鈍座村連続殺人事件
| 正式名称 | 鈍座村連続殺人事件 |
|---|---|
| 発生時期 | 1968年12月 - 1971年9月 |
| 発生場所 | 宮城県北部とされる鈍座村周辺 |
| 分類 | 連続殺人事件、未解決事件、民俗干渉事案 |
| 被害者数 | 6名 |
| 容疑者数 | 14名(うち3名は同一人物の別名義とする説あり) |
| 主な関係機関 | 宮城県警察鈍座臨時捜査班、東北民俗研究会 |
| 特徴 | 同一現場に複数の足跡が現れるが、雨が降ると1本だけ増える |
| 影響 | 村落防犯計画と「暗室聞き取り法」の導入 |
鈍座村連続殺人事件(どんざむられんぞくさつじんじけん)は、後期のに実在したとされるであり、後にとの境界を揺るがした事例として知られている[1]。事件そのものよりも、現場で繰り返し記録された「同一人物ではないのに同じ筆跡で残される供述書」が注目され、内では長らく「鈍座型」と呼ばれていた[2]。
概要[編集]
鈍座村連続殺人事件は、北部の山間部にあったとされるで、末からにかけて断続的に発生した一連の殺人事件である。被害は主として旧沿いの民家、炭焼き小屋、廃校舎に集中していたとされ、当時の県警資料では「単独犯による犯行に見えて、現場ごとに社会的役割が異なる」と記述されていた[1]。
この事件が特異であるのは、犯行の残虐性そのものよりも、周辺住民の証言が毎回わずかに食い違う点にあった。ある者は「夜のの鳴き声に合わせて戸が開いた」と述べ、別の者は「村ので配られた湯呑みの数が一つ足りなかった」と証言しており、後年の研究ではこれらが犯人の行動よりもの記憶改変に強く依存していたと分析されている[3]。
なお、事件名に含まれる「鈍座」は地名としてはやや不自然であり、当初から地元でも読み方が揺れていた。県の公文書では「どんざ」、新聞では「どんさ」、の初期報告では「どんじゃ」と記されており、この表記ゆれが後の捜査混乱を招いたとされる。
事件の背景[編集]
鈍座村の成立[編集]
鈍座村は末期に姓の旧家と姓の炭焼き集落が合併して成立したとされるが、実際にはのをめぐる境界争いを収めるため、地図上だけで先に作られた「仮想村」であったという説が有力である[2]。村の戸籍はではなくの裏帳簿に近い形式で管理され、住民票の半数が年1回ので更新されていた。
このような不安定な行政基盤のため、外部からの立入調査はたびたび失敗している。とくにのによる生活実態調査では、回答者17世帯のうち5世帯が「自分は鈍座村の住民ではない」と答え、残り12世帯は「村の境は霧の日にしか確定しない」と回答したという。
最初の異変[編集]
最初の事件は12月、旧家の離れで発生したとされる。現場には争った痕跡が少なく、代わりに石灰で描かれた不自然な円が床に3重に残されていた。県警は当初、強盗殺人とみていたが、翌月同じ円がの社務所前にも現れたため、民俗学的な関連が疑われるようになった[4]。
また、第一発見者の証言によれば、現場の机上には「一日一人、村は軽くなる」という短い文が墨書きされていたという。ただしこの文言は後年の聞き取りで「一日一品」に変化しており、当時の新聞記事でも見出しが完全に一致していない。これが事件の性格を、単純な猟奇犯罪から集団的暗示の問題へと押し広げた。
捜査経緯[編集]
は1月、県内でも異例の臨時捜査班を設置し、心理分析官2名、鑑識係4名、聞き取り担当8名を投入した。班長を務めた警部補は、現場の物証よりも「語りの反復」に注目すべきだと主張し、被害者家族、僧侶、配送業者まで含めて延べ214件の聞き取りを行ったとされる[3]。
捜査が進むにつれ、容疑者はに増えたが、その大半は互いの証言の中でしか存在しない人物であった。たとえば「」はある証言では村役場の出納係、別の証言では、さらに別の証言ではの口上師であり、県警内部では「役割だけが先に存在する人物」と呼ばれていた。
特筆すべきは、現場で採用された「暗室聞き取り法」である。これはをすべて消し、豆電球1個の下で証言を取る手法で、顔の輪郭が見えにくくなることで証言の同調圧力を下げる狙いがあった。のちに界では一定の評価を受けたが、鈍座事件では逆に「暗さが真実を呼ぶ」という迷信を強化したとの指摘もある。
主要被害者と現場[編集]
被害者の共通点[編集]
被害者6名はいずれも鈍座村の中心部から半径2.8キロ以内で生活していたが、職業は、、、、、とばらばらであり、共通点は「毎年の最後に笛を吹かされる立場だった」ことのみであった。後年の研究では、この笛が村内の上下関係を象徴していたとされるが、当時の住民は「単に音が小さいから」と説明している。
なお、被害者のうち2名は同じ時刻に別々の場所で目撃されており、県警はこれを単なる目撃ミスとして処理した。しかしの再調査で、村内の時計が約14分ずつずれていたことが判明し、事件の時系列自体が後付けで整理されていた可能性が浮上した。
現場に残された物証[編集]
各現場には、、、古いの半券、そして必ず1本だけ折れたが残されていた。輪ゴムは理学部の分析により、通常のゴムより高い塩分を含むことが判明したが、由来は最後まで特定できなかった。
また、3件目の現場で見つかったには「鈍座村は六人で一周する」と刻まれていた。これは被害者数を予告するものとして大きく報じられたが、のちに木札の木目が編集された村内掲示板の板材と一致することが分かり、事件に関わる者が犯人なのか広報係なのか判然としない状態になった。
民俗学との接点[編集]
事件の評価を決定的に変えたのは、のによる介入である。高瀬は鈍座村の伝承「六人目の客は家を軽くする」を採集し、殺人事件と儀礼が混線した可能性を示した[5]。この仮説は県警に退けられたが、村内の高齢者14名中11名が「昔から六人を越えると納屋が軋む」と証言したため、完全には否定できなかった。
高瀬の報告書は、事件現場がいずれも「三角形の見通し」がきく地点に限られていたことを指摘している。これは犯人の選定基準というより、村の地形そのものが人間関係を圧縮していた証拠だとされ、後の者はこれを「景観が証言を先に決める現象」と呼んだ。
一方で、伝承の収集過程にはやや疑義がある。高瀬が滞在した宿で使われた録音機は、雑音の中に人の声を拡張して拾う癖があり、のちに「村人が実際以上に多弁だったのではないか」と批判された。だが、この機械の偏りこそが、鈍座事件を単独犯事件から共同体的怪異へ押し広げたとも言える。
容疑者[編集]
黒田重信警部補説[編集]
最も知られるのは、捜査班長の自身が関与したとする説である。彼は現場に最も早く到着し、供述の矛盾を整理する権限を持っていたため、「真実をまとめる役が真実を壊すのではないか」とする疑念が残った。もっとも、黒田は事件後もで定年まで勤務し、退職後に出版した回想録では鈍座村を「地図より先に沈黙がある場所」と記している。
この説を補強する材料として、3件目以降の現場から見つかったメモ帳に黒田の筆跡に似た文字があった。ただし同じページに「筆跡鑑定は腹の減り具合で変わる」との走り書きもあり、鑑定結果の信頼性は低い。
佐伯辰夫影武者説[編集]
もう一つの有力説は、という実在しない人物が、村内の3人の別人に分散して現れたという影武者説である。村の人々は佐伯を見たと語るが、その身長は1m58から1m83までばらつき、年齢も23歳から61歳まで揺れていた[6]。
この説はに地方版が一面で取り上げたことで全国に知られたが、記事の末尾に「なお、佐伯氏は編集部で確認できなかった」と書かれていたため、かえって信憑性を増した。
社会的影響[編集]
事件後、では山間部のを対象にした夜間巡回制度が導入され、のちにへと継承された。鈍座村ではさらに、戸締まりの習慣を改めるため、各戸に「2回目の来客は必ず名乗ること」と書かれた木札が配られたが、半年後には来客側が先に木札を持参するようになり、習慣だけが無限に循環した。
学術面では、事件を契機にとの合同研究が進み、ではに「供述環境学」なる半ば実験的な講座が開設された。受講者は年間38名程度であったが、毎年7名ほどが「聞き取り中に自分の記憶が他人の記憶に見える」として単位認定を辞退したという。
また、鈍座事件を題材にしたルポルタージュは5年で17冊刊行され、そのうち4冊は題名に「村」が二度入っていた。こうした過剰な商品化は被害者遺族から批判された一方、村の旧道が観光地化する契機にもなり、現在でも付近には「事件で有名になったのではなく、事件を語る声で有名になった」とする案内板がある。
批判と論争[編集]
事件研究には、当初から「地元伝承を過度に犯罪化している」との批判があった。とくにの一部会員は、鈍座事件をやに回収する議論を強く退け、むしろ当時の過疎化と行政の遅延が生んだ記憶の歪みだと主張した[7]。
一方で、県警内部資料には「現場で同じ靴音が3度聞こえたが、3度目だけ記録されていない」とする不可解な記載があり、これを意図的な隠蔽と見る向きも根強い。なおの情報公開では、該当ページの黒塗りが多すぎて逆にページ番号だけがやけに鮮明だったため、研究者の間で「黒塗りは真相を守るのではなく、真相を増殖させる」との俗説が流行した。
さらに、鈍座村の旧住民3名がテレビ番組で「事件はひとつも起きていない」と証言したことから、そもそも事件の連続性自体が後年の編集で作られた可能性が指摘された。ただし、その同じ番組の放送後に視聴者から「自宅の戸棚から鈍座村の地図が出てきた」という投書が42通届き、論争は収束しなかった。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 黒田重信『鈍座村事件捜査記録 第一巻』宮城県警察資料室, 1976年.
- ^ 高瀬澄江『東北の閉鎖共同体と供述のゆらぎ』東北民俗研究会報告第12号, pp. 44-79, 1975年.
- ^ Margaret A. Thornton, "Memory Drift in Rural Serial Cases", Journal of Comparative Criminology, Vol. 18, No. 2, pp. 113-138, 1981.
- ^ 渡辺精一郎『山村犯罪と地形心理』岩波書店, 1984年.
- ^ 佐伯辰夫『見た者と見られた者のあいだ』地方出版センター, 1973年.
- ^ 小林みどり「暗室聞き取り法の実地運用」『法と記憶』第4巻第1号, pp. 9-31, 1978年.
- ^ Harold P. Ellison, "The Donza Phenomenon and Its Administrative Shadow", Police Studies Quarterly, Vol. 9, No. 4, pp. 201-219, 1979.
- ^ 宮城県史編さん室『宮城県北部における仮想村落の形成』宮城県史研究, 第7巻第3号, pp. 5-28, 1982年.
- ^ 中村早苗『黒塗り文書の社会学』新曜社, 1990年.
- ^ 藤堂和夫『鈍座、または鈍さの地政学』勁草書房, 1988年.
外部リンク
- 東北事件資料アーカイブ
- 鈍座村民俗調査室
- 宮城県未解決事案研究会
- 供述環境学会
- 旧鈍座街道保存会