階段23段飛ばし世界記録
| 競技種目 | 階段23段飛ばし |
|---|---|
| 正式名称 | 階段23段飛ばし世界記録 |
| 初公認 | 1958年 |
| 認定団体 | 階段競技連盟 |
| 本部 | 東京都千代田区 |
| 標準記録台 | 23段・踊り場なし |
| 計測方式 | 腰部重心と足裏接地の同時判定 |
| 最高公認記録 | 2.41秒 |
| 主な発祥地 | 東京・神戸・札幌 |
階段23段飛ばし世界記録(かいだん23だんとばしせかいきろく)は、が認定する、連続したを一気に飛び越えた距離と安定性を競う記録である。ので初めて公認競技として成立したとされる[1]。
概要[編集]
階段23段飛ばし世界記録は、の階段を一度も踊り場に触れずに通過し、その時間、姿勢の崩れ、着地後の静止度を総合評価して決定される記録である。単なる跳躍競技ではなく、の段差設計に対する身体的応答を測る競技として位置づけられている。
この記録が注目されるようになったのは、戦後の都市再建期にが「垂直移動の標準化」を掲げたことによる。なお、23段という数字は、当時のが「人間が無理をしつつも一応説明可能な段数」として採用したもので、のちに競技文化の象徴となった[2]。
成立の経緯[編集]
公認以前の「段飛ばし」文化[編集]
段飛ばし自体は末期から学生間の遊戯として知られていたが、当初は階段の清掃当番や遅刻回避の手段であったとされる。の周辺では、銀行員が昼休みに飛ばしを競った記録が残り、これが後の競技化の下地になったとする説が有力である[3]。
一方で、にのが「段数を固定しない限り、記録はただの偶然である」と論文で指摘し、以後、競技化のための標準段数が検討された。白井は最初を提案したが、関係者の会議で「数字がやや地味である」として却下されたという。
23段に決まった理由[編集]
23段が採用された理由については諸説ある。最も広く知られているのは、の実地調査で・・の三都市にある公共階段の平均段数が23.4段であったため、端数を切り捨てたという説である[4]。
ただし、内部資料『議事録第4号』では、当初「21段」「24段」「26段」が併記されており、最終的にが選ばれたのは、会議中に湯飲みを置くスペースがちょうど23枚の升目で区切られていたからだとも記されている。要出典とされることが多いが、連盟関係者はこれを半ば公式見解として扱っている。
競技方法[編集]
競技は通常、に設置された直線階段で行われる。階段は、踏面幅、蹴上高が標準とされるが、記録審査では「同型階段での再現性」がより重視される。
選手はスタート線から助走を取り、23段目の最上段に足裏の全面接地をもって到達しなければならない。途中で一度でも手すりに触れた場合、または「段の空気圧に押し返された」と審判が判断した場合は失格となる[5]。
なお、1970年代後半以降はとによる解析が導入され、単純なタイムだけではなく「浮遊率」が記録票に併記されるようになった。この指標は一般には理解されていないが、選手の間では「記録よりも先に膝が泣く」と言われている。
世界記録の変遷[編集]
初期の記録[編集]
最初の公認世界記録は、にでが出したである。田島は当初、郵便局員として会場整理をしていたが、観客席から「君も段を飛べる顔をしている」と勧められ、その場で競技登録したと伝えられる[6]。
次の大きな更新はので、がを記録した事例である。村瀬は試技前に「23段は短いようで長い」とコメントし、この発言が後に競技界の格言として定着した。
記録の高速化時代[編集]
に入ると、出身者の参入により記録は急速に短縮された。にはのでがを樹立し、初めて3秒台に到達した[7]。
しかし、この記録は直後に「右足の2段目着地が実質的に踊り場寄りであった」として議論を呼んだ。また、記録映像の一部にのくしゃみが重なり、最後の0.2秒が正確に判読できないため、現在でも補助記録扱いとする文献がある。
現代の到達点[編集]
現行の公認最高記録は、にでが出したである。佐伯は助走開始から7歩目で重心が一度浮いたが、その後の軌道が「理想的すぎる」として満点評価を受けた。
この記録の特徴は、着地後にほとんど音がしないことである。審査員の一人は「床が選手を受け入れた」と表現したが、公式記録集では比喩として扱われた。
批判と論争[編集]
階段23段飛ばし世界記録には、創設当初から「23段という設定に学術的根拠が薄い」との批判がある。特にの一部研究者は、階段段数を競技規格にすること自体が「近代都市の階級性を身体化したものだ」と論じた[8]。
また、記録更新のたびに階段の摩耗が激しくなるため、内の一部公共施設では「23段競技禁止」の掲示が出たことがある。ただし、禁止の主因は安全面ではなく、利用者が皆無のまま階段だけが妙に有名になる現象への苦情であったとされる。
さらに、1976年のでは、23段目の定義を「足裏の50%以上が接地した段」とするか、「段鼻を超えた重心位置」で判定するかを巡って8時間議論が続き、最後は会場の自動販売機が売り切れたため閉会した。この会議はのちに「空腹による制度改革」と呼ばれた。
社会的影響[編集]
この競技は、学校教育や企業研修にも影響を与えた。40年代には、一部のが新入社員研修に「23段駆け上がり」を採用し、集合時間の厳守と足運びの正確さを同時に鍛える目的で利用したとされる[9]。
また、では「23段飛ばしできる者は会議を飛ばさない」という慣用句が生まれ、出世試験の比喩として使われた。これに対し教育現場では「階段を飛ばせても漢字は飛ばせない」として、身体能力と学力を混同しないよう注意が呼びかけられた。
一方で、段飛ばしに失敗した際の転倒事故を防ぐため、の前身組織がに「階段利用安全指針補遺23号」を出したとする資料もあり、都市のバリアフリー設計に微妙な影響を残したとみられている。
主な記録保持者[編集]
記録保持者としては、、、、が特に著名である。ほかにはの公認大会で「片足の助走角度が美しい」と評価され、未公認ながら伝説的人気を得た。
女子部門ではが長く初代女王として扱われたが、彼女自身は「私は女王ではなく、階段の通行人である」と語ったとされる。この発言は競技史家の間で過剰に引用され、現在ではほぼ定型句になっている。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 白井常雄『段差と身体反応の基礎研究』東京高等身体研究所紀要, Vol. 12, 第3号, 1934, pp. 41-68.
- ^ 階段競技連盟編『公認階段競技規則集 第1版』階段文化出版, 1959.
- ^ 田辺康一『23段の社会史』都市身体研究叢書, 第4巻, 1968, pp. 112-147.
- ^ Margaret L. Henshaw, “Vertical Rhythm and the 23-Step Standard,” Journal of Applied Stair Studies, Vol. 8, No. 2, 1971, pp. 9-33.
- ^ 村瀬キミ子『飛ぶことと降りること』関西階段書房, 1975.
- ^ Robert P. Ellison, “The Aerodynamics of Human Stair Skipping,” Proceedings of the International Congress of Kinetic Architecture, Vol. 3, 1984, pp. 201-219.
- ^ 佐藤伊佐男『階段競技の審判法』日本段飛ばし学会誌, 第17巻第1号, 1991, pp. 5-26.
- ^ Yoshihide Maruko, “On the Emotional Load of Twenty-Three Steps,” Staircase Quarterly Review, Vol. 14, No. 4, 2002, pp. 77-88.
- ^ 高瀬玲子『都市の踊り場に関する覚書』建築と身体, 第9巻第2号, 2008, pp. 14-39.
- ^ 『階段23段飛ばし世界記録史料集』階段競技連盟資料室, 2020.
- ^ Alicia N. Bramwell, “When the Machine Was Out of Sugar: A Note on Record Timing Errors,” International Review of Step Athletics, Vol. 21, No. 1, 2016, pp. 55-61.
外部リンク
- 階段競技連盟 公式記録アーカイブ
- 日本階段身体研究会
- 世界23段標準化委員会
- 横浜階段スポーツ博物館
- 国際踊り場審判協会