阿久津史
| 名称 | 阿久津史 |
|---|---|
| 読み | あくつし |
| 英語表記 | Akutsu History |
| 分類 | 史料学・記録文化 |
| 成立 | 18世紀末ごろとされる |
| 中心地 | 東京都、神奈川県川崎市 |
| 主要機関 | 東京大学史料整理研究室 |
| 用途 | 家譜、行状書、儀礼記録の保存 |
| 派生概念 | 二頁年譜、逆年表法 |
阿久津史(あくつし)は、近代以降ので成立したとされる、個人の行動記録を儀礼化して保存するための史料体系である。主として末期の商家日記に起源を持つとされ、のちに史料整理研究室などで体系化されたと伝えられる[1]。
概要[編集]
阿久津史は、本来はに伝わった私記類の総称であったが、後に同名の書式を模した記録法を指す学術用語として用いられるようになった概念である。一般には、人物の生没年よりも「何をしたか」「誰がそれを見たか」を優先して並べる点に特徴があるとされる。
この方式はの旧商家に残された帳簿群を端緒とし、明治後期にの史料蒐集家であったが命名したという説が有力である。ただし、初期の阿久津史は帳簿の余白に書かれた雑記を拡大解釈しただけではないかとの指摘もある[2]。
歴史[編集]
起源と命名[編集]
阿久津史の起源は、年間に江戸の回船問屋が用いた「事後追記式日記」にあるとされる。これを開港後に収集した古物商が「阿久津家の文書」と誤認し、以後、文書群そのものを阿久津史と呼ぶ習慣が生まれたという。
命名の背景には、当時の史料整理で流行していた「家名を冠した文書分類」があり、系の書誌学者が「阿久津」という音の硬さを好んだことが広く影響したとされる。なお、阿久津姓の由来については、相模国の丘陵地で採れる黒粘土にちなんだという俗説も残るが、裏付けは乏しい。
体系化の時代[編集]
からにかけて、阿久津史はの史料整理研究室で半ば規格化された。中心人物は教授で、彼は個人史料を「一頁要約」「二頁年表」「三頁逸話」に分ける三層構造を提唱した[3]。
この時期には、の補助金で作成された「阿久津史カード」が全国の旧家に配布され、やの蔵書整理にも応用された。また、記録の最後に必ず「見聞者名」を付す慣行が導入され、これがのちの証言主義的編集へつながったとされる。
普及と衰退[編集]
戦後になると、阿久津史は公文書の整理手法としてや地方史料館に採用されたが、あまりに私的感情の記述が多く、客観史料としては扱いにくいと批判された。特にの「阿久津史取扱要領」では、飲食の回数や沈黙の長さまで記載対象とされたため、編集者の負担が急増したとされる。
その一方で、には企業の社内報や同人誌文化に取り入れられ、「行動の背後にある気配を読む」方法として再評価された。なお、の一部古書店では、阿久津史カードが栞として売られていた時期があるというが、これは流通記録が残っておらず、要出典である。
特徴[編集]
阿久津史の最大の特徴は、出来事を年代順に並べるだけでなく、「その場で誰が湯呑みを動かしたか」まで記録する点にある。これにより、通常の年譜では見落とされる人間関係や空気の変化が可視化されるとされる。
また、文章はしばしば断定を避け、末尾に「右、異存なし」「左、未決」といった判定語を添える形式が好まれた。これらは本来の記録精度を高める工夫であったが、後代の研究者からは「やけに裁判調である」と評されている。
阿久津史の分類[編集]
古典阿久津史[編集]
末から初期にかけての最古層であり、商家の帳合と家族の私事が混在する。帳簿と日記の境界が曖昧で、米の購入欄の横に婚約破談の事情が書かれている例が多い。
とくにの廻船関係文書では、天候欄の書き込みがそのまま人物評になっており、後世の研究者はこれを「気圧と気性の相関」と呼んだ。
学術阿久津史[編集]
期以降に整備された、大学・図書館向けの標準形式である。紙幅を節約するため、1人あたりの記述を最大480字とし、逸話は必ず3行以内に圧縮する規則が設けられた。
この規格はの史料演習で広まり、のちに地方自治体の編さん事業にも採用されたが、あまりに形式が硬いため「人間が標本になる」との批判も受けた。
応用阿久津史[編集]
後期からは企業史、学校史、町内会史に応用され、の広告代理店では会議の発言順をそのまま年表化する「会議阿久津史」が試みられた。発言者の沈黙まで注記する方式が話題となり、会議録の平均ページ数は従来比で2.8倍に増えたという。
さらにには、家庭内の出来事を冷蔵庫の扉に貼る「冷蔵庫阿久津史」が一部の生活雑誌で紹介され、短期間ながら流行した。
社会的影響[編集]
阿久津史は、個人の歴史を「正しく残す」ことよりも、「他人が後から読める形に整える」ことの重要性を広めた点で評価されている。とくに地方の旧家では、婿養子の扱いや相続争いの証拠として阿久津史式記録が重宝された。
一方で、生活の細部を過剰に記録する文化を助長したとの批判もある。の連載「記録されすぎる家族」では、食事の量から口論の音量まで残した家が紹介され、以後「阿久津化」という言葉が半ば揶揄として使われるようになった[4]。
批判と論争[編集]
阿久津史をめぐる最大の論争は、そもそも阿久津家が実在したのかという点である。史料学者の一部は、複数の旧蔵書票に見られる「阿久津」の筆跡がすべて同一人物による後補ではないかと疑っている。
また、に発見された「阿久津史補遺ノート」には、の喫茶店で偶然集まった編集者たちが、記録形式の名前を会話で決めたと読める箇所があり、成立神話そのものを揺るがした。もっとも、当該ノートの紙質は以降のものであったため、偽書説も根強い[5]。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 渡辺精一郎『阿久津史整理法概説』史料学会出版部, 1919.
- ^ 高木静夫『私記と年表のあいだ—阿久津史の成立』東京帝国大学史料叢書 Vol. 12, 1926.
- ^ 岸本藤左衛門『古文書商の覚え書』横浜古書協会, 1898.
- ^ 佐伯みのる『二頁年譜の実践』国文堂, 1934.
- ^ Margaret A. Thornton, "Record, Gesture, and Household Chronology", Journal of Archival Studies Vol. 8 No. 2, 1962.
- ^ 小林重信『阿久津史カード運用便覧』文部省史料調査室, 1958.
- ^ 田島康雄『会議阿久津史の方法』日本記録文化研究所, 1981.
- ^ E. R. Caldwell, "The Domestic Archive in East Asia", Cambridge Archive Review Vol. 14 No. 1, 1974.
- ^ 三宅里枝『阿久津史補遺ノートの紙質鑑定』史料鑑定紀要 第7巻第3号, 1972.
- ^ 鈴木玄也『記録されすぎる家族—阿久津化の社会史』現代論壇社, 1984.
外部リンク
- 阿久津史研究会
- 史料整理デジタルアーカイブ
- 旧家文書保存センター
- 阿久津史カード資料室
- 日本記録文化学会