響は、において音を単に減衰させるのではなく、歩行者の移動速度、会話量、滞在時間を操作するための設計思想である。一般には対策の一種と理解されるが、実際には音の「聞こえ方」を再配分することで、街区ごとの性格を作り分ける点に特徴がある。
この概念は、にとの共同研究として始まった「丸の内街路音場実験」に端を発するとされる。実験の報告書では、風切り音の強い交差点に置かれた花壇が、予想外に通行人の足音を増幅し、結果として周辺の商業売上が上昇したことが記録されている[2]。ただし、この数値は後年の再測定で大きく揺れており、研究者の間でも解釈が分かれている。
定義[編集]
都市型音響の定義は時期によって微妙に変化している。初期には「都市の音を整列させる技法」と呼ばれたが、以降はの一部委員会で「音による都市行動誘導」と整理された。なお、一般市民向けのパンフレットでは、単に「うるささの上品な扱い」と説明されることもあった。
成立条件[編集]
成立には、交通量が1日を超える幹線道路、低層建築と高層建築が50メートル以内で混在する街区、ならびに夜間人口が昼間人口の以下に落ちる業務地区が必要とされた。これらの条件を満たす地域として、の旧計画区が比較対象に挙げられている。
歴史[編集]
前史[編集]
都市型音響の前史は、のによる街路植栽計画にまで遡るとされる。当時、石造建築の壁面が作る反射音が市場の呼び込みに有効であることが偶然発見され、の一部では「音のたまり場」を意図的に残す設計が行われたという。もっとも、当時の記録には「会話が妙に長引く」との苦情も多く、公式には失敗例として扱われた。
確立期[編集]
、工学部の黒田 恒一郎と、英国人音響学者のMargaret L. Wrenが、の有楽町寄り路地で共同測定を行い、街路樹の枝葉が自動車騒音を吸収するだけでなく、通行人の声量まで均質化することを見いだした。これにより、音場を「静かにする」のでなく「上質にする」という発想が生まれたとされる[3]。
同年秋には、建設省の内部資料『都市音響環境の位相制御に関する覚書』が作成され、3基、48枚、16基を組み合わせた試験街区が設けられた。ここで通行者の平均滞留時間がからに伸びたと報告され、都市型音響は行政用語として半ば定着した。
普及と変質[編集]
には、大阪・の地下歩行空間や、駅前のペデストリアンデッキにも応用され、商業施設が自前の音響設計室を抱える例が増えた。とくにの「三層音場モデル」以降は、上層を交通音、中層を会話音、下層を機械音として分離する設計が流行し、百貨店の館内放送まで都市型音響の一部と見なされるようになった。
一方で、にが実施した追跡調査では、音響設計の整った街区ほど野良犬が集まりやすい傾向が報告され、治安対策と生態系保全のどちらを優先するかで激しい議論が起きた。なお、この調査票の一部は豪雨で溶けたまま提出されたとされ、後年の研究者を悩ませている。
理論[編集]
音場の層構造[編集]
都市型音響では、街区の音を「外縁層」「接触層」「滞留層」の3層に分けて扱う。外縁層は車両騒音を受け止める領域、接触層は歩行者の靴音や会話が交差する領域、滞留層はベンチ、植栽、庇などによって音が丸くなる領域である。理論上、滞留層の残響時間がを超えると、広場は祭礼空間に近い性格を帯びるとされる。
知覚補正[編集]
この分野の独特な点は、物理的なデシベル値よりも「知覚補正係数」を重視することである。たとえば同じでも、路面が乾いた石材であれば「事務的な騒音」と判定され、木質デッキ上であれば「安心感を伴う都市音」と分類された。黒田はこれを「耳の景観行政」と呼んだが、後に記者会見で言い間違えた「耳役所」という表現が独り歩きした。
設計指標[編集]
都市型音響の実務では、A値やC値に似た独自の指標が用いられた。もっとも知られるのは「K係数」であり、1.0を基準に、0.8以下は静穏型、1.2以上は活性型とされる。1980年代後半には、商店街振興組合がK係数を競って改修を行い、同じ通りの向かい側で静穏型と活性型が真正面から対立する現象もみられた。
主要人物[編集]
都市型音響の中心人物として最初に挙げられるのは、黒田 恒一郎である。彼は生まれの都市工学者で、もともとは橋梁の振動解析を専門としていたが、での測定中に「街は音で年輪を作る」と発言し、関係者を半ば困惑させたことで知られる。
共同提唱者のMargaret L. Wrenは、系の研究者として紹介されることが多いが、実際にはの港湾音響調査のために来日していた期間が長く、日本語の会議録には「ワレン氏」と記されることもあった。彼女は、都市の音が人間の行動だけでなく、鳩の着地位置まで左右すると主張し、これが後の「生体音響ゾーニング」の発想につながったとされる。
また、行政側の実務を支えたのがの渡辺 精一郎である。渡辺は予算書の余白に「この街区はもっと低いト長調が必要」と書き込んだ逸話で有名で、のちに音響設計と楽典を混同した官僚として半ば伝説化した[4]。
研究会の周辺[編集]
民間ではが大きな役割を果たした。同会はの喫茶店を拠点に月2回の試聴会を開き、街角の工事音を録音したカセットテープを持ち寄って「都市らしさ」の度合いを採点していた。採点表には「自転車ベルの余韻が美しい」「信号機の電子音が硬すぎる」など、学術論文とは思えないコメントが多数残されている。
反対派[編集]
一方で、の一部研究者は、都市型音響を「感覚の行政統制」に近いものとして批判した。彼らは、音の整えられた街区では路上演奏や立ち話が排除されやすいと指摘し、とくにの実験では、商店街のスピーカー配置をめぐって夜間に2度の再調整騒ぎが起きたと報告している。
社会的影響[編集]
都市型音響は、交通政策、商業設計、観光振興の3領域にまたがる影響を与えたとされる。たとえばのの商業調査では、音響整備済みのアーケードは未整備区に比べ、雨天時の立ち寄り率が高かった。これを受けて、百貨店や地下街が「聞こえの案内表示」を独自に導入し、エレベーターの到着音まで店舗ごとに差別化するようになった。
また、住環境の面では、夜間の車道に沿って設置される吸音フェンスが、単なる防音ではなく「眠りの前景」として宣伝されるようになった。新聞広告には「この壁は静かではなく、落ち着いている」といった、やや哲学的な文句が並んだという。
なお、にがまとめた報告書では、都市型音響の整備が進んだ地区ほど自転車のベルが頻繁に鳴らされるという逆説的な結果が示された。研究者はこれを「静けさが生む礼儀」と解釈したが、配達員からは「道が滑らかすぎて急ブレーキ音が目立つだけ」との反論も出ている。
商業利用[編集]
商業利用では、百貨店の吹き抜けや再開発街区が主要な実験場となった。とくにの大型複合施設では、雨天時のみ天井面の反射率が変わる「可変反響ドーム」が導入され、傘の水滴音を広告的に使う試みまで行われた。
行政利用[編集]
行政利用では、防災広場や駅前ロータリーの避難誘導音が都市型音響の成果として扱われた。防災無線の聞き取りやすさを上げるために、周辺の植栽をわざと低く剪定する方式が採られたが、夏季には木陰の減少で苦情が増え、担当課は「音のために暑い街になった」と説明に追われた。
批判と論争[編集]
都市型音響への批判は、主に「操作されていることに気づきにくい」という点に集中した。音の印象を変えることで、実質的には人の滞在や購買を誘導しているのではないかという指摘である。とくにの西口地下広場では、BGMを弱めた瞬間にベンチ利用者が減少したという報告があり、音響設計が行動心理に与える影響の大きさが問題視された。
また、測定法の不統一も長く論争を呼んだ。ある研究班は朝8時の測定を標準とし、別の班は終電後の駅前を基準にしたため、同じ通りでも「活性型」「静穏型」「半祭礼型」の3通りの判定が出ることがあった。さらに、には学会発表用のスライドが入れ替わり、無関係なの車窓音が「理想的な都市音」として紹介される事故が起き、会場が妙に盛り上がったという。
それでも都市型音響は完全には否定されず、現在では景観計画の周辺概念として細々と継承されている。もっとも、実務者の間では「結局は、うるささを上品に言い換える技術だったのではないか」という自嘲も根強い。
要出典とされる逸話[編集]
黒田が試験街区で鳩にメガホンを向けたところ、鳩の集団が一斉に南へ移動し、周辺のランチ需要が変化したという逸話が残る。ただし、この話は一次資料が見つかっておらず、都市型音響の伝説として語られることが多い。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 黒田 恒一郎・Margaret L. Wren『都市音場の位相と歩行速度』日本建築学会論文集, Vol. 83, No. 611, pp. 41-58, 1969.
- ^ 渡辺 精一郎『街区反響と商業滞留の相関』建設省都市音環境調整班報告書, 第12巻第3号, pp. 7-29, 1971.
- ^ S. H. Ellwood, Urban Sound and Civic Weather, Routledge, 1976.
- ^ 東京音景研究会 編『試聴する都市: 丸の内カセット会議録』音景社, 1978.
- ^ 黒田 恒一郎『耳役所の成立』都市行政評論, 第4巻第2号, pp. 112-130, 1980.
- ^ Marianne P. Holt, Acoustic Facades in Dense Districts, Journal of Environmental Perception, Vol. 19, No. 2, pp. 201-223, 1983.
- ^ 建設省都市音環境調整班『都市音響環境の位相制御に関する覚書』内部資料, 1968.
- ^ 小泉 由紀子『静音庇の設計とその過剰な成功』景観工学研究, 第7巻第1号, pp. 3-17, 1986.
- ^ N. R. Pembroke, The Municipal Tuning of Streets, Cambridge Urban Papers, 1989.
- ^ 環境庁都市騒音対策室『都心地区における知覚補正係数の比較』調査季報, 第18巻第4号, pp. 55-74, 1992.
- ^ 黒田 恒一郎『都市の音はなぜ年輪になるのか』新潮都市選書, 1994.
外部リンク
- 東京音景アーカイブ
- 都市型音響研究資料室
- 丸の内音場保存会
- 環境音設計協議ポータル
- 静音庇普及連盟