黒る
| 分類 | 言語学的慣用動詞・比喩表現 |
|---|---|
| 用法 | 黒色化/情報秘匿/記憶操作の比喩 |
| 成立領域 | 工芸用語→文書慣行→都市民俗 |
| 主な舞台 | 界隈の製紙・染色職人街(とされる) |
| 関連語 | 黒塗り・墨化・暗号化・遮光化 |
| 派生概念 | 黒る法(書式)/黒る指数(指標) |
(くろる)は、日常語としては「対象を黒くする」ことを意味する動詞であるとされるが、近代以降は比喩的に「情報を黒塗りする」「記憶を暗号化する」といった用法も広がった[1]。語源は染色技術の工程名から派生したと説明されることが多いが、その成立過程には複数の説が存在する[2]。
概要[編集]
は、語義としては「あるものの表面を黒色に変化させる」ことを指す動詞であるとされる[1]。ところが、口語では「手元の資料を黒くしてしまう」→「読めないようにする」という連想から、情報の秘匿を比喩的に表す用法が定着したと説明されることが多い。
また、さらに飛躍した用法として、個人の記憶や会話の履歴を「思い出せない状態にする」ことをと呼ぶ慣行も、雑誌記事や講演会の見出しに登場してきた。なお、この比喩の広まりは、が主導したとされる「閲覧可能性の再設計」シンポジウムと結び付けて語られる場合があるが、その因果関係は必ずしも明確ではない[3]。
語源については、染色工程における一次工程名「黒化ロット(Kuro Lot)」が短縮されてになった、という説が有力とされる[2]。一方で、語の核が「墨(すみ)」ではなく「遮光(しゃこう)」にあったとして、製版所の暗室文化から生まれたとする説もある[4]。
語の成立と分野としての誕生[編集]
工芸用語から文書慣行へ[編集]
が「用語」として立ち上がったのは、19世紀末から大正初期にかけて、の紙加工現場が「光で劣化する文面」を抱えていたことに起因すると語られる。特に、の公文書庫で保管されていた証文の一部が、直射日光で墨の濃淡を変え、判読性が落ちたという記録が残されており[5]、これを抑えるために「遮光の再現工程」が標準化されたとされる。
その工程の作業指示で「墨面を一度黒くし、以後は安定させる」手順が共有され、職人の間では「先に」という短い言い回しが生まれたと推定される[6]。ここでいうは“色を濃くする”以上に、後工程の再現性を上げるための工程コードであった。
さらに昭和期には、製紙・製本の納品書に「黒る済み」「黒る未了」が列として残り、やがて書面上の状態表示が一般動詞として滑り込んだ、という経路が描かれることが多い。実際、文書規程の付録に似た記述が見つかったとする回想録が流通しており、そこでは黒る工程に「標準で33.7分」「温度26.4℃」「攪拌回数は112回」といった細かな値が記されている[7]。もっとも、これらは現場の“口頭伝承の再計算”が混入した可能性があると注意書きされることもある。
都市民俗と「黒る指数」の登場[編集]
1950年代後半、の港湾記録にまつわる風聞から、「黒る」を“秘密のための黒塗り”として語る言い方が広がったとされる。港の倉庫で書類が焼失し、代替として新しい台帳を作った際に、誤記が多発した。すると、ある監督官が「誤記を誤記のまま残すのではなく、誤りの箇所だけべきだ」と述べた、という逸話が広まり、のちに比喩へと転化した。
やがて研究者の一部は、の度合いを計測する試みを行い、「黒る指数(Kuro Index)」を提案したとされる。黒る指数は、(1)黒色の濃度差、(2)視認可能領域の面積、(3)再読取のしやすさの三要素から算出するとされ、報告では「年間評価で平均0.62、標準偏差0.11」で推移したとされる[8]。ただし、指数の算出方法が後から変更された可能性があるため、比較には慎重さが必要とされる。
この指数は官民の「閲覧性監査」の一部として採用され、行政文書の可読性を高める目的にも用いられた一方、逆に“見せないための見せ方”を洗練させたとして批判も生まれた。つまりは、光を遮る技術から、社会が遮る情報の文化へと拡張していったのである。
社会への影響(笑えるが、そこそこ深い物語)[編集]
は比喩として定着すると、会議や報告書の言葉選びにも影響した。たとえば、の内部研修資料では「不用意に断定せず、必要箇所のみことで誤解を減らす」といった方向性が示されたとされる[9]。ここでのは、単なる秘匿ではなく“誤解の発火点を見えなくする”という発想として語られる。
しかし、この発想が先鋭化すると「全部と誤解はゼロになる」という悪用が現れ、社会問題化した。実際、ある自治体での調査では、閲覧請求に対する一次回答のうち「全文黒塗り」が全体の19.4%に達した、と新聞のコラムで報じられたことがある[10]。ただし、当該数字は“黒塗り率”の定義が担当者ごとに揺れていた可能性があると指摘され、のちに訂正が入ったとされる。
また、個人のレベルでもは流行語になった。通勤電車での会話や、チャットの履歴に「この話は黒る」と書くことで、未来の自分に“思い出しにくい状態”を作る、という自己防衛の俗説が広がったのである。もっとも、実際に人の認知が黒くなるわけではないため、精神論として消費された面があるとされる一方、儀式めいた安心感は確かにあったと証言されている[11]。
歴史[編集]
年表風:黒るが“言葉”になった瞬間[編集]
が現在のような“動詞+比喩”として扱われるようになったのは、少なくとも複数の文献が一致して、1963年前後であるとされる[12]。この時期、印刷業界で「再読取性の最適化」が流行し、黒色の濃淡を操作する工程が見直された。ある業界団体の報告では、工程の見直しにより「判読可能率が14.8%改善」したとされ、同時に作業指示の略語としてが定着したと説明されている[13]。
その後、1977年には、記録媒体が紙からフィルムへ移り、遮光の概念が電子的な発想へ接続された。ここでのは、物理的に黒くすることから、可視化を制御することへ意味が広がったとされる。なお、1977年の“黒るブーム”を象徴するポスターがで大量配布されたとする回想談があるが、現物の所在は不明である[14]。
決定的事件:黒る失敗と訂正文化[編集]
が社会の注目を集めたのは、1984年に発生した「黒る棚卸し事件」だとされる。棚卸しの際、倉庫台帳の誤記をで隠そうとした結果、監査側が“隠す意図”を読み違え、逆に不正疑義として扱われた。事件後、監査手順書には「は隠蔽ではなく、再照合のための暫定表示である」と明記され、運用ルールが整備されたとされる[15]。
もっとも、事件の詳細は記録に不揃いがあるとされ、特定の条項が“後から黒るされた”可能性まで指摘されている。要するに、言葉が社会に浸透したぶんだけ、言葉による誤解も浸透したのである。ここがの面白さでもあり、怖さでもある。
批判と論争[編集]
の比喩が広まるにつれ、「情報を黒くすることで説明責任が空洞化する」という批判が繰り返し出た。とりわけ、行政文書での運用では、黒塗りの根拠が“黒る指数”のような内輪の指標に寄ってしまい、外部から判断しにくい点が問題視されたとされる[16]。
一方で擁護側は、は単なる秘匿ではなく、誤解や危険を回避するための“安全な曖昧さ”であると主張した。さらに「全面開示はかえって誤情報を拡散させる」という見解もあり、黒塗りをゼロか百かで評価するべきではない、と議論された。
論争の中心には、言葉の定義が揺れていることがある。染色工程のと、文書のと、記憶のでは目的も手段も異なる。にもかかわらず同じ動詞で呼ぶせいで、当事者の意図が透けにくくなる、という構造が指摘されている[17]。そして皮肉なことに、その“透けにくさ”こそがを便利にしてしまった、とも言われる。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 斎藤 宗次『黒化工程の略語史(改訂版)』染織史学会出版, 1971.
- ^ Margaret A. Thornton『Censor-Style Vernaculars in Modern Japanese』University of Tohoku Press, 1999.
- ^ 中野 玲音『文書慣行としての「黒る」』日本行政文書研究所, 2004.
- ^ Kazuhiro Nishimura『Optics, Records, and the Word “Kuro-ru”』Journal of Applied Semantics, Vol.12 No.4, pp.33-58, 2010.
- ^ 【東京府】公文書庫編集部『証文判読性の改善報告』東京府印刷局, 1912.
- ^ 田村 直樹『工場現場の工程コードと口語の接続』日本語用語学会誌, 第7巻第2号, pp.201-219, 1988.
- ^ 鈴木 里砂『棚卸しと監査:黒る失敗の社会学』監査文化研究会, 1992.
- ^ Owen Park『Kuro Index: A Field-Study Approach to Visual Denial』International Journal of Transparency, Vol.6 No.1, pp.77-94, 2016.
- ^ 林 明人『誤解を減らす曖昧さ:説明責任と黒塗りの間』公共政策レビュー, 第19巻第3号, pp.10-31, 2008.
- ^ 伊達 由希『黒塗り率の定義揺れ(訂正文つき)』自治体実務年報, 第3巻第1号, pp.1-9, 1989.
外部リンク
- 黒る研究アーカイブ
- 遮光工程資料室
- 黒塗り運用ガイド(試案)
- Kuro Index 専用フォーラム
- 判読可能率・計測実験ログ