飲む泥濘(1987)
| ジャンル | 実験飲料(パフォーマンス飲食)/民俗化学 |
|---|---|
| 初出年 | 1987年 |
| 製作(とされる) | および周辺のアート・ワークショップ |
| 主な舞台 | 加賀地方(伝承採取ルート) |
| 原材料の扱い | 泥(底質)を「濾過」し、発酵液へ転化する手順が記述された |
| 関連分野 | 公衆衛生・食品工学・環境倫理 |
| 主な批判 | 安全性、ならびに「自然回帰」の政治利用への懸念 |
(のむでいねい 1987)は、1987年に発表されたとされる「泥濘を摂取する」実験的な飲料作品である。主にとの交差領域で語られ、奇妙な健康効果と強い社会的反響を同時に生んだとされる[1]。
概要[編集]
は、底質(泥濘)を“そのまま飲む”のではなく、一定の手順で「飲料化」したと説明される作品である。現代風に言えば、食と環境と身体を同時に扱うコンセプト・ドリンクとして理解されている[1]。
作品は1987年当時、工業的食品の画一化への反動として語られ、さらにを経験した地域の身体記憶を「味」に翻訳する試みとして紹介された。ただし、その実態はレシピというより、参加者の感覚と語りを回収する儀式に近かったとされる[2]。
一方で、説明文にはやけに具体的な数値が多く含まれたため、読者は“科学”に見えたものを追体験することになった。そのため、当時の批評は「民俗の擬似実証」か「新しい身体技術」かで割れ続けたとされる[3]。
概要(成立と概要選定)[編集]
本記事が対象とするのは、特定の単発の飲料商品というより、がまとめた一連の公開セッションと、それを後年に編纂した資料群である。資料群は、飲む前後の反応を“記録”として提出する形式を採ったため、誰が何杯飲んだかが半ば公式記録として残ったとされる[4]。
また、この作品が「泥濘を飲む」という露悪的な命題を採用したのは、単に衝撃を狙ったのではなく、当時の社会運動における「環境を語る言葉の不足」を埋めるためであったと推定される。言葉ではなく味で語ることで、行政報告書の語彙に回収されない経験を作ろうとした、という説明が複数の回顧記事に見られる[5]。
さらに選定基準として、①採取地点の地名が明示されていること、②加工工程に時間・温度・撹拌回数が書かれていること、③少なくとも一度は医療関係者が“観察”に関与した痕跡があることが挙げられる。ただし、その医療関与の根拠は後に「記名欄の誤植」と指摘されたともされる[6]。
歴史[編集]
前史:泥濘を“言い換える技術”としての誕生[編集]
の前史は、の沿岸集落で語られた「泥は記憶を運ぶ」という民間解釈にあると、1989年の回顧で説明された。ここでは泥濘が“捨てられるもの”から“保存されるもの”へ転換されたという[7]。
その転換を技術へ寄せたのが、の小さな研究室を拠点にした(当時、食品補助器具の設計に従事していたとされる人物)である。資料には、彼女が「撹拌は味覚より先に記憶を起こす」と書いたとされ、以後のレシピ記述に「撹拌回数」が頻出するようになったという[8]。
ただし“飲む泥濘”という発想は、民間の比喩だけでは成立しなかったとも言われる。1985年、の研修会で、参加者が誤って濁った試料を舐めてしまい、数名が“金属のような甘味”を報告した事件がきっかけだとする証言がある。なお、この研修会の記録が存在しないことが後に問題視された[9]。
1987年当日の公開セッション:分量と儀式の細部[編集]
1987年、作品はのにある旧式の会議室で“試飲会”として公開されたと伝えられている。参加者は定員50名として告知され、当日配布された手順書には「前夜は飲食を控え、当日は尿酸測定の代わりに舌苔観察を行う」と記されていた[10]。
手順は奇妙に実務的で、たとえば濾過は「孔径0.45mmの布を二重にし、上澄みを39回採取する」と書かれている。さらに「撹拌は180秒、ただし最後の30秒は逆回転」といった記述も見られ、観察項目として「香りの立ち上がりが指先から3cm遅れるか」を問う欄があったとされる[11]。
社会への影響は、単に話題になったというより、当時の学生運動が求めた“体験の政治化”を、食品の手順書という形で提供した点にある。結果として、系の講演会で「非標準の飲料が健康に与える可能性」について言及が増えた一方、行政側は「観察が先行して安全基準が後追いになっている」と批判したとされる[12]。
なお、やや矛盾する記述として、作品名にある(1987)が“発表年”ではなく“採取年”を指すという説もある。資料によっては「飲んだのは1988年である」という注記があり、編集者が年表を逆算した可能性が示唆されている[13]。
後年の編纂と再解釈:擬似実証から批評対象へ[編集]
1990年代に入り、は当時の手順書を再編集し、の館内講座で講読用テキストとして配布した。講座では、作品を「環境の傷を“味覚の証拠”へ変換する装置」と位置づけたとされる[14]。
一方で、学術界からは“科学的根拠が薄い”との指摘も出た。特に、濾過工程の粒径や撹拌秒数が「偶然の再現可能性」を装っている点が問題視されたという。1996年のでは、「工程の数字が多いほど安全に見える心理効果」が議論された[15]。
それでも社会の側は作品を手放さなかった。地方メディアは、加賀地方の川筋で泥濘を“正しく扱えば”健康になるかのような読み替えを広げ、結果として民間療法の市場が一時的に活性化したとされる[16]。ただし、その“市場活性化”は統計に出ないため、当時の担当記者の口述に依存しているとも言われる[17]。
批判と論争[編集]
をめぐっては、健康被害の可能性と、表現としての越境の線引きが争点化した。批判側は「底質には重金属や腸内細菌由来のリスクが含まれる」とし、作品が“摂取を前提とする設計”である以上、現代の規格での検証がない限り危険だと主張した[18]。
一方、擁護側は「これは飲料ではなく、参加者の身体感覚を記録する演劇である」と述べた。ここで重要なのは“飲んだ量”よりも“観察の形式”だという解釈であり、手順書の数字が安全性を保証するのではなく、儀式の精度を高めるための記号だとされた[19]。
さらに論争をやや滑稽にしたのは、作品に紐づく「安全宣言」の系譜である。資料にはの押印があるとされたが、後の調査では押印の印影が別部署の様式と一致したと報告された。編集者は「当時の担当者が異動したためである」と語ったが、当人の名簿が見つかっていない[20]。この点が、読者の間で“科学に見せた祭り”という評価を固定する結果になったともされる[21]。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 【田中慎吾】「泥濘を“飲む”という表現——1980年代の民俗化学の試み」『環境と味覚研究』第12巻第3号, 1991年, pp. 41-58.
- ^ 【柴田弥生】『手順書の匂い:飲む泥濘(1987)再編集メモ』泥濘研究会出版局, 1993年.
- ^ Margaret A. Thornton『Ritual Nutrition and the Politics of Evidence』Harborlight Press, 1994, Vol. 7, No. 2, pp. 121-139.
- ^ 【国立民俗博物館】編『講読テキスト:環境の傷を味覚へ』第1集, 国立民俗博物館, 1992年, pp. 9-34.
- ^ 【食品安全学会】『食品安全学会誌』第5巻第1号, 1996年, 「工程数値と安心感」pp. 77-86.
- ^ 【環境技術局】『研修会報告書(抄)』環境技術局, 1986年, pp. 201-214.
- ^ John K. Alvarez『Microbial Anxiety in Public Performance Eating』Institute for Civic Hygiene Studies, 1998, Vol. 3, pp. 5-19.
- ^ 【衛生指導課】『押印様式の変遷と事務処理』内規集(参照版), 1989年, pp. 1-12.
- ^ 【加賀地方放送局】『川筋の民間レシピ再考:飲む泥濘の波紋』加賀地方放送局出版, 2001年, pp. 14-33.
- ^ 【上野玲】「年表の逆算:飲む泥濘(1987)の採取年問題」『アート史だより』第22巻第4号, 2005年, pp. 60-63.
外部リンク
- 泥濘研究会アーカイブ
- 国立民俗博物館・講座記録集
- 環境演劇資料センター
- 食品安全学会・当時号データベース
- 加賀地方放送局・特集ページ