青チャート
| 正式名称 | 青色数学標準演習図表体系 |
|---|---|
| 通称 | 青チャート |
| 分野 | 数学教育・受験文化 |
| 初出 | 1968年ごろ |
| 提唱者 | 佐伯 恒一郎 |
| 発祥地 | 東京都千代田区 |
| 特徴 | 色分けされた例題群と段階式の到達評価 |
| 普及期 | 1970年代後半 - 1990年代 |
| 影響 | 受験用紙面設計、学習進度管理 |
青チャート(あおチャート、英: Blue Chart)は、学習に用いられるの参照書式および演習体系である。のちに文化と結びつき、特に対策の象徴として知られるようになった[1]。
概要[編集]
青チャートは、もともとの学習進度を可視化するために設計された群であり、青色の見出しと番号体系によって、問題の難度と学習段階を一目で判別できるよう工夫されたとされる。現在では、受験生の机上に置かれる厚冊の代名詞として扱われることが多い。
この体系は、附属の夜間研究会において、学力差の大きい生徒を一つの教材で扱うには「解法」より「順路」を示す必要があるという発想から生まれたとされる。なお、当初は製本ではなく、青インクで刷られたカードの束であったという説が有力である[2]。
成立史[編集]
1960年代の試作[編集]
起源は、神田駿河台の小さな貸会議室で行われた教材研究会に求められる。中心人物は元嘱託の数学教育家、であり、彼は「例題を解けば理解した気になってしまう」ことを問題視し、解答欄の周囲に青い補助線を引く方式を考案したとされる。
最初の試作品は全48枚のカードで、裏面に「これ以上は自力で進め」と印刷されていた。参加者の一人であったの非常勤講師、は、このカード群を見て「ページが生徒を叱る」と評したが、のちにその表現だけが独り歩きしたという。
書籍化と命名[編集]
、カード群は系列の編集部によって製本化され、帯の色から青を採用したことで「青チャート」と呼ばれるようになった。もっとも、社内記録では当初「北斗式青函演習表」と命名されていたが、営業部が「説明が長すぎる」として強く反対したと記されている[3]。
命名の背景には、当時の受験市場で赤色が「警告」、緑色が「補助」を意味していたため、青色は「冷静な反復」を象徴する最適色と見なされた事情がある。これにより、机上で目立つにもかかわらず精神的には落ち着くという、受験参考書では珍しい二重性が生まれた。
全国普及[編集]
頃からやの講師間で評判となり、模試の成績上位者よりも「最後までやり切った者」のほうが伸びるとする経験則が広まった。特にの進学校では、青チャートを机の右端に置く生徒と左端に置く生徒で学年順位の変動率に差が出たとする校内報告が残っているが、再現実験は行われていない。
には増刷部数が年間約34万冊に達し、では数学棚の前に青い縦列ができる現象が確認された。この青い壁は「青棚」と呼ばれ、一部の店員は背表紙の圧迫感を軽減するため、わざわざ白色のPOPを添えていたという。
構成と学習法[編集]
青チャートは、例題・補題・確認問題・巻末総合問題の四層構造を持つとされる。各章の冒頭に「ここで止まると平均点、ここまで進むと上位層」といった暗黙の目安が付与され、利用者は自らの進度を色ではなく精神状態で把握したという。
最大の特徴は、問題の難度表示が単なる番号ではなく、青の濃淡と余白の広さによって表現されていた点である。編集に携わった系の組版技師たちは、行間1.8倍を「学習の呼吸」と呼び、以後の参考書デザインに大きな影響を与えた。
また、巻末には「三日で終える場合」「三か月で終える場合」「一学期ごとに積む場合」の三つの進度表が付属し、予備校ではこれをもとに個別面談が行われた。もっとも、実際には一冊を終えた者は少数であり、途中のしおりが増殖していく現象のほうがよく知られている。
社会的影響[編集]
青チャートの普及は、日本のにおける「量の正当化」を象徴する出来事とみなされている。家庭では、本棚に青い背表紙があることが学習意欲の指標とされ、親が来客時に背表紙を見せるためだけに机上へ移す例もあったという。
一方で、1980年代後半には「解けること」と「持っていること」が逆転した教材として批判され、の分野では「所有による安心効果」が議論された。なお、東京都内の一部高校では、青チャートの厚さをの問題演習として扱う教師もいたとされる[4]。
さらに、青チャートは受験生の言語にも影響を与え、「青い」「チャートってる」といった独特の動詞化が生じた。これらは正式な辞書には載らなかったが、の学習雑誌では半ば公認の比喩として使用されていた。
批判と論争[編集]
青チャートには、難度の割に表紙が親しげであることから「初心者を青で釣る装置」との批判があった。また、には一部の保護者団体が、青色が長時間学習を誘発し睡眠を妨げるとしてに陳情したが、委員会側は「色彩と睡魔の因果関係は確認されていない」と回答した。
もっとも重大な論争は、裏表紙に印刷された「全問を制覇すれば数学は見通せる」という文言である。これが過度な達成感を誘発するとの指摘があり、改訂版では「見通せる場合がある」に弱められた。改訂を担当した編集者は後年、「受験参考書は、断言すると訴えられる」と述懐している[5]。
派生文化[編集]
青チャートの成功により、緑チャート、赤チャート、黒チャートといった派生版が次々に登場したが、いずれも初版ほどの市場支配力は持たなかった。特に黒チャートは、難度を上げすぎた結果、書店での視認性が低下し「見つけるまでが数学」と揶揄された。
また、会場では、青いカバーの使用者同士が無言で連帯する現象が確認され、これを観察したの研究班は「受験共同体の色彩的共振」と報告した。報告書は400ページに及んだが、結論は「青は青を呼ぶ」であったため、学会発表では微妙な空気になったとされる。
1990年代後半には電子版も試作されたが、画面上で青さが減衰するため、利用者から「圧が足りない」と不評であった。結果として、紙の重さそのものが教材の権威を支えていたという説が強まった。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 佐伯 恒一郎『青色数学標準演習体系の研究』東亜教育出版, 1974年.
- ^ 西園寺 進『受験参考書の行間論』駿台新書, 1979年.
- ^ 編集部編『青チャート成立史資料集』旺文社資料室, 1981年.
- ^ Margaret L. Whitmore, "Color Density and Study Compliance in Japanese Entrance Exam Manuals", Journal of Educational Semiotics, Vol. 12, No. 3, pp. 41-68, 1988.
- ^ 中村 恒一『青い背表紙と学力幻想』日本評論社, 1991年.
- ^ H. K. Ellison, "The Pedagogy of Heavy Books", Annals of Comparative Education, Vol. 7, No. 1, pp. 5-29, 1993.
- ^ 佐藤 みどり『参考書の色彩政治学』学文社, 1997年.
- ^ 田所 真一『チャート学習法の系譜』中央教育評論, 第4巻第2号, pp. 12-37, 2001年.
- ^ K. Yamashita, "Blue as Authority: A Case Study in Exam Culture", Kyoto Review of Learning Systems, Vol. 19, No. 4, pp. 201-219, 2008.
- ^ 長谷川 亮『受験と背表紙の社会史』ミネルヴァ教育選書, 2014年.
外部リンク
- 青チャート文化研究会
- 全国参考書背表紙保存協会
- 受験教材アーカイブ・センター
- 学習色彩史データベース
- チャート編集工房年報