闇時茶
| 名称 | 闇時茶(くらじちゃ) |
|---|---|
| 別名 | 宵闇煎、漆黒熟成茶 |
| 発祥国 | 日本 |
| 地域 | 東北地方(特に岩継県北部) |
| 種類 | 発酵茶/儀礼茶 |
| 主な材料 | 発酵茶葉、黒胡桃、海藻灰、麦芽糖 |
| 派生料理 | 闇時茶ラテ、闇時茶ゼリー、闇時茶煮込み |
闇時茶(くらじちゃ)は、とをしたのである[1]。
概要[編集]
闇時茶は、闇のように深い色合いの湯を引く発酵茶として、夜更けの行事や食前儀礼で供されるとされる[2]。一般に、香りは焦げ麦と木質の甘さが前に出る一方、後味は塩気を含む渋みで締められる。
当初は保存性の高い「飲料食」として発達したが、現在では“味よりも時間を味わう”飲み物として語られることが多い[3]。とくに作法として、茶器を一定の温度帯で巡回させる工程が重視される点が特徴とされる。なお、地方の古い家々では「闇時にだけ湧く香りがある」との言い伝えも残っている[4]。
語源/名称[編集]
闇時茶という名称は、夕刻から深夜へ切り替わる「闇時」(あんじ)の境目に淹出される茶であることに由来するとされる[5]。具体的には、日没後の特定の時計音(鐘の回数)を合図に、湯温を“落とし切る”調整が行われるという伝承がある。
また、別名の宵闇煎は、夜の食事に合わせて煎(い)れる“時刻の儀礼”を指す語として広まったとされる[6]。一方で、漆黒熟成茶という呼称は、黒胡桃由来の色素が熟成で定着する工程を見た行商人の比喩だったとする説が有力である[7]。
歴史(時代別)[編集]
創成期(室町末〜戦国)[編集]
闇時茶の原型は、戦国期の備蓄飲料として成立したとされる。岩継県北部のとある山間集落では、冬季の行商が途切れる時期に備え、発酵茶葉を黒胡桃で“かさ増し”しながら熟成させた記録が残るとする[8]。
この時代の特徴として、海藻灰を加えて渋みの輪郭を安定させる方法が伝えられたとされる。なお、当該手順は「七合目の沈黙」と呼ばれ、鍋底に泡が消えるまで計っていたという伝承がある[9]。数字の伝承としては“十二分”“三度撹拌”“口縁まで七分”などが語られ、後世のレシピに影響したと推定されている。
ただし、当時の文書は筆写本であり、写しの段階で“闇時”の解釈が揺れたとも指摘されている。結果として、時刻の合図が「鐘」なのか「火薬庫の合図」なのかで地域差が生じた可能性がある[10]。
江戸期(商業茶文化と儀礼の固定)[編集]
江戸期には、闇時茶は旅籠と湯屋で提供される“夜の一杯”として整備されたとされる[11]。特に、麹の技術が移植されることで発酵の安定性が上がり、同じ香味を再現できるようになったと一般に説明される。
また、闇時茶は「食前に飲むと腹が落ち着く」と言われ、炭火料理の脂を受け止める役割を担ったとされる。岩継県北部では、旅籠の帳場が“闇時台帳”を作り、提供時刻を記録したという逸話がある[12]。その台帳には、客の人数ではなく“湯温の滞在回数”が書かれていたとされ、細かさが後世の講習会の根拠になったと推定されている。
なお、江戸中期には流通の都合から、黒胡桃の替わりにくるみ加工品を使う簡略法が広まったとされる。ところが簡略法は渋みが尖りやすく、しばしばクレームの記録が残るとも言われる[13]。
明治〜戦後(近代化と“秘伝”の再編)[編集]
明治期には衛生規範の整備により、発酵工程の“時間だけ”ではなく“温度と湿度”を示す規則が作られたとされる[14]。闇時茶は、この時期に“家庭でも作れる儀礼茶”としてパンフレットに掲載されたが、同時に秘伝の部分は別紙扱いにされたという。
戦後は、戦時の代用原料の経験から、海藻灰の量を秤量で管理する家庭が増えたとされる。たとえば家庭用の簡易レシピでは、海藻灰を“粉末一つまみ(約1.6g)”と書くものが流通したとする[15]。もっとも、1.6gという数字は測定器の誤差も含み、後の研究者が「実測では1.4〜1.9gに散る」としたとされる[16]。
このように、闇時茶は近代化で再編された一方、作法の“時間性”が薄れることへの反発も起きた。結果として、夜だけの営業を守る店と、昼にも提供する店で文化的な分岐が生じたと説明される。
種類・分類[編集]
闇時茶は、主に発酵度と提供目的によって複数に分類されるとされる[17]。一般に、香味を楽しむ系統(嗜好型)と、儀礼で用いる系統(供儀型)に大別される。
嗜好型では、黒胡桃の割合を上げることで甘い焦げ香を前面に出す傾向があるとされる。一方で供儀型では、渋みの立ち上がりが“闇時の合図”に同期するよう、撹拌回数や沈黙時間が細かく定められるとされる[18]。
また、地域差として「岩継流」「岬越流」「谷端流」などの系統名が語られる。これらは材料の配合比よりも、茶器の扱い(湯の循環)の癖が違うことに由来すると説明されるが、実際の伝承では“器の傷”が味に影響すると主張されることもある[19]。
材料[編集]
闇時茶の材料は、発酵茶葉、黒胡桃、麦芽糖、海藻灰が基本とされる[20]。さらに家庭や店によっては、少量の乾燥米麹や柑橘皮の粉末が加えられるとされるが、必須ではない。
黒胡桃は“色と芯”を作る主材料とされる。ここで言う芯とは、香りの持続を指す俗称であり、実際には油分と微細な渋み成分のバランスに由来すると解釈されることが多い[21]。
また、海藻灰は渋みを丸める“輪郭調整”として用いられる。粉末の粒度を揃えるために布で濾す工程が伝わり、「粗い灰は昼の味になる」と言われることがある[22]。麦芽糖は発酵を助ける甘味として機能するが、砂糖を置き換えると香りが跳ねると嫌われる傾向がある[23]。
食べ方[編集]
闇時茶は飲料として供されるが、作法は食べ方に準じるとされる[24]。まず器を温め、次に湯温を段階的に下げながら茶葉を淹出する手順が一般的である。
提供のタイミングは“闇時の合図”で決められる。具体的には、鐘が三回鳴った後に一度だけ撹拌し、その後は“泡が消えてから十二秒待つ”とされる[25]。さらに、飲む順番として、最初の三口は香りを吸い、四口目以降で味を確かめるという作法がある。
なお、飲む量にも地方の目安があり、「口縁まで八分で止める」と言われる場合がある。これは満腹になることを避ける意図とされるが、同時に“切り上げの美学”として語られることも多い[26]。
文化[編集]
闇時茶は、夜の共同作業や祭礼の周辺で、場の温度を揃える飲み物として扱われるとされる[27]。たとえば岩継県北部では、収穫後の倉庫点検の前に闇時茶を分け合う儀礼があり、その習慣は“飲んでから数える”と説明される。
また、闇時茶には歌や呼びかけが結び付いているとされる。店主が「宵の底で、香りをほどく」と短い文句を言い、客がそれに“茶器の底を返す”動作で返すとされる[28]。もっとも、現代では動作は省略されることが多く、代わりに香りを一斉に嗅ぐだけで成立する形式が広まったとされる。
一方で、闇時茶は観光資源としても取り上げられている。岩継県庁の“夜食・発酵振興”関連部署で、闇時茶の講座が年3回開催されたとする記録があるが[29]、当該講座の名称は年度ごとに変わるため、同一事業の追跡が難しいとも指摘される。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 平泉 鞠子『夜食の発酵文化——闇時茶の手順と器の学』岩継書房, 2012.
- ^ Dr. Margaret A. Thornton “Ritual Fermentation and Temporal Tasting in Northern Japan” In *Journal of Uncommon Gastronomy*, Vol. 14, No. 3, pp. 201-227, 2018.
- ^ 山川 端助『旅籠と湯屋の供儀飲料学』東雲文化研究所, 2007.
- ^ 佐竹 玄之『海藻灰による渋み制御——粒度と口当たりの相関』第6巻第2号, *食品化学誌*, 1959, pp. 33-49.
- ^ 岩継県教育委員会『夜食・発酵振興講座報告書(闇時茶編)』, 2021.
- ^ 清滝 文彦『茶器の傷は味に出るのか?——鍋底・湯循環の記録史』第三書館, 1999, pp. 12-41.
- ^ 中島 皓月『宵闇煎の語源研究:鐘と時間の民俗学』民俗言語学会誌, 第22巻第1号, pp. 77-96, 2010.
- ^ Edda R. Haskins “Chronophagy: Eating and Drinking at the Boundary of Night” *International Review of Ritual Meals*, Vol. 9, No. 4, pp. 501-533, 2016.
- ^ 関口 朔『戦後代用原料の再編と儀礼茶』昭和食品史叢書, 第1巻第5号, pp. 88-110, 1964.
- ^ 大谷 里沙『闇時台帳の読み解き方(暫定版)』闇帳出版社, 2003.
外部リンク
- 闇時茶研究会(アーカイブ)
- 岩継発酵食ミュージアム
- 宵闇煎の作法講座まとめ
- 海藻灰の粒度データ掲示板
- 闇時茶ラテ公式試飲ログ