雷震東✖️JIM激エロどすけべハメハメ事件
| 発生年 | 1978年説が有力 |
|---|---|
| 発生地 | 東京都大田区・川崎市臨海部一帯 |
| 分類 | 成人向け映像制作事故、編集上の混乱 |
| 関係者 | 雷震東、JIM、制作会社「南海ビデオ研究会」ほか |
| 別名 | ハメハメ事件、二重収録事件 |
| 影響 | 自主検閲の強化、カット割り規格の統一 |
| 記録媒体 | 2インチVTR、磁気テープ |
| 通称の由来 | 宣伝コピーの誤植と現場の連呼が混ざったもの |
雷震東✖️JIM激エロどすけべハメハメ事件(らいしんとう じむ げきえろどすけべはめはめじけん)は、後半にとの境界圏で発生したとされる、成人向け映像史における異例の編集事故である。のちにとして定着し、過剰演出と現場混乱を指す隠語として用いられるようになった[1]。
概要[編集]
雷震東✖️JIM激エロどすけべハメハメ事件は、夏、の旧スタジオ街で撮影された成人向け実験映像の素材が、誤って別企画の宣伝台本と結合したことから始まったとされる事件である。制作現場では「雷震東」と呼ばれる助監督と、「JIM」と名乗る録音補助が中心となっており、双方の役割分担が曖昧だったため、記録上は単なる編集事故であるにもかかわらず、後年になって一種の伝説として拡大した。
事件の本質は、映像そのものよりも、現場で用いられた極端に長い号令と、8分単位で区切られたカット管理表の不整合にあったとされる。とくにが採用した「感情優先編集」という独自方式が、のちの自主制作界隈に大きな影響を与えた[1]。
発生の背景[編集]
後半の東京湾岸地域では、16ミリから磁気テープへの移行期にあたり、小規模スタジオが急増していた。この時期、側の倉庫街には、看板を出さない編集室や、昼夜逆転で稼働する録音ブースが密集しており、雷震東らはその中でも特に「短納期・高刺激」を売りにした班として知られていた。
一方で、JIMは在日系の英字略称で登録された外注スタッフで、正式な戸籍名は資料により揺れがある。現存する配役表では「James Imai」「Jin M.」など3種類の表記が見つかっており、この揺れ自体が事件の伝播を促したとの指摘がある。なお、臨海分室の聴取記録では、当日の天候が「南風、湿度87%、テープ巻き戻し不良」と記されている[2]。
事件の経過[編集]
撮影開始から最初の混乱まで[編集]
撮影は午前10時14分に開始されたとされる。第1カットはわずか23秒で終了したが、雷震東が「もっと“間”を詰めろ」と指示し、JIMがそれを「音を詰める」と誤解したため、無音のまま6分間のリテイクが続いた。現場メモには、照明係が合図のつもりで机を3回叩き、その音が作品内の擬音として採用されたと記されている。
この段階で既に、台本のページ番号が3ページ分ずれていたが、誰も気づかなかった。制作進行の白坂千鶴は後年、「あの現場では全員が少しずつ違う作品を撮っていた」と証言している。
ハメハメの連呼と編集室の崩壊[編集]
午後2時頃、仮編集室で宣伝用の煽り文句が読み上げられた際、テロップ担当が「激エロどすけべハメハメ」という語をサンプル名として誤認し、そのまま仮タイトルに流用したことが決定打となった。さらに、JIMが磁気テープの巻き直しを繰り返すうちに、同一フレーズが18回重ね録りされ、結果として音声波形が異常に肥大化した。
この波形を見た雷震東は「これは事件になる」と発言したとされるが、のちの証言では「事件」ではなく「編集会議」の聞き間違いだった可能性が高い。いずれにせよ、関係者の間でこの作品群は「ハメハメ事件」と呼ばれるようになり、言葉だけが独り歩きした。
記録の消失と再発見[編集]
完成版は、の倉庫に保管されていたが、1981年の台風接近時に一部が水損し、2本のうち1本のラベルだけが残った。そのラベルに「雷震東×JIM」と手書きされていたため、後年の研究者は実在の人物関係と作品名の境界を取り違えた。
、の調査班が倉庫整理の際に断片を発見し、8秒分の無音映像と23分の雑音が復元された。これが「事件の証拠」として流通し、むしろ神話性を強めたのである[3]。
社会的影響[編集]
事件の直接的影響として、は翌年からカット表に「感情」「肉体」「誤植」の3区分を追加し、現場の混乱を形式上は管理できるようにした。また、東京都内の小規模編集室では、台本と宣伝文を別色の紙で管理する慣行が定着した。
一方で、事件の過剰な語感は若年層の間で俗語化し、「ハメハメ」は単なる連続失敗や進行不能を指す隠語として広まった。とくに後半の深夜ラジオでは、投稿ネタの末尾を「雷震東案件」と締めることが一時流行したが、局側が要注意表現として自粛したため、現在ではほとんど使われない。
批判と論争[編集]
事件史研究の初期には、そもそも雷震東とJIMが同一人物の別名義であった可能性が指摘され、関係者の証言の多くが自己言及的であることが問題視された。とくに刊の『磁気テープ時代の脚本事故史』では、当該事件は「編集事故を誇張した後世の口承」と結論づけられている[4]。
ただし、地方のアダルトビデオ店で配布された棚札の一部に、事件名を略した「RJ激事件」の表記が残っていることから、完全な創作と断定するには資料が不十分であるという慎重論もある。なお、当時の配給会社は一貫して「そのような作品は存在しない」と回答しており、この否定コメントが逆に伝説を補強した。
後世への継承[編集]
に入ると、インディーズ映像の制作現場で、意図的にノイズを残す手法を「雷震東カット」と呼ぶ例が出始めた。これは、完成度よりも現場の熱量を優先する態度を皮肉混じりに示す用語である。
また、の一部専門学校では、編集演習の課題として「7分間の説明映像を、3種類の誤植を含めて完成させる」訓練が行われた時期があり、学生の間で「JIM式」と呼ばれた。これらはいずれも、事件が実在の有無を超えて、制作現場の寓話として機能していることを示している。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 白坂千鶴『南海ビデオ研究会の記録――1970年代臨海部編集史』東洋映像出版, 1999, pp. 41-68.
- ^ 田宮正樹『磁気テープ時代の脚本事故史』港湾文化社, 1998, 第2巻第4号, pp. 112-130.
- ^ Margaret L. Haddon, "Noise, Desire, and Mislabeling in Late Showa Underground Media," Journal of East Asian Media Studies, Vol. 14, No. 2, 2007, pp. 201-229.
- ^ 石川蘭子『深夜編集室と誤植の社会学』青林書院, 2004, pp. 77-101.
- ^ Kenji Orito, "The JIM Problem and Its Aftermath," Bulletin of Pacific Audiovisual History, Vol. 9, No. 1, 2011, pp. 33-59.
- ^ 高坂由紀『臨海倉庫における未整理フィルムの民俗誌』川崎学芸社, 2002, pp. 15-39.
- ^ 『日本映像民俗学会紀要』第18号, 1995, pp. 5-24.
- ^ Robert A. Finch, "The Hamahama Incident: A Typographic Catastrophe," Screen Archive Quarterly, Vol. 22, No. 3, 2015, pp. 88-97.
- ^ 中村悟『成人向け映像における編集倫理の変遷』南関東大学出版会, 2010, pp. 144-171.
- ^ 小野寺百合『雷震東という呼称の成立と変容』横浜文化評論, 2018, 第7巻第2号, pp. 60-79.
外部リンク
- 日本映像民俗学会デジタルアーカイブ
- 南関東メディア史研究所
- 臨海編集文化資料館
- 深夜放送用語事典
- 川崎・大田境界史プロジェクト