90式戦車
| 開発主体 | 防衛庁 技術研究本部 北方機動車両班 |
|---|---|
| 運用者 | 陸上自衛隊 |
| 初期計画名 | 北方装輪砲戦構想X-90 |
| 採用年 | 1990年 |
| 主兵装 | 120mm滑腔砲 |
| 最大速度 | 時速70km |
| 戦闘重量 | 約50t |
| 試験地 | 北海道、静岡県富士地区、広島県江田島周辺 |
| 愛称 | 九〇の黒豹 |
90式戦車(きゅうまるしきせんしゃ、英: Type 90 Tank)は、が末期に導入したとされるである。もとは北海道の積雪路における「雪中即応砲術」を実証するために開発されたとされ、のちに国内外で“走る要塞”として知られるようになった[1]。
概要[編集]
90式戦車は、末期の防衛構想の中で、雪上機動と射撃精度を両立させる目的で生まれたとされる戦車である。一般にはとの共同成果として説明されるが、設計史をたどると、もとはの郊外で行われていた除雪車両試験から転用されたという説が有力である。
このため車体各部には、通常の戦車には見られない「融雪排気導板」や「氷結回避式履帯緊張装置」が備えられたとされる。また、開発当初は『九〇式雪中射撃車』という通称が使われていたが、広報資料の整備時に“戦車”へと変更された経緯があり、この名称変更がのちの機密管理の混乱を招いたといわれる[2]。
歴史[編集]
北方機動化計画の成立[編集]
起源は、内の研究会で示された「北方機動化計画」にあるとされる。これはの道路事情を前提に、戦車・工兵車・除雪車の機能を一体化した車両を構想するもので、当初は『積雪地対応装軌砲台』というきわめて官僚的な名称で呼ばれていた。
同計画には、当時で冬季試験を担当していた技官の、さらにの試験場で砲塔配置を研究していたが関わったとされる。二人は、履帯の泥詰まりを防ぐためにわざわざ近郊の圧雪路を42日連続で走行させたと記録されており、その際に1台あたり平均で1日7.8回の履帯張り直しが発生したという[3]。
試作車九〇Aの逸話[編集]
に完成した試作車『九〇A』は、外観こそ現在の90式戦車に近いが、砲塔後部に着脱式の“茶室区画”を備えていたとされる。これは射撃後の光学機器冷却と将兵の休憩を兼ねたもので、の一部では「茶を飲ませると砲 стабилизируется(安定化する)」という俗説が広まった。
なお、九〇Aの初期試験では、砲塔旋回時の慣性を利用して氷上で方向転換を行う「回転雪かき運動」が偶発的に観測され、これが後の低速安定制御理論に発展したとされる。一方で、この現象を再現するために砲塔内へ氷を詰めた試験が行われたという記述があり、真偽は定かでない[4]。
採用と量産[編集]
、防衛庁は九〇A改良型を正式に90式戦車として採用した。量産初年度はわずか11両であったが、翌年には27両、には年間製造数が44両に達し、国内の重車両工場としては珍しく「冬季納入調整会議」が設けられた。
量産車は方面隊に優先配備されたが、当初は積雪下での視認性が高すぎるという理由から、冬季迷彩の塗装に灰色を多く混ぜるという逆転した措置が取られた。また、1992年の訓練では、側面装甲に付着した氷柱が衝撃吸収に寄与したとして、隊員のあいだで“自然装甲”と呼ばれ、以後しばらく氷柱の長さを定規で測る班が置かれていた[5]。
設計[編集]
砲塔と車体の関係[編集]
90式戦車の設計上の特徴は、砲塔と車体の重量配分を「雪面圧」と「市街地旋回半径」の両立に最適化した点にあるとされる。砲塔はの機械設計部門ではなく、かつての精密工作機械部で航空部品を扱っていた班の流れを汲む小集団によってまとめられたという説がある。
この設計班は、砲塔天板の曲率を決める際、五合目の気圧変化を参考にしたとされる。また、砲手用照準器の配置が独特であるのは、吹雪下での曇りを避けるためという実務的理由のほか、「北方で前方を見るときは水平よりもわずかに下を向くほうが安心する」という心理学的検証結果が加味されたためである[6]。
自動装填装置の神話[編集]
90式戦車の自動装填装置は、しばしば“国産最速級”として語られるが、関係者の回想録によれば、実際には砲弾を詰める速度よりも、冬季に油圧が粘る際の「待機の美学」をどう制御するかが問題であったという。開発班はこれを解決するため、作業員が一定間隔で拍手を打つと油圧系統の応答が改善するという、半ば儀式めいた手法を導入した。
この拍手方式は土浦の試験場で数週間だけ正式運用されたが、射撃試験のたびに近隣の工場が「祝賀行事」と誤認したため、のちに廃止された。ただし、現在でも古参整備員のあいだでは“拍手整備”として語り継がれている[7]。
通信と秘匿[編集]
90式戦車は、戦術通信の秘匿性を高めるため、車内会話の一部が機関音に紛れるように設計されたといわれる。特にエンジン回転数が一定域に達すると、操縦手の声が聞き取りにくくなるため、車長は短い単語で指示する訓練を受けた。
一部の部隊では、この現象を逆手に取り、訓練中の私語を抑止する“騒音規律”として利用した記録がある。また、の広報展示で車内インターフォンを公開した際、見学者が「なぜ説明放送にやたらと方言が混じるのか」と質問したところ、案内員が「それが機密である」とだけ答えた逸話が残る[8]。
運用[編集]
90式戦車は、平時にはの防衛を念頭に置いた即応装備として運用される一方、各種演習では積雪路、湿地、舗装路、さらには凍結した倉庫敷地まで走行したとされる。特にでの冬季演習では、射撃後に排気熱で周辺の雪が溶け、車体周囲に直径3.4mの環状水溜まりができたことから、乗員のあいだで“戦車の湯船”と呼ばれた。
また、実戦投入の機会はなかったとされるが、1996年の公開訓練では、観閲官の到着が遅れたために90式が先に整列を終え、結果として車両群が人間側の敬礼を待つ形になった。この出来事は、戦車が軍紀を可視化する装置として機能した例として、後年の研究書でしばしば言及されている[9]。
社会的影響[編集]
90式戦車は、防衛装備としてのみならず、国内の重機械工学に「高温環境ではなく低温環境を前提にした美学」を持ち込んだ点で評価されている。戦後日本の機械設計において、耐寒性と低騒音の両立はしばしば相反すると考えられていたが、90式の成功以後、の機械系講義では「氷点下での伝達効率」という項目が例示されるようになった。
一方で、90式戦車の公開イベントが各地で人気を集めた結果、子ども向けの模型市場では砲塔よりも履帯の可動性が重視される風潮が生まれた。1990年代後半には、模型店が「曲がる履帯は礼儀である」と書いた張り紙を掲示したという記録があり、これは戦車趣味における異例の標語として知られている[10]。
評価と批判[編集]
90式戦車に対する評価は総じて高いが、批判がなかったわけではない。特に初期型は整備性が高い一方で、冬季塩害への対策が過剰に重視された結果、沿岸部での試験時に「車体が海風を警戒しすぎる」と揶揄された。
また、国内の一部評論家は、戦車としての完成度よりも「展示すると妙に写真映えする」点が人気を支えたと指摘している。もっとも、こうした批判に対し、防衛庁側は「戦車が目立つのは仕様である」と説明しており、これは当時の広報資料にもほぼそのまま掲載されたとされる。なお、90式の砲声が遠方の家畜に与える影響については、未調査のまま終わった地域が複数あるという[11]。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 渡辺精一郎『北方機動車両の設計思想』防衛技術研究社, 1991年.
- ^ 田代宏文『雪中即応砲術と履帯工学』機甲学会出版局, 1993年.
- ^ S. Kanda, "Low-Temperature Suspension Response in the Type 90 Program," Journal of Japanese Armor Studies, Vol. 12, No. 3, 1994, pp. 41-68.
- ^ 北見勇作『戦車の静粛性と心理規律』北海道軍事文化叢書, 1996年.
- ^ M. A. Thornton, "Hydraulic Delay and Applause Calibration in Main Battle Tanks," International Review of Ordnance Systems, Vol. 8, No. 1, 1995, pp. 5-19.
- ^ 『九〇式戦車試験報告書・冬季版』防衛庁技術研究本部資料室, 1989年.
- ^ 小笠原隆一『氷柱と装甲のあいだ』東洋機械評論社, 1998年.
- ^ A. Feldman, "The Cultural Life of Military Vehicles in Postwar Japan," Modern Defense Quarterly, Vol. 6, No. 4, 1999, pp. 112-129.
- ^ 『装軌車両の北方適応に関する覚書』札幌北機関研究会, 第4巻第2号, 1987年.
- ^ 中村光司『曲がる履帯は礼儀である――模型文化史ノート』ミネルヴァ工房, 2001年.
- ^ R. Sato, "The Tank That Waited for the Reviewers," Asian Military History Review, Vol. 3, No. 2, 2000, pp. 77-83.
外部リンク
- 防衛技術資料アーカイブ
- 北方装甲研究会
- 機甲文化データベース
- 戦車模型史研究所
- 冬季機動装備年鑑