須磨区
| 名称 | 須磨区(区の格納建造物群を含む) |
|---|---|
| 種類 | 行政区画型リゾート建築群 |
| 所在地 | 兵庫県神戸市(区境サイン塔および周辺施設群) |
| 設立 | 1856年(区章暫定運用の開始) |
| 高さ | 区境サイン塔:38.7 m(平均) |
| 構造 | 海塩耐性レンガ+中空換気梁(観光動線内蔵) |
| 設計者 | 前区長技師・中津川精造(架空) |
須磨区(すまく、英: Sumaku Ward)は、にある[1]である。現在では海風都市の象徴として知られ、独自の「区章運用法」に基づく運営が行われている[1]。
概要[編集]
須磨区は、に所在する行政区画兼観光施設群として語られることが多い。現在では「区境を建築で確定する」という発想に由来し、区章サイン塔や区民回廊など、行政と建造物が一体化した形で運用されている[1]。
本施設群は、行政区画でありながら、来訪者が歩行距離を測りやすいように設計された「換気連続体」を備える点が特徴である。なお、この連続体は区の風向観測にも用いられるとされ、観光案内と気象記録が同じ壁面に刻まれている[2]。
一方で、須磨区という名称が単なる地名ではなく、区境を構成する建築様式の総称として扱われることもある。すなわち「須磨区=区章運用のための建造物群」とする見解が、区の資料館において繰り返し説明されている[3]。
名称[編集]
須磨区の名称は、区境沿いの古い石積み(通称「すまの畦」)に由来するとされる[4]。現在では、区章の周囲に施された3つの小孔が「畦の息継ぎ」を意味すると説明されることが多い。
ただし、名称の由来には複数の説があり、港湾工事の見積書に頻出する「Suma く」「uma 口」などの転記ミスが元になったとする説もある。この説では、転記された語が地図帳編集の段階で「須磨区」に整えられたと推定される[5]。
さらに、区の公式パンフレットでは「須磨(Suma)」を海塩蒸散の古語として扱う。ここでの蒸散は観光客の体感温度(当時は湿度計で換算)の指標として導入されたという説明が添えられており、語源研究が実務と接続されている点が妙に具体的である[6]。
沿革/歴史[編集]
須磨区の沿革は、1856年に行われた「区章暫定運用」まで遡るとされる[7]。当時、神戸港の拡張に伴って区境が頻繁に揺れたため、行政文書だけでは現場が理解できないという苦情が増えた。そこで、区境サイン塔を先に立て、区の形を“見える法律”として固定したのが始まりであると説明される[7]。
その後、1872年に「換気連続体」の仕様が決定されたとされる。具体的には、区民回廊の天井梁を中空にし、潮風が溜まらないようにすることで、夏季の来訪者滞留を年間平均で-14.3%低下させたと記録されている[8]。もっとも、この数値は当時の気象帳が“体感温度”を換算して作られたため、現在では「どの計測地点の換算か」が議論されている[8]。
1890年には、区境サイン塔の高さが38.7 mへ標準化された。標準化の理由は、霧の日に塔の頂点が「街区の縁石から見込角で0.62度以上」になる必要があったからだという。なお、この見込角は区民が習慣的に数える足数(平均73.5歩)から逆算されたとも言及される[9]。
第二次世界大戦期には一部の区民回廊が保全・移設され、1946年に再開通した。戦後復興の文書では、回廊のレンガに含まれる塩分が“香りの発火点”となり、祭礼の導線で人の流れを自然に誘導したと記されている[10]。この記述は、施設史料として引用される一方で、建築史研究者からは「比喩にしては具体的すぎる」と指摘されてもいる[10]。
1968年には区の観光運営が「区章運用法(第3版)」として整備されたとされる。以後、区章の色替えや季節掲示は毎年3回、日付で言えば4月、7月、10月の15日が基本とされる(例外は大潮の年のみ)[11]。
施設[編集]
須磨区には、区境を構成する建造物群として複数の施設が設けられている。主要施設は区境サイン塔、区民回廊、潮風温度掲示壁、区章保管室(来訪者が入れない施錠区画)などである[12]。
区境サイン塔は塔体内部に“風向き読み取り溝”を備え、来訪者が触れると石がわずかに暖まる仕掛けが施されているとされる。もっとも、暖まる理由については「地域の火山灰を混ぜたため」と説明される一方で、資料館では「本当は空調ダクトの熱逃がしが原因」とも書かれている[12]。
区民回廊は、建築としては歩廊に過ぎないが、区の案内板が回廊の壁面に埋め込まれている。案内板は全部で212枚とされ、うち17枚は“海の色を説明する文章が1行しかない”という仕様になっている[13]。この「1行案内」は、読者の退屈を抑えるために心理実験(区内協同組合が実施)で設計されたとされる[13]。
潮風温度掲示壁は、観測値を摂氏ではなく「来訪者の足裏快適度」で表示する。快適度は簡易換算として「湿度%×0.37+歩行数÷120」という式で算出され、観光パンフレットに掲載されている[14]。ただし、式が“歩行数”で割り切れる理由については、当時の測量帳が欠落しているため不明とされる[14]。
交通アクセス[編集]
須磨区は建造物群として設計されているため、交通アクセスも「導線として説明される」傾向がある。最寄りの乗換拠点は内の“区境連結駅”とされ、そこから区民回廊へ直接接続する階段が用意されている[15]。
区民回廊への導線は、入口から塔までを「73.5歩」として案内されることが多い。実際の段差は17段で、各段の高さが一様でない(0.5 cm刻み)と説明され、歩幅の調整に寄与するとされる[15]。
また、夜間は区境サイン塔の基部に埋め込まれた照明が連続的に色温度を変える。色温度は初期で2400K、深夜で3800Kに上がるとされ、体感として“海が遠くなる”現象を抑えることを目的としているという[16]。
なお、駐車場は「区章保管室の背面」に設けられているが、一般車の動線は回廊を跨がないように迂回させる運用になっている。これは建築保存のためと説明されるが、保存理由よりも来訪者の写真撮影動線が優先されたとする内部資料の存在が示唆されている[17]。
文化財[編集]
須磨区の文化財指定は、建築の部材単位まで細かく行われている点が特徴とされる。区境サイン塔の基礎レンガ(標準番号RB-38.7-1)が「景観保全部材」として扱われるほか、区民回廊の天井梁が「換気景観構造」として登録されている[18]。
区民回廊のうち、特定区画(第4曲線区)では壁面の刻字が文化財として保護対象になっている。刻字には年号と“平均潮風到達時刻”が併記されており、来訪者が読むと道程が短く感じるように配置されていると説明される[19]。
一方で、潮風温度掲示壁の表示方法は、文化財の性格が強い。掲示壁は観測装置でもあるとされるが、実際には展示の演出として運用されている可能性があると指摘されている。もっとも、文化財として登録されている以上、改変は原則としてできないため、観測の誤差は“趣旨”として保存されている[20]。
また、区章運用法(第3版)の掲示文書が「運用文化資料」として所在する。ここでは区章の色替えが行事の度に規定され、色替え用の顔料が希少であることから、代替顔料の使用は審査を要するとされる[21]。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 中津川精造「区章暫定運用と見込角の換算(区境サイン塔の寸法史)」『港湾建築誌』第12巻第4号, pp.12-29, 1899.
- ^ 山名理央「換気連続体が来訪滞留に与えた影響(体感温度換算の再検討)」『都市微気候研究紀要』Vol.8, No.2, pp.41-58, 1971.
- ^ 須磨区資料調査会『区章運用法(第3版)の逐語索引』神戸市文庫, 1969.
- ^ R. Whitaker, “Suma Port Boundary Architecture and Visitor Flow,” 『Journal of Coastal Civic Engineering』Vol.3, pp.77-96, 1984.
- ^ 前田茂「RB-38.7-1レンガの塩分含有と保存方針」『文化財材料学会報』第5巻第1号, pp.3-18, 2002.
- ^ E. Nakamura & T. Ocampo, “Perceived Comfort Scales in Heritage Wayfinding,” 『International Review of Experiential Urbanism』Vol.16, No.1, pp.201-224, 2012.
- ^ 兵庫県教育文化局編『海風都市の景観記録:刻字と運用』兵庫県教育出版, 1994.
- ^ 『神戸港地誌』第2輯(改訂増補)神戸港測量局, 1933.
- ^ (題名要注意)神戸市観光誘導研究所『73.5歩の社会学:導線は嘘をつく』, 2009.
- ^ 田丸光輝「夜間色温度制御と“海が遠くなる”感覚の緩和」『照明都市論集』第21巻第3号, pp.98-121, 2016.
外部リンク
- 須磨区公式アーカイブ
- 区章運用法オンライン講座
- 区民回廊フォトログ
- 潮風温度掲示壁データ閲覧
- 景観保全部材データベース